9 熱かったんだからな!
波々とした火柱を掲げ、熱気が一瞬の内に辺りにまで広がった。振り上げられた剣は既に頭上遥か高くににそびえており、二言目には危険信号しか出せないほどに圧力をかけていた。
「うおおおおお!」
明らかに他の三人とは格の違う男の炎。防御魔法どころか魔法が苦手なリュウにこれを防ぐ術はない。こちらから早く手を打たなければ火傷では済まなくなる。マリーは一瞬のうちにそう判断し、防げるのはティナの水魔法だけだと結論付けた。
「あ~あ、知ーらない」
しかし、当のティナは魔法を出すどころか、魔力を高めようとさえしない。リュウの方になど視線も向けず男に対して呆れるだけだった。
「な……ちょっとティナさん! リュウ君が! 炎が!」
「ああ良いの良いの。これでも私はあの男の人に忠告までしてあげた優しいタイプの人間なの。それでも止まらないんだからもう自業自得よ」
「そうじゃなくてリュウ君が炎で!」
マリーも含め普通の人ならば、ティナのその対応の異様性には驚愕していた。齢十五の少年が大の男の炎に包まれて命の危険を伴っているのだ。火だるまになる未来が見えているというのに、両手の平を天に向けて匙を投げている。
それはまるで、リュウに死の宣告をしているようなもの。そう考えている間に、焦るマリーの目前では剣が振り下ろされた。死の宣告を受けたリュウを救えない。マリーはその現実に目を背けるかのように目を瞑る。あまりの出来事に声すら出せない。
しかし、見ていた野次馬の小さな呟きが、マリーの大きな瞳を開かせる。
「……どういうこと?」
恐る恐る目を開けたマリーは、その光景と皮膚まで伝わる轟音に、一瞬この世から隔絶されたような気がした。
今もなお豪快に燃える炎の音は、状況の変化が起こっていないことを、冷徹に突きつけてくる。正直、目の前に広がるであろう光景には予想がついていた。その悲惨な予想はおそらく外れない。
そのはずだったのに。
そこにはあり得ない、といった表現でしか言い表せない光景が広がっていた。
「てめぇ……」
この場にいる誰よりも驚愕の表情を浮かべたのは、振り下ろしたはずの炎剣を“掴まれている”男だ。男はあまりの驚きに動けない。
「あちぃ」
そりゃそうだ。炎を纏った剣を素手で掴んでいるその少年に突っ込む男は、マリーと同じように目を見開いていた。
「なっ!? てめえどうなってんだ!」
「俺が炎を掴んでんの」
「そんなこと分かってるわ!」
「まあいいや、これもらうぞ」
リュウが短く言い終えると、右手に収まる剣の炎が徐々に威力をなくし、萎んでしまった。それとは逆に、豪炎を掴んでいたリュウの右手にその炎が移ったかのように、燃え上がってくるのだった。
「大丈夫って言ったでしょマリー。炎があるんなら、リュウに勝てる奴はいないわ。それが魔導師でもね」
「ひっさぁ~つ!」
【次元転送・銀龍】
そしてリュウは詠唱する。短く唱えたリュウの右手に、全体色を銀色に包まれた籠手が現れた。よく見れば、その籠手の甲の部分には龍の装飾が施されており、左手にも填められた籠手と、両方の龍の目が赤く光りだす。
リュウは右手を大きく振りかぶり、左手で男の奥襟を掴む。途端に右手の籠手からは炎が噴き出した。
「大魔王リュウ様パーンチ!」
リュウは、剣を掴まれ身動きの取れなかった男を思い切り殴る。何かが爆発したんだと思わせる程の強烈な爆音が街中に響いた。その正体の、鳩尾にあたったリュウの拳打によって、男は二メートル程吹き飛ばされていく。吹き飛んだ先には青果店があり、その中へ落ちた男は気絶してしまった。
男から奪い取った炎も消え去り、本当に大魔王のような姿であったリュウの極悪さは無くなった。
「怪我無いか?」
リュウは直ぐに後ろに向き直ると、心配そうに二人に声を掛ける。
「私は、大丈夫。え、えと、あのリュウ君は大丈夫なんですか? 素手で炎に触って……」
自分の魔力を基本属性に変換して纏うことは、簡単ではないが不可能ではない。肉体強化魔法【集中魔力纏】が出来るならば、その延長線にある属性付与も出来て不自然ではない。
しかし、それは自分の魔力ならばの話だ。
いかに炎属性の持ち主と言っても、相手の炎を、自分の魔力から作られた炎以外を纏うことなどできるはずがない。
魔導師と言えど人間だ。熱いものに触れれば火傷をする。それが当たり前。しかし目の前の赤髪の少年はその当たり前を無視し、涼しい顔をして立っている。
マリーは不思議で仕方なかった。火属性を扱う魔導師は沢山いるが、火が効かない魔導師など見たことも聞いたこともなかったからだ。ましてやあのリュウが、だ。
「ん、ああ。俺昔から火だけには異常に強くてさ、熱さは感じるけど、火傷なんかしたことないんだ。まあ、昔っていっても覚えてる範囲でだけど」
「だからって他人の魔力……」
「全然平気だよ。そんで……」
リュウはそう言い、両手の籠手を得意げに見せる。マリーが炎耐性のことで質問して来た時からそわそわしていた。見せたくて見せたくて仕方がなかった。
「入学祝に俺の母さんに貰ったんだ。魔法あんま使えねーからさ、炎をここに集めて殴るときの威力を上げろって言われてさ。しかも、これつけると熱くねーんだよ!」
「それがあったから自信満々だったのね。にしても何あれ。あのダサいリュウ様何とかってやつ」
ニタリと口元を緩ませたティナ。
「だ、ダサいだと! イカしてんだろ俺の必殺技だ」
「なぁにが必殺技よ! 街中であんなこと叫んで恥ずかしくないわけ? 一緒にいる私達がものすごく恥ずかしいんですけど!」
「は~ん、あまりのカッコよさに嫉妬してんだな? はっはっは、しょうがねーな譲ってやるよそれなら。ティナなら自由に使っていいぜ、大魔王リュウ様パンチ。俺の名前と共に広めてくれ」
「もう突っ込みどころが多すぎて話にならない。そんなもの使うくらいなら魔王に世界を滅ぼされた方がマシよ」
また始まったとマリーは苦笑いを浮かべた。二人が仲の良いことがわかったが、これはどうも合わない部分もあるのではと内心二人の将来を案じた。
その時だった。
「みんな伏せて!」
突如マリーが声を張り上げる。聞いたリュウ達は、その声の言う通りにほぼ条件反射のまま行動する。直後、頭上をバチバチと音をたてていた何かが通過した。
「なに?」
起き上がったティナが心中をそのまま口にする。小さな発光と、皮膚を刺すような感覚。これは雷属性の魔法攻撃だと、その後気づいた。
先程の雷に一早く気づいたマリーは、頭上を通過した物の正体を瞬時に分析し始める。
リュウもそれが飛んできた方向を見る。そこにはリュウに打ちのめされたはずの槍を持った男が立っていた。ダメージが残っていたようで槍を支えにしていたが今の間に既に回復していた。雷属性の魔力の高まりが、その瞬間高まった。
「死ね!」
【癇癪雷遊び】
男は直径約三十センチメートルにも満たない球を、その手の中に作り出す。
その数は全部で三。一つ一つに込められている魔力は全て雷属性のそれだ。全身全霊の魔力を込めたのであろう雷球は一人一つずつリュウ達めがけて飛んでくる。
空中で、何かに弾かれるように不規則に飛び回り、動きの予測をより困難にしている。
「きゃ!」
不規則すぎる弾道に、恐怖のあまりマリーは思わず目を瞑る。バチバチと音を鳴らし、雷球すべてが道は違えど三人に迫る。
リュウは急いで精一杯のコントロールで炎を纏うが、魔法が苦手な彼が護れるのは自分程度。更に雷球が来るまでには時間的に間に合わない。ティナも防御魔法の詠唱をしているがやはり間に合わない。
(無理……)
激しく飛び回る雷の球は、そうしてリュウ達全員に襲いかかる。電撃に肉を焼かれ、無惨な光景がその場に広がる。
誰もがそう思った。
しかし突然、雷の球は誰に当たることもなく空中で消滅した。正確には突如現れた何かによって“消された”のだ。