102 マリーの決意
リュウが捕まってから一晩が経った。日の出も未だ遠くのこの時間に、ついにマリーは起き上がった。どうせ寝られないベッドの上から静かに降りて、自室を後にする。
(やっぱり寝れない)
帰ってきてから部屋に籠っていたマリー。出るなと言われた為に出なかったが、喉の乾きには勝てなかった。その間、部屋にあったあらゆる食料が無くなった。あまり食欲が無いため、普段の半分程度しか食べることができなかったが、半日も持たなかった。
この時間でも使用人はコーヒーを持ってきてくれ、そのままテラスへと向かう。
(イクト君達が、来てるのかぁ)
乗り込んできたと聞いて、本当に驚いた。
喧嘩っ早い性格のリュウが大暴れして捕まったと聞いて、本当に呆れた。ティナ達がゼウンと話をしたことを聞いて、本当に心配した。しかし、どれもがただのお節介だ。
そんなことをされれば、罪の意識に苛まれないわけがない。どうして来てしまったのかと自問すれば、私のせいだと自答する。ふざけた話だわと嘲笑うものはいないのだろうか。いっそ笑われた方が楽なのに。
「おはようございます」
嘲笑うどころか、きっと受け止められてしまう。そういう人がいることをマリーは知っている。
「……イクト君」
まだ日が出る前だというのに、辺りが明るく見えた。
自分と同じようにコーヒーを持ってテラスの手すりに寄りかかる彼は、サラサラと綺麗な黒髪を風の流れに任せていた。朝方は肌寒く、カーディガンを羽織っていた。
挨拶をしてくれたもののマリーはそれを無視し、近くのパラソル付きテーブルの方へ行く。白い木造のイスに逃げるように座り、コーヒーを口に運ぶ。
いちいち綺麗な瞳でマリーを見ていたイクトだが、また手すりに寄りかかる。刀を横に携えている辺り、もうすぐ鍛練の時間だ。苦手なはずの朝の時間だというのに、とマリーは感心した。
まだニケが生きていた頃、今日のように早く起きてしまった時こうしてイクトの鍛練を見ようとテラスまで来ていた。低血圧でふらふらのイクトの鍛練はとても面白かったのをマリーは覚えている。あの時は自然と笑顔になってしまっていた。
「気分はどうですか?」
良く言えば丁寧、悪く言えばよそよそしい言葉で言われる。イクトはいつもそう声をかけてくれていた。
「……別に」
マリーは言葉を続けなかった。言った後に、アルティスの女優でこう語る者がいたことを思い出す。イクトはふっと笑い、恐らくはその事をからかった。クラスでの流行語だから当然か。
「リュウは牢に入れられてしまいました。ティナとアルは、いつも通りです」
「うん」
「旦那様は相当お怒りになっているようです。が、やはり一番はリュウですかね」
「うん」
コーヒーの湯気を見つめながら答えるマリー。ふらふらと昇っていく覇気の無さは、今のマリーの心を表しているようにも思えた。
「どうして、そこまでするの?」
冷めていくコーヒーを両手に抱えながら、マリーはイクトの背中に語りかける。
「私は別に平気なのに、誘拐されたってニケが死んだって大丈夫なのに!」
マリーはコーヒーを強く置いた。
「私、皆に迷惑をかけたくない。私はイクト君みたいに要領もよくないし、ティナさんみたいに明るくないし、アル君みたいに治癒魔法で皆を治せないし、リュウ君みたいに馬鹿じゃない」
「リュウだけ、可哀想です」
「一人で何かをするにはとっても時間がかかるの。ただそれだけなの。だから、私のことは放っておいてほしいの。時間はかかるけど、大丈夫だから」
お互い目を合わせることはせず、マリーは投げ、イクトは捕る。そうやって一方的な言葉のキャッチボールが終わった時、今度はイクトが投げ返す。
「マリー、君は彼らの事を“信用”することは出来ても、“信頼”することは出来ないんですね」
向き直りイクトは続ける。
「たとえ“あの約束”があろうと貴女は僕の主です。最後までその使命を全うします。それも含めて僕は学園に入ったのです」
それは合格通知を貰った時だ。『僕もお供致します』と声をかけられたものだから、『イクト君はもう私のボディーガードじゃない』と返したのだ。着いてくるなんて嫌だと断った。約束と言うほどのものでもないはずだ。
「所詮僕は侍なんですよ。振るう刀は主をお守りする為のみです」
イクトはそう笑った。どちらのコーヒーも湯気は無くなり、あと一口でそれ自体も無くなりそうだ。それを見て、思った。今だと。
「私ね、イクト君の事がね、す……」
「見てくださいマリー。綺麗な太陽です」
好きとは言えなかった。イクトの表情は尚も笑っている、はず。但しそれは自分勝手な憶測であって事実ではない。ゆっくりと上がってきた太陽が隠してしまうのだから。
イクトを包み込むような形で山々の中から現れたその太陽が、暗かった大地を照らし、肩を抱きたくなるような空気を温めていく。影が伸びていき、小鳥達が唄いだす。草原の木々も輝き始め、あらゆるものが目覚めていく。
そうしてその太陽を見ているうちに、気づかされるのだ。
(私、信頼してなかったのかな……)
街でマフィアに絡まれたときに助けてくれた。誘拐されたときは泣くことしか出来なかった。
(……違う)
私は皆を信頼してた。と、つい口に出していた気もする。イクトが背を向けていた。
ナイフで頬を切られた時だって、死の恐怖というものが無かった。それはいつでも逃げ出せるからではない。むしろいつでも逃げ出せたのだから、さっさとボコボコにしてしまえばよかったのだ。でも、そうはしなかった。何故ならば、
「絶対皆が助けてくれるって信じてた! 私、皆に話さなきゃ!」
マリーは冷めきったコーヒーを一気に飲み干し、走り出した。残されたイクトは、マリーの分のカップも持ちキッチンへと片付けに行く。清々しい朝にぴったりの慌ただしさが、マリーからは感じられていた。起き始めた世界を見渡し、刀を異空間へとしまう。
「さて、ここからが大変ですね」
暖かな部屋に、そう木霊した。
* * *
「お父様、入ります」
ノックもせずにマリーは扉を開けた。
そこは、あの日見たままの姿だった。中央には少しのもてなし用に用意されたテーブルと椅子が、窓側には一際重厚な机がありそこに向かっている人物こそ、マリーにとっては重要だ。
「お嬢様……」
座って紅茶を飲んでいた執事長、ウェルダーが驚きの表情を見せるが関係ない。眉一つ動かさずに書類にペンを走らせているその男の方へとマリーは歩み寄る。
「どうしてニケを殺したの。あれはお父様がやったことでしょう? あの事件の一切を話してください! そして、なぜ私を誘拐せねばならなかったのかも、お話しください!」
「そんな格好で何しに来たかと思えばそんなことか」
淡いブルーのドレスをマリーは着ていた。胸には一輪の造花のバラがつけられ、長いスカートはフリルによって華やかさと可愛らしさが足されている。いかにレイジー家と言えど普段着ではない。
「もしお話し頂けないのであれば、レイジー家息女マリー・レイジーとして、イデア王に禁忌魔法のことを告発します」
さらにガチャリと音をたてて扉が開かれた。そうして入ってきたのはティナ、アル、イクトの三人であった。
「イクト達まで……」
「私が読んだのよ、ウェルダー」
この場の流れは渡さない。イクト達が来たことにより、少なからず好転する。それは単純に証人が増えるからだ。全員が禁忌魔法に触れた。
「お嬢様、このような真似などなさって……」
「黙りなさいウェルダー」
黙らせたところで、またゼウンへと向き直る。
「お前に話すことはない」
紙から目を離さずに。ペンの動きも止まらなかった。
「貴方って人は、どうしてそういう態度になるんですか。帰ってきたら謝るって言っていたじゃないの!」
次の者は扉を蹴破り入ってくる。
マリーよりも髪が長い、けれども同じブロンドの髪の毛はやはりマリーと同じく優しいウェーブ。マリーへ遺伝させた、幸せそうに膨らんだ大きな胸。マリーとよく似たその女性が、マリーとは似ても似つかぬ形相で怒鳴りこんできたのだった。
「ネイシェル……」
「そうやって意地を張るのはおよしなさい。マリーだって立派な魔導師なんですよ? ちゃんと全てを明かしましょう。私も着いてるわ」
ゼウンの元まで歩み寄った母ネイシェル。淡いブルーのドレスを揺らすことなく目で追うマリーは、まるで餌を欲する猛獣のような目付きだった。
「……お前も、もう子供ではないのだな」
ペンを戻し、椅子の背もたれに寄りかかる。目線はマリーよりも少し上、重苦しく開かれた口はさらなる真実を続ける。
「我々王族特務隊は、知っての通り【アルテミス】の盾だ。王を守護し、国民を守護する絶対的な盾」
故に、と続ける。
「他国からの侵攻を防ぐためには禁忌魔法というものも用いねばならない。その為には研究を続けなければならないのだ」
「えっ」
それは、れっきとした父の言葉だ。ゼウンははっきりと“禁忌魔法”というものを認めた。しかし、それには続きがあった。
「その研究は一部の機関に許可され、私も、またベルナルドも協力していた時期はある」
「どういうことよ!」
「どうもまわりくどいな、結論から言おう。禁忌魔法の研究施設は、確かにこの地下にあった。しかし私は、それの一切に関与していない。元々は魔導書の保管庫であって、研究施設などあるはずが無かったんだ」
「嘘! だってパパしか考えられないじゃない!」
「ああベルナルドにもそう言われた。しかし、私はその部屋に入る鍵を持っていない。だが、彼は持っていたんだ」
彼、ニケ・バルトはそんなものを持っていたとゼウンは語った。残酷な現実に押し潰されそうになったマリーは、なんとか堪えるも話を危機続けることに恐怖を覚え始めていた。
「しかし、私は牢に入れられたニケ君に若干の違和感を覚えた。そこで調査した。そして、やっと情報を掴んだのだ」
ゼウンは立ち上がり窓の方へと体を向ける。綺麗な朝日はもうはるか上の方へと昇っており、窓越しにゼウンを照らした。
「ニケ君がお前にと書いた手紙、ベルナルド家の調査、そして禁忌魔法。その全てがようやく私に真実を教えてくれた」
「待って、手紙ってどういうこと?」
ゼウンは無言のまま懐から取り出した手紙をマリーに手渡す。マリーへ、と書かれたその字は紛れもないニケのものだった。
半ばぶん取るように取り上げ手紙を開く。
書かれている角ばった文字は、ニケのものだ。間違いだらけのスペルもニケのもの、身分など考えずに “Dear” 等と使ってしまうのも、ニケらしい。『親愛なるマリーへ』から始まったその手紙もすぐに読み終える。
読み終わった後に残ったのは、やはりただの虚脱感だけであった。言葉もすぐには出ない。
「……マリー」
ティナの言葉はマリーの背中に絡み付く。ゼウンは窓へと向いた。
「あの日、いやそれよりも前から気づいていたのかもしれない。しかし、私には認めることは出来なかった」
「なら、どうして──」
マリーが手紙を叩きつけ叫ぼうとしたその時、渇いた音が一発響いた。直感でわかる、それは銃声だ。