105 凛々しい変人への言葉
ウェルダーが召喚したのは、リボルバー式の黄金の短銃だった。持ち手は白く装飾されており、そこには薔薇の模様が施されている。銃身が重苦しい威厳に包まれたそれは、まるでマリーが持つ魔法武器『メルキオール』そのものだった。
「お前、それはマリーの……」
「あの小娘が持つものこそ本物。こちらは云わばレプリカだ。だがその実力は侮れんぞ?」
魔力を押し固めた銃弾を解き放つ。
黄金の銃口から放たれた魔力は、一直線にリュウの左手を捉えた。間一髪、当たり所を籠手へと移したがその破壊力は尋常なものではなかった。
籠手を装着しているというのに揺するような衝撃が皮を越え筋肉まで届く。赤い血が垂れ始めていた。
「こんな年寄りですから、外すこともありまして」
ウェルダーは続いて三度、魔法弾を放った。
一発目の狙いは先程と同じ左手。寸分違わぬ狙いで撃ち抜かれる。初弾によって、左手に高らかと燃えさせていた炎は掻き消された。為す統べなく体勢も崩す。
二発目は右膝。崩した体勢によって浮いた右膝に撃ち込まれ、地面に説き伏せられる。強化することすらままならない。
三発目の狙いは脳天。一番の大きさの魔法弾をリュウの額へと撃ち込む。
それでも。
それでも、魔法弾はリュウの額に当たることはなかった。リュウに届いた衝撃は音のみであった。比べるまでもない実力差を、彼女はたった一発の魔法弾によってひっくり返した。
黄金の短銃を片手に煙を噴かせ、階段を下りてくる。既に物にしたヒールを踊らせ、泥水に濡れたドレスをひらりと舞わせる。トレードマークのブロンドの髪は一つに纏めてある。
「ウェルダー、今すぐ投降しなさい」
大きな胸を揺らしながら、可愛らしい手足をゆっくり動かす。イクトに笑いかけ、倒れ込んだリュウを起こす。
「……マリー」
「リュウ君。来てくれてありがとう。私を信頼してくれてありがとう。いつも助けてくれてありがとう」
マリーは優しく語りかけた。まるで一皮むけたマリーが笑っている。リュウまで釣られて笑顔になった。
「出逢った最初から、リュウ君には助けられてばかりだったね。私泣き虫だから何にもできなかったから、借りばっかり作ってるね」
リュウが起き上がるまでの支えになる。マリーはそれほどまでに逞しくなっている。追いかけてきたティナと共に、リュウに笑いかけた。
「だから今度は私の番。私がリュウ君を助ける。これで一個くらいは返すから」
「借りってお前」
「だから私を信じて。私はリュウ君を信じて闘うから。友達だもん!」
マリーは足を強化し、走り出した。
「突っ込んじゃ駄目だ! アイツお前と同じ銃を!」
「そうよマリー! 下がって!」
言ったそばから、ウェルダーは『ニセ・メルキオール』から魔法弾を放ってきた。
「大丈夫よ。リュウ君、ティナさん」
荒れ狂う発砲音の隙間から、囁くように届いてくるマリーの声。震えは治まり、代わりに闘気が込められている。マリーはおよそ十発の魔法弾全てを躱した。しかしここで、躱すという選択は良くない。
「え、いや、ちょっ」
後ろに控えていたリュウとティナは、咄嗟に出した防御魔法も虚しく、マリーが避けた魔法弾に被弾した。
「やだ、ごめんなさい!」
躱してしまったマリーにして見ればそれは自分のせいである。ウェルダーがどちらを狙ったのか定かではないが、まさかリュウ達に当たってしまうとは思っても見なかった。足を止め振り替える。
「マリー!」
「マリー!」
恨み辛みがこもった怨念が二人から向けられる。さながら狼を前にした羊のように、マリーは小さくなることしかできなかった。イクトがクスリと笑った。
「ウェルダー、最低よ」
こうなってしまえばやけくそだ。マリーは全ての恨みをウェルダーにぶつける。
「それは逆恨みだ」
もっともな意見をウェルダーは言う。正しくその通りなだけに、誰もが反論しなかった。イクトはまた、クスリと笑った。咳払いを一つ。覇気がその身に宿る。
【雷撃】
牽制の一発。続いて駆け出しウェルダーの正面に魔法弾。マリーはさらに右にずれ、距離を詰めつつ二発ねじ込む。
しかしウェルダーは実力者。詠唱することなく下級防御魔法を展開し、全てを遮断した。牽制すら、学生の実力ではできない。
「銃士には距離を詰められれば動けないという弱点が存在する。それはとても致命的だ」
炎の魔法弾を『ニセ・メルキオール』から放ち、その真後ろに、隠れるようにしてウェルダーは走ってくる。間合いを極端に速く詰められてしまった。
銃を持つ人間にとっては、間合いというものはとても重要だ。狙撃ならば遠距離が向いている。拳銃ならば、相手の攻撃は届かないが自分の攻撃は届く距離がベスト。
しかしウェルダーにはそれを知られている。マリーの得意な間合いには、運べない。やはりそこがマリーの弱点であった。
そして、ウェルダーの焦燥感から来たその場しのぎの考えの、末路でもあった。
「あまり私をナメないで」
向かってきた炎の魔法弾を、雷の魔法弾で相殺する。見えたウェルダーは既に銃口を向けていた。マリーにはその戦法への対処法がある。朝飯前だ。
二発の魔法弾を体勢を低くすることで避け、走ってくるウェルダーとの距離を詰める。右手を伸ばしているために、脇は甘くなっている。片足を少し当てるのみであった。
「うぐっ」
至近距離での膝蹴りはいとも容易く決まり、腹を押さえながらウェルダーを地に落とす。しかし、片手を地面に付きクッション代わりとしたことで、ウェルダーは難なく体勢を立て直す。
起き様に魔法弾を浴びせてくる。マリーも少しの油断はあり、ドレスの裾を当てられた。
「何も知らないガキめ」
それでも、さらに二発三発と魔法弾を浴びせるウェルダーよりも、マリーは落ち着いていた。
すぐに緊張してしまうマリーだというのに。自分から動くことはほとんどないマリーだというのに。大きい瞳はゆっくりと閉じられていた。ドレスの裾を持ち、迫り来た魔法弾すべてを避ける。
「なっ!」
あまりの可憐さに、ウェルダーは手を止めてしまった。
踊るようにすべてを避けていた。ステップは小さく可愛く、上半身はダイナミックに。一つの物語を読み上げるように、その纏う空気が音楽を奏でるように。魔法弾さえもが演技の一部と化していた。
「ナメないでと言ったでしょ」
裾を持っている手に力を入れる。泥水によごれたドレスは直後、豪快な音と共に破り捨てられた。茶色く染まった布切れが、マリーの足を隠すことを止めた。ワンピースのように生まれ変わったドレス。
「やっと動ける」
「ああ、山一つ分のドレスが……」
マリーは一言だけ告げた。ティナが青ざめる。すぐに強化魔法を発動。マリーはまた距離を詰めた。
「私の“間合い”は、貴方もご存知のはずです。それこそがレイジーに伝わる銃闘術です」
踵に魔力を集中させ、一気に落とす。銃を片手に落とされた踵は、リュウには意外だった。普段から温和な性格のマリーは、決して体術というものを使うことはなかった。信頼というものがなかっただけに、知らないことの方が多かったのだ。
銃闘術はレイジーの家に伝わる武術だ。銃という特殊な武器で中、遠距離攻撃を得意としていたのだが、やはりどうしても近接戦闘に欠点があった。
そこでレイジーは、強化魔法の簡略化、およびその練度を上げ接近戦にも対応できるようにした。遠くの敵は銃、近くに来たのならば格闘戦。レイジーはそうして、すべての間合いに対抗しうる武術を見つけ出した。
勿論それは、マリーも身に付けている。
「がはっ」
叩きつけられたウェルダー。魔法によって強化されたマリーの一撃は、地面をも砕く。そして、静かに銃口を頭に向けた。
「投降しなさい、ウェルダー」
「ふん!」
ウェルダーは、踏みつける形で乗っていたマリーの足を払いすぐに起き上がった。右手に持っていた銃口はマリーへ向く。
「いかに銃闘と言えど所詮貴様は女だ。無力な小娘だ!」
撃ち出された魔法弾を間一髪のところで躱したマリーが、続いて二発の魔法弾を撃ち返す。しかし、何枚も上手なウェルダーには全く効かない。たった数秒の油断が、形勢を一気にひっくり返してしまった。
「あいつもそうだ。全員で私達の計画を阻もうとする」
あいつと指すその人物は紛れもなくニケだ。
「だから殺したんだ!」
「許さない……」
マリーは銃を乱射した。右へ左へと逃げるウェルダーへ、雷が弾となって襲いかかる。中央階段の手刷りに足をかけ上へ跳んだウェルダーにさえ対応する。
「貴方は間違っている。それをニケは暴いた。だから殺された? 意味わからない」
さらに続けて撃ち込む。
ウェルダーの回避のスピードも、マリーの発砲のスピードも、どんどん加速していく。見ているティナ達は、既に反応できるスピードではないことが理解できた。
「貴方にニケの何がわかるのよ。ニケだって平民で、領主の貴族に嫌がらせを受けていた。それでもニケは笑って許してたの。訳のわからない推理で納得しちゃって、同情して涙まで流してたの」
『きっと彼も子供の頃に両親から虐待があったんだ。だから暴力以外の治め方を知らないだけなんだ。うっ、ううっ……かわいそうだぁ~』
マリーの脳裏にしまってあった記憶が舞い戻ってくる。
「どこまでも優しくて、凛々しい変人。私の友達なの!」
強化魔法を最大限に施したマリーの両足には、雷も見える。
「貴方なんかに人生を終わらせられる意味がわからないよ!」
ウェルダーの動きをも凌駕するマリーの身体強化。先程まで撃ち合っていたエントランスから二階へと上る階段の手すりをつかい、ウェルダーを見下す。
すぐに追い付いてきたウェルダーに三発。ティナ達が見守る中で高さを利用した攻撃を、マリーは封じた。
「そんなちんけな攻撃が、わたしに通ると思うのか!」
すべての銃弾を避けきったウェルダーは、手すりから降りる。豪邸なだけにまた、高さを使われる。落ちながら撃ち込んでくる魔法弾を避けることは容易いことだが、それではまたイタチごっこだ。
ウェルダーは歯茎まで見せ笑う。勝ちを確信する顔だ。しかし、マリーは追いかけなかった。
ただ、“信頼”するのみだった。
「私は皆を信じることすら出来なかった。誰かを信じたらいけないと思ってた」
ゆっくりと落ちるウェルダーの後ろを、マリーは見つめる。
「皆が助けてくれるってことが、怖かった。またいなくなっちゃうんだと思ってた。だから笑えなかった。……でもそれは間違いだった!」
高まる豪炎が視界に入った。
「私を信じてくれる人がいる。私を仲間だと言ってくれる人がいるの。無理矢理乗り込んで来ちゃうような人が私の周りにはいる。どうせ言ったってリュウ君達は聞いてくれないんだもの。だから私も──」
銀の籠手に溜められた炎が、落ちるウェルダーの背中に当たる。
「──皆を信じるって決めた!」
「よく言ったぜマリー!」
ちゃんと、返事はやってくる。
「うぉらあぁぁぁぁぁぁ! ぶっ飛べええええええ!」
ウェルダーの落下点には、トレードマークの赤髪と同色の炎をひっさげ叫ぶ少年が、待ち構えていた。