100 マリーの父親
野を越え山を越えることさらに二時間。
草原に実るリカバリーブルーベリーを一瞥しながら、ドレミ草を踏まないようにと避けながら、見えてくる大きな豪邸へと歩を進めた。
マリーでお馴染みレイジー邸宅は、一度見たことがある。夏休みにマリーの誘いで海岸沿いの別荘に行った時なのだが、その時とはまるで規模が違っていた。
たった一本の馬車道を進むと、レイジー家の豪邸が見えてくる。巨大な平原にポツンとあるそれだが、さらにその周りすべてがレイジーの敷地。恐らくは地平線を越えてもなお、だ。
雑草一本にも手入れはされ、そして重苦しく塀の鉄扉を開ける。
正にイメージ通りの豪邸がそこにはあった。
ヴィーナス像や巨大な龍のオブジェを越えて頭上二メートルの花のアーチを通り抜け、遂に巨大な気の扉を前にする。最早外装の清廉さや、窓の数などに驚きはしない。
「行くぞ」
小さく溢したその一言で、リュウは走り出した。
「え、ちょっと待っ」
「うりゃあああああ!」
無駄に豪華な大扉を蹴破って炎をその身に宿す。先ずは一発派手に決めたかったので、良かったというところだった。ティナは慌ててリュウの腕を掴んだ。
「へっへっへ、大暴れしてやるぜ」
「あんたさあ、何か勘違いしてない?」
「暴れるのは極力控えてください」
「兄ちゃんも嬢ちゃんも、どっちが悪者かわからねえな」
直後、レイジー家の使用人達がやってきた。彼らはリュウ達を囲み警戒する。既にある程度の情報は広域念話で屋敷中に広がっている。
後ろを見れば何人かが出口を塞いでいた。逃げるつもりなど無いのにと、リュウは笑った。
「マリーはどこだ!」
腕に炎を纏わせながら、目の前の使用人達全員に訊いた。警戒体制のまま、使用人達は動かない。イクトが耳元でささやく。
「この家の使用人は全員魔導師です。力尽くで聞き出すのは容易ではありません」
「……マジか」
リュウがざっと見ただけでも三十人を越している。どう考えても今のリュウ達では敵わないパワーバランスだった。
「おやおや活気に満ちるお声。一体何事ですかな?」
その三十人以上の使用人をかき分け歩いてきた一人の老人。小さな眼鏡をかけた白髪の男だ。ビシッと決めたスーツから漂うのは、落ち着きと余裕だった。
「マリーを出せって言ってんだ!」
「マリーお嬢様とはどういったご関係で……、おやイクトではありませんか。そうですか、彼らはマリーお嬢様のご学友の方々でいらっしゃいますね」
「お久しぶりです、ウェルダー執事長」
イクトは一歩前に出て、老人に会釈する。すると、その老人──ウェルダーが満足そうに笑いイクトの方へとやってきた。
「マリーお嬢様が突然帰ってきたかと思えば、今度はイクトまで。学園で何かあったご様子ですな」
「お騒がせしてすみません。旦那様とお会いしたいのですが、どちらに?」
「ゼウン様は現在書斎でお仕事をなさっています。お連れの方々には申し訳ありませんが、すぐにお会いするということはできかねます」
温和な表情を崩さずウェルダーは話す。
「だったら……」
【次元転送・銀龍】
銀色に輝く籠手に、オレンジ色の雄々しい炎が宿る。
「突撃だぁぁぁぁぁ!」
完全に頭に血が上ったリュウは、最大火力の炎の拳をウェルダーへと振るった。わずか三、四メートルを一瞬で移動したリュウ。
「あ、バカ」
ティナも止めることが出来ず、イクトも遅れた。ウェルダーの後ろにいる使用人の何人かがやっと動こうとしたときにはもう、ウェルダーの顔の前にソレは来ていた。
大爆発が起きようその拳。しかし、それはスーツに多少のシワを作って曲げられたウェルダーの右腕によって止められた。少量の水でコーティングされていることも、当然わかる。
「おやおや、室内でそのようなことをしてはいけませんよ」
その場から動くことなく、リュウの一撃を止めたウェルダー。喧嘩の達人の一撃を止めた老人は、優しくリュウを説き伏せた。
「何をやっているんですか! ここはレイジー家ですよ?」
少し強めに、イクトは怒ってきた。
「わ、わりぃ」
冷静になったリュウに、ズカズカと歩み寄ってくるイクトは、近くで見れば見るほど怒っていることがわかった。
「ほんとバカ」
ティナが呆れる。
「客人とて屋敷内でのこういった行動は認められておりませぬ。ご無礼は承知しておりますが、どうぞこちらへ」
リュウは、魔力の放出を断つ石『封魔石』の手錠を掛けられ、そのまま地下へと連れていかれた。
「地下牢行き。当然です」
「何やってんのよバカ」
「……バカ」
「なんで俺らまで連れてかれんだばっきゃろ!」
リュウ・ブライト、及び連れのマフィア一行はこうして、レイジー家の地下牢へと連行された。あまりにも速く事が進んでいったために、頭の整理が終わったのは何時間も経ってからだった。
* * *
「さて、バカはいなくなったけどどうする?」
ティナが語調を強めながらイクトとアルに訊く。とは言っても、目的はマリーの父親であるゼウンに会うこと。
リュウが捕まり、メイドの姿をした使用人に客間まで案内され、こうして豪華でふかふかな椅子に座っている。 目的に近づいてはいるようだった。
「ひたすら待つしかありませんね。ゼウン様はお忙しいですから」
出された紅茶を啜り、イクトは落ち着いた様子で返す。
「やっぱそっか。仕方ない待ちましょ」
テーブルの上のお菓子をつまみながら、ティナも心を決めた。
その隣のアルも、喋ることなくお菓子を食べ続ける。用意されていたものを数分で食べきってしまう。呆れ返るイクトが何度目かのため息をついたとき、先程の執事長ウェルダーがノックをし入ってきた。
「失礼致します。ゼウン様にお会いしたいとお伝えしましたところ、今から十分ならばお会い──「そのお菓子すごく高いやつだから楽しみにしてたの!」
「食べないかと思って……」
「食べるに決まってるじゃない! だから最後の楽しみにとっといたのよ!」
「……ごめん」
「なに謝ってるのよ! 私がいじめてるみたいじゃないの!」
「……違うとは言えない」
「なんでそうなるの! 信じられない。謝んなさいよ!」
目を見開き先に黙ったのはアルだった。本来こういう喧嘩役はリュウであってアルではない。理不尽な返しに対応できる柔軟な思考はなかった。
「よろしいでしょうか?」
ウェルダーが間隙を縫うように、声をまた掛ける。
それから数分後、およそ五分のゼウンとの対面が許されたティナ達は、今現在仕事しているという書斎の前まで来ていた。緊張から心臓が飛び出しそうなのを抑えて、ウェルダーのノックを待つ。
「では開けます」
コンコンと扉を二回叩き、扉を開けるウェルダー。その後に続きティナ達は中へと足を入れた。もはやレイジー家という括りの内に入るすべての物について、ティナ達は驚くことはないと思っていた。それは家の大きさも、別荘の場所も、マリーの胃袋も同様だ。
しかし、やはりレイジー家には敵わないと、緊張がピークに達していたティナは思った。
書斎というだけあって、仕事に使うのであろう本がびっしりと棚に収められている。整理整頓されたそれらは、年月を感じさせる貫禄まであるようだ。シックなテーブルや椅子、一つ一つがいちいち豪華で、中でも窓際においてある仕事机は、恐らく家一つは帰るだろう。
しかし、皆が驚くのはそんな目に見えるようなものでもなければ、触って確かめられるものでもない。そもそも部屋へ入れないのだ。
「うっ……」
その部屋一帯に放たれた強烈な魔力が、ティナ達にのしかかる。肌に突き刺すような鋭さと、重圧のような重さと、焼けるような熱さ。
一歩が進まない。汗すら出ない。
「旦那様、そうお怒りになさるのも理解できます。しかし、お話はするとおっしゃったではありませんか」
ウェルダーだけが何の気なしに入っていく。
「皆さまどうぞこちらへ。【アルテミス】王族特務双隊長、ゼウン・レイジー様でございます」
「えっ、隊長?」
足を動かすよりも口が先に動く。ティナのその言葉に、眉を動かしたのは執事長ウェルダーだった。書斎の机に向かうゼウンの前にある、椅子に座る。真ん中に置いてあるテーブルには紅茶が用意された。
「それで、話とはなんだね?」
濃厚な重低音が、ティナの耳に落とされた。
王族特務隊は、普段王族の護衛や王国の統治を行う警務隊の指揮をとっている。王直属の命を受け任務に出る元帥とは違い、王の元を離れることの無い特異な隊だ。
【アルテミス】の矛がロイ達元帥であるならば、一方の盾は王族特務隊。レイジー家はその一角を担っている。
そのトップの言葉はやはり重い。質問をしているだけだというのに、まるで拷問にでもあっているかのような苦痛。直ぐにこの場から逃げたくなるような、冷たさだ。
「いや、あの」
ティナは、どうしても口から言葉が出ないようだった。
「どうしてお嬢様をあんな風に連れ戻したのですか?」
開きそうな間が怖かったが、辛うじてそれを止めたのがイクトだった。ゼウンをまっすぐ見つめるその瞳は、まるで刀のようであった。
「貴様には関係ない」
「僕の任務はお嬢様の警護です」
「お前は既にレイジー家のボディーガードではない。それに、あの程度のマフィア一つ抑えられんとは、何が警護だ。聞いて呆れる」
目を合わせようとすることもしない。
「お前達と話すようなことは何もない。これは私達の問題だ」
「でも!」
ティナが反論しようとする。しかし、イクトに止められた。
「長旅で疲れただろう。部屋を用意してあるから、今日はそこで休みなさい」
ガチャリと扉が開けられる。出ていけという意味だ。仕方なく三人は出ていくが、扉を開けたウェルダーのすみませんという一言が嫌に耳に残った。