110 極東の国のサムライ達
待ちに待ったその日は、少し肌寒かった。
学園の木々の一部は葉を落とし始め、小動物たちも食糧の備蓄に精を出している今の時期。朝早くと言うこともあり、霞掛かった学園の校庭に集合しなければならないことに若干の苛立ちを覚えるリュウ。
それでも踏ん張りを見せ、時間ギリギリには間に合った。
「遅い」
他の一切の苦情を抑圧し、自身のそれのみをぶつけてくる青年。
冷えた風に似合う銀髪を靡かせながら、同じ銀縁の眼鏡を直しリュウを睨み付ける。曇り空に呼応するかのように淀んだ瞳の奥は、燃えるような赤を放つリュウに浄化されそうになる。
「まさか本当に来るとはな、エリック」
ふんと鼻を鳴らしそっぽを向くエリック・ベルナルド。マリーが提案した「アルの代わり」だ。リュウへの敵対心や、マリーへの怨み。平民を見下す貴族特有の態度、差別を当然と思い込む悲しい心。エリックにはそれがあった。
しかし、それは既に何処かへと飛んでいるのが今の彼だ。無いことはないがそれがまた面白くもある。現在は週に一回、みんなで集まって昼ご飯を食べるほど。特に大好物のハンバーグがある日には、嫌みも少なくなるのだ。
「君達がどうしてもと言うからやるんだ。集合時間くらい守るのが当然だ」
「へいへい。悪うござんした」
「貴様、それが平民のする態度か? 返事というのは一回と決まっているものだ。それになんだへいとは。はいだろう」
「は~い」
「何故伸ばす必要がある。そもそも礼儀というものがなっていないんだ君は。いかに君が寝癖も直さず顔も洗わず、ましてや体を洗う等ということに理解がないとしてもだ。それをなんとかして学ぼうとするのが平民だろう。バカめ」
「うるせーな、お前は俺の母ちゃんかよ! てか、顔くらい洗ったわ!」
朝から騒がしい二人に、先に集まっていたティナ達は関わらない。火傷することが目に見えている上に、何より寒くてそれどころではない。イクトは貧血のためそれ以前の問題である。
五分と経った今でもそのじゃれあいが続く。
そしてその時、それは突然現れた。
上級魔法である転移魔法陣がものの数秒でグラウンドに作られた。人が一人通ることのできるような小さなものではない。
いくつもの魔法文字と幾何学模様とを組み合せ、何重にも空間補正をかけた特大の魔法陣だった。現れた数秒で、特大の魔法陣は白く輝いた。
それはやはり人が通るもので、魔法陣の中から現れたのは普段リュウ達の着るような洋服ではなく、変わった服を着ている人間だった。
「何か出てきた!」
それも三人だ。
「男女二人って聞いてたけど、三人ね」
見たこともない服に身を包むその人間達は、リュウ達とは顔つきも違っていた。平たいというような、優しいというような表情がまず目につく。
一人は男性だということが直ぐにわかる。目鼻立ちははっきりとしておらず、遊び心の一切ない坊主頭が特徴の少年だ。ゾットとも似た頭だが、こちらの方が野性的である。腰辺りには見覚えのある武器がこさえられていた。
その後ろにいるのは、これまた特徴的な髪型をした老人だ。とても東洋の学び舎から来た学生ではない。
そして。
彼ら二人とは明らかに違う雰囲気と、どこか大人びた印象を醸し出している女性が目に入る。それでも容貌から少女という言葉を連想させ、先程とは違い一目で留学生だと理解できる。
ハッキリとした目鼻立ちをさらに洗練させるように、整えられた艶やかな黒髪を梳のようなもので結っている。艶やかな黒髪とは対照的な白い肌が、特徴的な桃色の服から見えているが、不健康なものでは到底無く美しい人形のようにも思える。
特徴的な服の袖部分には物理的な余裕があり、金や銀の少量の装飾がついた桃色の花が美しい。
芸術品をそのまま身に付けているといっても過言ではなかった。これが、事前に教えられていた『振袖』というやつだ。
「これが、東洋人……」
「$@、*#○¥□※∽!」
そうして、そいつらは訳のわからない呪文を唱えた。言ったのは坊主頭の少年だ。
「なななな、なんだコイツ! 宇宙人か!?」
ファインティングポーズで体勢を整えたリュウを見て、刀を携えた男は不思議そうに首をかしげた。その光景に、覚醒しかけていたイクトは思わず吹き出す。
「☆≡※∴%◎〒♯♭?」
一人俯き笑いを堪えるイクト。男も不思議そうに話しかける。何を言っているのかわからないその他四人は混乱していた。
「宇宙人のくせに俺達と見た目変わんねーな」
「君は本当にバカだな。どう見たって人間だ。それに腰の武器、君は見たことがあるだろう?」
眼鏡を直しながらエリックが悪態をつく。
「“刀”ってやつだ。ってかお前もっと普通に言えないのかよイヤメガネ!」
リュウはそれに反論し、マリーがあたふたする。そして最終的にはティナが、一喝。そうこうしているうちに、笑いの波がやっと通りすぎるイクト。
咳払いを一つして落ち着き、宇宙人の正体を明かす。
「彼らが大和からの留学生です。自己紹介をしていますよ」
「え、イクト言葉わかんの?」
「……まあ、出身なので」
もはやイクトも億劫になっている。こうしてリュウは続々と親切な人を失っていくのだ。
「∑≒‰†∬∀∋ー!」
イクトが嫌々説明したその直後、坊主頭の少年がイクトに飛び付いた。刀を抜き斬りかかるのかとも思ったが、浮かべた満面の笑みが無害だと証明していたために動くものはいなかった。
「∑≒‰†∬∀∋≧″@☆★?」
語尾のイントネーションが上がったことから疑問文であることはわかったが、やはりリュウには宇宙的な行動にしか見えなかった。
「おお、もう来てたのかそいつら」
宇宙人の正体が謎の奥底へと埋まった丁度その時、黒い箱を手に歩いてくるフェルマの声が聞こえた。
やってきて早々フェルマはその箱を開ける。近くで見ればわかるが、片手でも持てる程度のその箱は無駄に豪華だった。
「とりあえずコレつけとけ。あ、イクトは無しな」
細かな装飾のついた蓋が開き、中から出てきたのはイヤホンだ。数は五つでどれも同じ形をしている。魔晶石のようなものがキラリと光るそれを、フェルマが一番に耳に入れた。
うんうんと頷きながら、箱をリュウ達の方へ押し付けてくる。詳しい説明など一切なしに、この男は進めてしまう。それでも、この場でやれる事と言えばそれしか無いので仕方がない。
訳もわからぬままイヤホンを耳につける。
別段大したこともないイヤホン。片耳用なのか、一人ひとつしか配られない。さらに本当にイクトの分は用意されていなかった。
小声でマリーが『これパパが船五隻と交換してたやつだ』等と口にしたものだから少し戸惑いはしたが、それでもつけた。
それをつけたところで、何か音が聞こえるわけでもないようだった。有り得ないほどの額であろうそれが耳についているという嫌な恐怖感が幻聴となって聞こえるのみである。
しかしそれによって、リュウ達は予想だにしない未知との遭遇を果たす。
「天才剣士ー!」
再び飛び付いてくる坊主頭の少年に、今度こそイクトは鬱陶しいと突き返した。しかし問題なのはそこではない。先程まで聞き取ることすら出来なかった宇宙人の呪文が、今では言葉として聞き取れているのだ。
世界が広がりファーストコンタクトに成功した。
「聞こえてませんかな?」
後ろの老人は不思議そうにリュウを見つめる。
「なあ、これなんだ」
「肘ですかな」
リュウが自分の肘を指差すと、老人からはその通りに、つまりは期待通りの返答があった。『肘』という単語があるということと、それは自分達と同じ名前なのだということが証明された。言葉が通じているのだ。
「フェルマ……お、俺……やべーよ。宇宙人に体改造されちゃったかもしんねー」
思わぬコンタクトによって、リュウは半泣きになっていた。面白おかしいその光景も、行きすぎると面倒くさい。
「んなわけあるか。これはいわゆる『翻訳機』で、雷の魔晶石とアーカイブ系魔法との複合体。とりあえずこれ着けときゃ話通じるって言やあ分かるか?」
「よかったぁ! 俺はなんともねーんだなぁ」
「ほんと、馬鹿」
この場の全員が頭を抱え、東洋から来た三人は引いていた。
「教師のフェルマ・クオルトです」
気を取り直して少女と後ろの老人に自己紹介するフェルマ。すると彼らは頭を下げる形で返した。東洋流のあいさつだ。
「私コトハ姫のお付きの者をしておりますセンゾウでございます。気軽に爺とお呼びください」
丁寧に頭を下げたセンゾウ。
「本日より学園にてお世話になるお二人を紹介いたします。この少年はゴザロウ。剣術の腕前には定評もありますゆえ、どうかよき学びを」
「よろしく頼むでござる!」
紹介が終わり、先程イクトに飛び付いたゴザロウが頭を下げる。
「そしてこちらにあらせられますお方こそ、我が大和国のプリンセス、コトハ姫にございます。我が『大和』将軍ヨシヒゲ様の実娘として、よき交流を」
手短ではあったが礼儀正しい紹介。
「お、お姫様ァ!?」
しっかりと聞いていた全員なだけに、その単語に反応した。きらびやかな衣装に身を包んだ趣のある少女の、鼻を鳴らすような音が直後に起こった。やって来たその少女が、一段と大きく見えた瞬間だった。