107 季節は冬へ
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遅いとリュウが文句を言い始めた最中、転移魔法陣から姿を現した【アルテミス】警務隊。首都を主とした大きな街を、自治する貴族に変わって守護する隊であり、犯罪者の確保に関して右に出るものはない。
犯罪者の逮捕権があるため、こういう犯罪に呼ばれることは多い。
「では連行します」
一般隊士とは違い、深い青の軍服に身を包む彼らが捕縛したウェルダーに更なる封魔手錠を掛ける。
「くっくっくっく……」
連れていかれる寸前のウェルダーは、急に肩を震わせ笑い始めた。魔法は使えなくなったというのに、にじみ出る嫌厭したくなるようなオーラが不気味だ。
「お前達は何もわかっていない……」
「おい大人しくしろ!」
警務隊士が声を張るが効果がない。彼らの制止を振りほどきウェルダーはリュウを見た。目が合ったリュウは、コイツもまた『英雄』についてを知る者だと直感した。
「お前達の近くに闇がある。お前たちがそれを作り出したんだ。世界は既に【バッドエンド】へと近づいているぞ! ヒャッーハハハハハハハハ!」
無駄な悪あがきはそれきりに、強引に転移魔法陣へと連れ込まれたウェルダーは笑っていた。
耳に残るような印象的な、でもそれは耳障りという言葉が一番似合う。ゆらりと頭の中に舞い込んで来たかと思えば、棘が食い込んだように離れない。
横に立つティナ達は何も言わない。誰一人としてこの空気に活路を見出だせなかったが、先程の安堵感が消え失せていたことは言わずとも理解できた。
警務隊を見送ったゼウンが戻ってきたことで、さらに追い討ちをかけられる。
「帰りの馬車は用意してある。明日からまた学園で授業があるだろう」
忘れてたと言わんばかりに、リュウが崩れ落ちる。もうあの言葉は頭の片隅に圧縮された。見えてきたレイジー家の馬車が、地獄の使途に見えてしまうのもまた、しようのないことだ。
用意してもらった馬車に荷物を積み終えたところで、大門の前に集まったゼウン達が見えた。見送りに出てきてくれたのは、レイジー家の者全員だった。
「またいらっしゃい。今度は最高のもてなしをするわ」
ネイシェルは笑顔で言う。隣に立つゼウンも、少しだけ口ごもるのみだ。
「私はこんな男だ。体裁のことしか考えず、多くの者を傷つけた。だからこれからはその償いをしつつ、王族特務隊としてこの国を禁忌魔法から守っていこうと思う」
そして一言謝った。深々と頭を下げた。後ろから見ている使用人達は戸惑う。向かい合うリュウ達は、押し黙ったままだ。
「私の友達、泣かせてんじゃないわよ」
ティナが口火を切った。そして、そのまま馬車に乗り込んでしまった。
「ティナはな、あれを言う為だけにここに来たんだ。でも次は普通に遊びに来るよ」
「そうか、ありがとう。君のような若者が真の強者だ。『本当の強さ』の答えは、案外近くにあるかもしれないぞ」
ゼウンに笑顔を見せ、リュウも馬車へと乗り込んだ。
「リュウは危ない」
今度はアルが口を開いた。
「家を壊す。……覚悟必要」
意味深長に言い残し、走っていった。
「じゃあ、私たちは行くね。元気でねパパ」
最後に笑顔でマリーは馬車に乗った。馬車の小窓から手を振るマリーに、ゼウンはやっと心を落ち着かせた。
「そうだイクト。あなた、マリーをどう思うかしら?」
「え?」
「イクトにならマリーを頼めると思うの」
「な、何を言ってるんだネイシェル!」
マリーが居なくなり、最後に残ったイクトに聞かせるようにネイシェルが口を開いた。目が本気だったネイシェルを見て、ゼウンは慌てふためく。
「もう付き合ったりしてるの? 結婚はマリーが十六になってからじゃなきゃ駄目よ?」
「いえ、僕にはそんな。身分違いも良いところですよ」
ほんのり顔を赤らめて、イクトは馬車に乗り込んだ。
「いいわねぇ」
ネイシェルが笑った。ゆっくり進みだした馬車が見えなくなるまで、微笑み続けた。
魔物の危険から身を守ってくれる馬車の中では、相も変わらずリュウが騒ぐ形となるはずだった。しかし、ウェルダーの言葉が違和感として残ってしまっていた。
「なあ、バッドエンドってなんだよ」
「私が知るわけないでしょ。だいたい、そんなことリュウが考えたって似合わないだけだよ」
「何おう! 俺だって考え事くらいするんだよ!」
「だったら明日のテストの乗りきり方を考えなよ」
思い出したリュウは、現実の重さに押し潰された。騒がしさも増してきたその時、マリーはポケットから一つの封筒を取り出した。横目に見えたティナはすぐに静かになる。
それは、ニケ・バルトが遺したマリーへの手紙。まだ見たことのなかったティナはそれを不思議そうに覗きこむ。
「ニケ君からのラブレター?」
「そん、そんなんじゃないよ!」
慌てて首を横に振るマリー。その度に揺れる大きな胸が、ティナにとっては嫌みにしか見えない。
「見てもいい?」
「うん」
マリーはくすりと笑い手紙を渡す。受け取ったリュウも、実は内心かなり気になっていたティナも、恐る恐るそれを開いた。
──親愛なるマリーへ
君がこの手紙を読んでいる時、きっとこの世に僕はいないだろうね。あ、いま、ありきたりだなと思ったそこの君。ふふふ、僕の推理通りだよ。
まず最初に、マリーはもう分かっていると思うけど、この一連の事件は僕の仕業じゃない。長くここで捕まっている間に考えたんだけど、多分ものすごく厄介な組織ぐるみの事件だ。
あのとき一緒に逃げようとしたエリックに、僕を逃がさず捕らえろと言ったことは、やっぱり間違いじゃなかったよ。撃たれたのは痛かったけどね……
僕の推理通りなら、間違いなく犯人は一人しかいない。
この手紙を読んでいる頃には、きっと捕まっているだろうし、そもそもここに書いたら手紙ごと処分されると思うから書かない。
変人なんてあだ名を付けたエリックに仕返しをするつもりで隠しちゃうよ。
そうだ、イクトは元気かい? 僕は結局イクトの心の中の“闇”に近づくことはできなかった。君にならできると思うよマリー。バレバレだからね。
とりあえず僕が伝えなければならないことは伝えたし、あとはこの命がどっちに動くかで未来は変わる。
最後にエリックもイクトもマリーも、君達は必ず仲直りをするんだ。分かっているんだ、どうせマリーがエリックになんか言われて、イクトが怒ってるなんてことが多々あるんだろ?
そういうときは、君の大好物を皆で食べれば良いんだ。僕が推理するに、君の大好物はエビグラタンだ。ただあれは小麦粉の量に注意しなければいけないよ。
マリーは直ぐに笑顔を作る癖があるね。それはもうやめた方がいい。俺は本当のマリーの笑顔の方が好きだよ。じゃあ、そういうことで。
──世紀の名探偵 ニケ・バルトより
読み終わるやいなや、黙って手紙を返す。僕も見せてくださいなどと宣うイクトには、リュウとティナが全身全霊を込めて無理矢理説き伏せた。無関心なアルは既に眠りに落ちている。
「随分短い手紙ね。ていうか、なにこれ」
「ニケはそういう人だから。私の大好物焼肉だもん」
「てかよお、エリックの奴嘘つきやがったよな」
「え? 嘘?」
残された三人の中でリュウが口を開いた。マリーが問いを返す。
「マリーの初恋の相手って言ったんだよ! だけどその手紙読んだら全然違ったんだ!」
リュウは狭い馬車の中で立ち上がり力説する。
「ここに来る前にエリックにもう一度聞いたんだよ! アイツはやっぱり、初恋がなんちゃらとか僕が悪いんだとか訳わかんねーこと言ったの!」
マリーの家に向かう前、リュウは何故か理由もなしに学園へと戻っていた。そのせいで時間が押したのだが、その理由が他の者達にも今わかった。
口を開けばティナとのよりもさらに強い喧嘩を始めるような関係だっただけに、まさかエリックに声をかけていたとは思えなかった。
エリックがなぜ証拠を持って来たのか、それがわかったことで納得する。
(エリックも……なるほどね)
男の子という不器用な塊を少しだけ理解もできたような気がするティナだった。
「エリックはそういう誤解しやすいところがあるの。今度教えてあげなきゃね。だからまたその時は協力してね、信じてるよリュウ君」
「おう! 任せとけ!」
長く続いたような短い連れ戻し作戦は、そのまま終了となった。
* * *
完璧な乗り心地にして最速を誇るレイジー家の馬車によって、短時間でアルティスに着いた一向は着いて早々そそくさと寮へと戻っていく。
寝ぼけているアルを、ティナとリュウが二人掛かりで運び出す。そんな折、馬車の帰っていく音に書き消されそうになりながら、マリーは彼を呼び止める。
「あ、あのイクト君……」
「……はい?」
下を向いて、言葉に詰まる。
(言わなきゃ。好きって言うんだ……)
ポケットに入った手紙をぎゅっと握りしめて無理矢理喉を押し広げる。肌寒くなってきている風が、二人の間を通り抜けた。それでもマリーの心は冷えることはない。
「お話が……あるの」
「はあ」
不思議そうに見つめてくる。身長差が災いし、覗き込まれているような気もするが恥ずかしくて見えない。
こんなにも、距離が近かっただろうか。
間を通り抜けるはずの風も止んでしまった。アルティスの巨大な正門も既に閉まり終え警備員も外の警備に戻っている。無音の場所で、心臓の音だけが響く。いつも聞こえていたイクトの呼吸一つ一つも、掻き消される。
「わ、わたし……」
つっかえる。が、待ってくれる。その優しさが自分には必要だ。
「あの、えっと」
出来てしまった間が怖い。
「イクト、君、が」
深呼吸をし、マリーは心を決めた。
「わ、私、イクト君が好き。大好き! これからの時間を、い、一緒に過ごしたい……だから、私とおおお付き合いを、してください!」
やっと言えた。胸の内をさらけ出した。後から、もう少し言葉を足せば良かったと後悔してくる。逆に多すぎたような気もしてくる。
出会った直後から気になっていた少年が、運命とでも表せば合点が行くほどに近くにいる。自分を認めてくれる。それだから、好きになった。
マリーはどんどん耳が赤くなっていく。頬も。首も。全身が。
目を合わせることができない。向き合うことも少しためらう。イクトが少し間を開けているのもわかる。深呼吸しているのもわかる。そうして返ってくる言葉に、全神経を集中した。
「済みません、できません。僕には“これから”なんて呼べるものはもうやって来ないんです」
直後、木枯らしが一つ吹いた。やって来るのは、冬。