これまでの二人。これからの二人
ドシャ降り、とまではいかないが、そこそこ強い雨が降り注ぐ中、俺は傘をさしながら岐路に着く。普段であれば手に持っている傘の大きさに頼もしさを感じるのだが、今日はその限りでは無い。だが同時に、嬉しさも感じている。
俺の左隣――普段であれば誰もいるはずの無い場所に、俺の左腕に抱きつくように寄りそう少女の姿がある。つい先ほどまでは、幼稚園の頃からの幼馴染であり腐れ縁とも呼べる有り触れた存在。
だが今は――何よりも大切な、護るべき愛しい女性となった存在、久瀬秋菜。俺の肩の辺りまでしか無い、小さな、見慣れたはずの彼女の姿は、しかし今となってはその印象をガラリと変えて写し出される。
近くにいて、いたからこそ気付けなかった事なのかもしれないが、コイツはこんなにも可愛かったのかと、急に意識してしまう。見飽きたはずの彼女の横顔は、けれども何時まででも見ていたい気持ちに駆られる。
歩きながらなのでチラチラと見る形になっていたのが――ふと、彼女が顔をこちらに向ける。背が低いので必然的に上目遣いになる形となるのだが、これがまた何と愛らしいことか。
「なぁ、さっきからどうしたん?」
「ん、何が?」
「何がって……何やチラチラと私の顔見てるみたいやったから。……結構気になるんやけど」
そういって少しだけ視線を鋭くした彼女に――無論、表情には微塵も出さないが――内心、ドキリとする。やはりあからさまに意識し過ぎたのか。もう少し自然に振舞うべきだったか。そもそもそんなに緊張する事も無い。確かに俺達はホンの数分前まではどこにでもいる幼馴染という関係であり、そしてホンの数分前に恋人という関係へと発展した。だがだからといって何も変に振舞う必要はないじゃないか。そうだこれまで同様、普通に接すれば――……って、あれ?
(俺、これまでコイツとどんな風に接してたんだっけ……?)
ここに来て漸く、俺は自分が今嘗てない程に混乱している事に気付いた。そしてそうだと分かってからは更に酷いもので、何を言っていいのかまるで分からない。そんな俺の内心を見透かしたのか、秋菜は不機嫌そうな表情をニヤリと笑みに歪める。この顔は良くない事を考えている時の表情だ。それも、俺をからかうか、或いは俺にとって何か良くない事が起こるとき、コイツは大抵こんな表情を浮かべる。
「あっれ~?もしかして……私に見惚れてたりとか?」
果たしてその予想は見事に当たり、秋菜はニヤニヤと楽しそうに笑いながら俺に問いかけた。これまでであれば、ここはすぐに否定するなりして難を逃れるところなのだが、如何せん今の状況は秋菜の言うとおりなので否定することが出来ない。いや、状況がどうのこうのではなく俺自身が否定したくても出来ないというか――……。
グルグルと堂々巡りの様に回り続ける思考の果てに、俺が出した答えはと言うと。
「……そうだよ、悪いかよ。ついで言えば、お前の顔を見ていたかったから」
素直に認める。これだった。これまでであれば最悪の選択とも取れる発言に、しかし俺は今ばかりは後悔する事は無かった。無論、今すぐにでもこの場から逃げ出したいほどの羞恥を感じているが。対して、問いかけた本人はというと。
「……あ、あれ?えっと……ホンマに?」
再びの問いかけに、黙したまま頷く。それは彼女にとって予想外の返答だったのだろう。秋菜は短く何とも間の抜けた声をあげた後、ぷいと顔を逸らし黙りこんだ。が、繋いだ手を離す事は無く。そしてその顔がほんのり赤く色づいており、にやけそうになる口元を必死に引き締めているのを見逃さなかった。
それから俺達は、多大な気恥ずかしさと確かな嬉しさを感じつつ、黙ったまま雨の中を歩き続ける。雨の音しか聞こえてこない沈黙は、しかし今の俺にとっては心地良かった。そしてそれはきっと、秋菜も同じで。
これまで幼馴染として付き合ってきた俺達。
これからもずっと、そんな関係が続いて行くのだろうと思っていた俺達。
そんな関係に終わりが訪れ。新たな、そしてより深い絆で繋がるようになったのは、ホンの数分前の出来事――……
◇
「雨、結構強くなってきたな……」
昼休み。窓の外に映る景色をボケーっと眺めながら、俺は何となしに呟く。
今日は朝から雨の予報が出ていて、午後からは本格的に降り出すといっていた。果たしてその言葉通り、時々強弱を付けながら雨は降り続ける。なので、傘はしっかりと持ってきている。そんな事を考えながら、俺は弁当の包みを開ける。思春期真っ盛りな俺は、結構な量の入った弁当箱に、小さく手を合わせた後蓋を開いた。中身は俺の好物ばかりだった。それでもしっかりと栄養バランスが整えられているのは、流石と言うべきか。
俺は、仲の良い奴等と一緒に談笑しながら弁当を平らげた。けれど俺の心は、何かが欠けていると訴え続けていた。
◇
午後、HRにて。
担任からの短い言葉を聞き終えた俺は、友人達に別れの挨拶を告げ教室を後にする。特に部活には入っていない俺は、放課後はすぐに家を目指す。
鞄と傘を手に持ちながら階段を降りていき、下駄箱へ向かう。すると、一人の少女の姿が目に入った。
茶髪のボブカットにした少し背の低い少女――久瀬秋菜。特徴、変な関西弁。所謂幼馴染の関係にある彼女とは、クラスが違うために登下校時くらいしか一緒にならない。
「秋菜」
「うひゃあっ!?」
素っ頓狂な声を上げて飛び上がる幼馴染の姿に、俺は内心してやったりと気分が良くなった。そんな俺とは対照的に、彼女は頬をぷっくり膨らませ、上目遣いに睨んでくる。
「もう!いきなり声かけるなんて酷いやない!」
羞恥に顔を赤く染め、ぽかぽかと俺の胸を叩いてくる秋菜。ちっとも痛くないその行動はとても愛らしい。何時までもこの姿を眺めていたい衝動に駆られるが、長引くとこの少女はへそを曲げてしまう。その為俺は、非常に残念ながら彼女を引き剥がす作業に移る。
「悪い悪い。謝るから許してくれ」
「本当にそう思っとるんかなぁ~?」
「本当にそう思ってます。悪ふざけが過ぎました。だから許してくれ」
ジト目で見てくるその姿がまた可愛いこと。俺は両手を合わせて頭を下げる。
「まぁ、そこまで言うんなら信じてあげるわ」
数秒後、俺の誠心誠意の謝罪は何とか彼女の機嫌を戻すことが出来たらしい。下駄箱から出した靴を履き傘を開こうとしたその時、ふと思い至る。
「そういえば、お前傘は?」
「ん?あぁ、実は忘れてきてちゃったんよ」
てへへと苦笑する彼女に、俺は少しだけ驚いた。コイツは何かと気が効く子だ。そんな彼女が、朝の予報を聞き逃し傘を忘れるなど珍しいことこの上ない。
何にせよ、彼女を濡れたまま帰すなど俺の思考回路では導き出せるはずも無く。無言のままに傘を開き、彼女を招き入れるスペースを空ける。彼女もまた、まるで当たり前のよう入ってきた。
そのまま正門目指し歩くこと暫し。
「なぁ……」
「ん?」
「もしかして、何時も俺の分まで弁当作ってくれてるけど。もしかしてそのせいで……」
そんな事を尋ねていた。この少女が自身の持ち物を忘れるなど、まず有り得ない。ともすれば、他に理由など考えられなかった。俺はこの時、本気で彼女に申し訳ない気持ちを感じていた。
「もしそうだったら、さ。これからは――「別にそういうわけやないよ?」……?」
これからは作らなくていい、という言葉よりも早く、彼女は割って入りスルリと俺の腕に自身の腕を絡ませてくる。真意が読み取れなかった俺は、彼女を見る。
「私が好きでやってることやし。アンタが気にすることやない」
「いや、でも……」
「それとも――言わなきゃ分からない?」
ギュッと、先ほどよりも強く抱きついてきた秋菜は上目遣いで、何時になく真剣な表情で俺を見つめる。彼女の瞳が、僅かに揺れたような気がした。
◇
突然の言葉に、俺は思わず足を止める。が、依然秋菜と腕を組んだままでいるので、彼女も又立ち止まる形になっているのだが。――そんなどうでもいい状況確認は置いておくとして。今すべき事は先ほどの秋菜の言葉、その意味を知る事にある。
「えっと、その……いつから?」
――うん。俺は何を言っているんだろうね。自分で自分をぶん殴りたいよ。
「そうなんだって自覚したのは多分小学校の頃からやろうけど……きっとずうっと前から、私はアンタの事を好きになっとったんやと思う。……てか、普通女の子に何べんも告白させるか?」
ジト目で睨み付けてくる秋菜さん。全くおっしゃる通りです。普段であれば冗談めかしたこの言葉をそのまま口に出すのだが、今この時ばかりはそうもいかない。ジト目で、といってもその瞳は普段とは違い、どこか不安を色を感じたからだ。だが、それも無理もない。
これで秋菜の言葉の真意――つまりは遠回しな告白であった事が理解出来た訳だが。となるとコイツは俺の返事を待っている訳であり、返答次第では今の関係が悪い方向に崩れ去る危険性も孕んでいる訳で。ならば元気がとりえの様な秋菜が不安がるのも頷ける。だからこそ、俺も真剣に答えを出さなければならない。
俺は、自分の心に問いかける。
コイツとは長年幼馴染として付き合ってきた。そしてその関係は、これからもずっと続いていくものだと思って止まなかった。だが、こうなった以上、そうもいかなくなった。今までの様に、ただの幼馴染ではいられない。
では別の角度から考えてみよう。
果たして俺は、コイツの隣に誰か別の――俺以外の男が立っていた場合、それを容認することが出来るのだろうか。
果たして俺は、自分の隣にコイツ以外の女が立っている場面を想像することが出来るだろうか。
果たして俺は、果たして俺は、果たして俺は――……。
すると、答えはあっさりと返って来た。教室に居たときに感じていた心の空虚さを今は感じない。それどころか、パチリとパズルのピースが嵌ったような感覚、そして心の奥底が暖まる感覚を覚えた。
――何だ、ずっと前から答えは出ていたんじゃないか。
俺がコイツと何時も一緒に居たのは、何もコイツが幼馴染だからってだけじゃない。毎日弁当を作ってもらっているのも、ただの甘えだからじゃない。他にも言い尽くせ無いほどの想いが溢れてくるが、それらを纏めるとするならば。
それは俺が、久瀬秋菜という少女といつも一緒に居たいと願ったから。求めたから。誰にも彼女の隣を渡したくなかったから。幼馴染だったからとか、一緒にいた時間が長かったからとかそんなんじゃない。 確かにそれらの理由も含まれてはいるだろう。だが、足りない。それだけでは足りないのだ。だがその理由を、具体的且つ一発で証明出来る言葉があるではないか。
即ち――秋菜の事が好きだったからに他ならない、と。
それを自覚してからは早かった。急に心臓がバクバクと動き出し、血液を馬鹿みたいに送り出す。
俺は、自分の腕に絡んだ秋菜の腕を一度解き――小さな手を強く、慈しむように握りながら呟くように言った。
「俺も、秋菜が好きだ。もう、幼馴染のままじゃいられねぇ。――俺と、付き合ってくれ」
「――うん」
小さく頷き答えを返してくれた彼女を見れば、目尻に涙を浮かべながらにしながらも微笑んでいる。
きっと俺も似たような顔をしているのだろう。ついでに顔は、これでもかと言うくらいに緩みきっているだろう。
昔から一緒にいた彼女。
少しだけ関係は変わってしまったけれど。きっとこれからも、彼女と並んで歩み続けていくのだろう。
この相合傘の下。二人寄り添い、支えあうように――……
ちょっと真面目に書いてみました。
字数制限がなければもう少し細かく書きたかったのですが……。逆に字数制限があったから、細かく、だけど丁寧に文章をまとめるいい機会になりました。
感想・指摘等お待ちしております。