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英雄気取りの三番目  作者: 工藤ミコト
第九章【天才剣士と夜桜伝説】
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118 Sworn That Day①



──きっと、子供ながらに調子に乗っていたのだと思う。僕が僕なりに考えていたことは、要はただの驕りなわけで、それはつまり間違いだった。後悔をしていないわけではないが、そんなことよりも前を向きたい。だから、復讐を誓った──



 この空間だからこそ感じ得ることのできる緊張感がある。溢れるばかりの木の匂い。乳臭いと言われた汗の匂いと男らしさ溢れる汗の匂い。熱気に包まれた胴着に、足先に伝わる床の固さ。触れあう固い音に、目に見える覇気。

 五感を支配され、五感を支配する。

 指先にかかる微かな負荷に、体重も乗せて。汗一つにも、まるで感覚があるように研ぎ澄まされる。

 揺れる残像を追い、それを当てる。木と木のぶつかり合う音が響き、さらにまた振り抜かれる。

 左に刃を立てればまた先程の音が聞こえる。ゆらりと、まるでスローモーションのように動く大きな体だというのに、実際は全く手が追い付かない。間合いを取ろうにも、詰めてくる方が早い。


「くっ」


 右で打ち合い、左で打ち合い、そして得物を飛ばされる。


「よし、この辺で良いだろう」


 目の前の大男は一礼し、持っていた木刀を元の通り戻す。相対していた少年も一礼し、同じように木刀を戻す。


「我が門下の者達を倒したと聞いたが、また勝手に試合をしたのか」

「挑まれたから」

「勝手に剣を持つなと言ったはずだ」

「……は~い」


 汗だくになったことでも、少年には不快感が込み上げてきた。外に出るや否や吹いてくる早朝特有の涼しい風を受けながら、表の井戸まで近づく。

 まだ日の入りが浅く、昇り途中の朝日がまぶしい。鶏が忙しなく鳴くいつもの風景が刺激的だ。

 昨日の雨はとっくに止み、雲一つない青空が気分をさらにあげてくれる。庭に咲くあじさいの葉に乗った朝露も、綺麗に輝いていた。


「ふう~」


 井戸の水を汲み、顔を洗い終えると、先程までの不快感は一気に消え失せた。涼しい気温が、全身を覆うような気がしていた。


「はい、お兄ちゃん」


 小さな手に握られた大きめの手拭いを渡される。


「うん、ありがと」


 相馬の家紋入りの少し立派な手拭い。意味合いなどは一切わからないが好きな形の紋。イクトはまじまじと見つめた後にもう一度顔を拭く。

 相馬育人(そうまいくと)、十歳。剣を踊らせる天才剣士の、ほんのひとときの出来事だ。


 * * *


「いっただっきま~す!」


 活気に満ちた声と共に、ご飯をかきこむ箸の音を奏でる。


「そんなに慌てると喉に詰まらせますよ」


 母親が呆れて止めるが、そもそも言うことを聞かないというのが子どもの性だ。今もまさに、忠告は右から左へ抜けていっている状態なのだ。案の定数秒後には、顔を真っ青にしていた。


「ほら見なさい」

「はっはっは!」


 急いでお茶を渡すそのやり取りを、父は笑いながら見ている。


「死ぬかと思った~」

「静の動きがなってないんだよイコ」


 幼きイクトが、生き返ったその少女イコに説いた。先の騒動に全く動じないイクトは、茶碗に乗せたご飯を食べつつ、味噌汁を啜った。

 きっちりと正座した齢十一の少年の纏う空気やいなや、まるで達観した老人のようでもあった。


「お兄ちゃんだって、それ、付いてるじゃん」


 妹であるイコは、兄であるイクトの顔に向かって指を差す。ニヤニヤと嫌らしく笑っているために、その場所に手をあてがってみたが、そこにはぺたりとご飯粒が付いていた。


「はっはっは! お前たちもまだまだ子どもだなぁ!」


 着ている袴も一緒に震わせるほどに笑ったその大男。

 白い髪が所々に出始めた男性は愉快そうにまだ笑っている。脇に置いた刀がその男の強さを示しているものだとイクトは知っている。

 故に恥じらいがいくら来ようとも、反論はできない。それこそが、代々伝わる神風流剣術師範にして、武家である相馬の長、つまりはイクトの父親だ。

 将軍の重臣として長らく働いていたのだが、怪我を理由に隠居し、今は道場を開きこの家を支えている。


「絶対に父さんを超えてやる。負けるもんかっ」

「もうそろそろ手習が始まりますよイクト。支度しなさいな」

「やっば!」


 そして丁寧に振る舞うその女性は母である。母の言葉に慌ててご飯をかきこんだイクトは、お茶を飲み、一息つくと走って家を出ていった。

 あらあらと笑いながら母親が食器を片付ける。同じく笑いながら道場の方へと歩いていった父親も、楽しそうであった。兄の背中を見送ったイコは、そんな普通の日常が大好きだ。


「あら、あの子ったら」


 台所で小さく上がった声に反応したイコ。駆けつけて見ると、そこには竹皮に包まれた握り飯が三つあった。横に置いてある風呂敷に包みイクトに持たせる予定だったのだが、イクトはそれを忘れてしまったのだ。


「イコ持ってく!」


 母親の制止も聞かず、身支度を整えたイコはイクトを追いかけ寺子屋へと向かった。

 山の麓にある相馬家から首都「江戸」まではおよそ一時間。田畑が連なる一本道をイコは走っていく。まだイクトとは違い、強化魔法が使えないイコにはかなりの重労働である。

 そうしてやっとたどり着いても、大きく栄えた街に呑まれ寺子屋を見つけることは難しい。もう昼に差し掛かり、そろそろイクトが困り出すというときに、そこへたどり着いた。

 イコからしてみればとてつもなく大きい。周りと見比べると珍しい漆喰の塀に囲まれたそこには、イクトと同じような歳の子達が出入りしていた。

 この晴れた日に外へ出ず何をするかと言わんばかりに、昼休みを謳歌している。


「お兄ちゃ~ん! お弁当持ってきたよ~!」


 門をくぐり、どこにいるかもわからないイクトを呼ぶ。先生を探した方が早いような気もしたのだが、そろそろ兄の顔が見たい。何も知らないこの場所で、心細くなっていた。


「……もう! どこにいるの!?」


 迷子にでもなったような気分だった。兄にとっては毎日来る場所でも、まだ幼い自分にとっては大冒険だ。


(……あっ)


 それは言うなれば直感。もっと砕けて言うならば勘だ。

 だだっ広い平屋の建物のそこに、兄がいると、確信した。絆というものは案外そうした何気ない第六感の事を言うのかもしれないと、父親の言葉を思い出しながら駆けていく。


「お兄ちゃーん!」

「あ、イコ」


 見つけたイクトは、帯を絞め直し外へ遊びに行こうとしているところだった。

 走るイコに気づいたイクトだったが、徐々にその視線は下へ下へと伸びていく。イコの手には笹に包まれたおにぎり弁当があった。お腹の虫が鳴き止まない。

 イコが走ってきて、イコ自身も気がついた。試しに手を右左と動かしてみれば、イクトの視線も右左と動いている。自然と笑いが込み上げてきた。


「もう、おっちょこちょいなんだから」

「ありがとう!」


 イコからぶん取った弁当を開けながらその場に座り込む。先程まで一緒にいた友達は先に外へ行ってしまったようだった。

 残された兄妹二人だが、一人はおにぎりを両手に持ちながら口を止めず、もう一人はその華麗な食いっぷりを眺めている。


「そんな慌てて食べたら喉に詰まるよ」

「うぉふはひふぉほはいあふよ」

「“僕はイコとは違うよ”。イコだってもうそんなことしないも~んだ」


 不思議と成り立つ会話も、兄妹ならではのものだ。ゴクンと喉を動かし頬張ったお握りすべてを腹の中へと収めたイクト。再びいつものやり取りに戻る。


「もう、またご飯粒ついてる」


 頬に付いたご飯粒をイコが取った。まったくもうと言いながらそれを食べ、立ち上がる。


「じゃ、帰るね」

「うん、 弁当ありがとう。それと今日帰り遅くなるから」

「わかったぁ!」


 たったったと軽快に走っていく。平屋木造の校舎がその音をより大きく反響させる。皆外へ遊びに行き、誰もいないこの校舎からイコも去っていった。

 食べ終えお茶も飲んだイクトは、包みを縛って自分の机に置く。今懐に入れるとぐしゃぐしゃになってしまう。


「お、お兄ちゃん……」


 不意に呼ばれたような気がした。と、言うよりは窓の外からこちらを見て、はっきり呼んでいた。


「帰り道、わからなくなっちゃった」


 うっすら涙を浮かべている。一人寂しく帰ることが嫌なのだろう。理由なんて後から幾らでも出てくるものだ。

 億劫な授業を一通り終え、帰宅していく友達の姿が目に浮かぶ。その中の数人を集めて、裏の山へ行くのがイクト達の日課である。

 勿論両親にも、余程のことがない限りそこに向かうと伝えてあるし、それはイコも知っている。今日もそれはしっかり果たさなければならない。


「ごめんイコ。今日も山で遊ぶよ。早めに帰るから先帰ってて?」

「え……?」


 イコが聞き返したが、イクトはそのやり取りも億劫だと思ってしまった。しかし弁当を届けてもらった手前、あまり強くは言えない。


「次は一緒に帰ろう。道端のどんぐり、どっちが多く拾えるか勝負しよう!」


 いつもお天道様のような笑顔でイクトの話を聞いてくれるイコであったが、さすがにその時はそうはしなかった。顔の筋肉が引きつり、目の奥は笑っていない。


「……うん。わかった!」


 無理に笑顔を作っていたことはわかった。それでも、イクトは山へと向かった。後悔というものがあるならば、それは今この瞬間にするべきだったのだ。

 

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