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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

善と悪と、名無しの正義。

雲ひとつない満天の星空の下、月の光がうっすらとその建物の輪郭を照らし出す。


その日、悪魔は天使と出会った。

 闇の静寂を破るのは少女の嗚咽。


 「うっうっ、お父さんとお母さんに会わせて…」


 少女の泣き声は、虚しく闇に吸い込まれるていくだけだ。


 不意に大きな音を立て、鉄扉の鍵が開く気配がした。扉の向こうからほのかに漏れ出る光は次第に大きくなり、徐々に闇を照らしていく。


 「それ以上泣き続けると、懲罰房に連れていくぞ。」


 「うっうっ、お父さんとお母…」


 「黙れ。十分以内に泣き止まなかったら、懲罰房入きだ。分かったな」


 「うっうっ」


 扉のむこうから漏れ出ていた光は小さくなり、やがて消える。そしてまた、少女は闇に包まれた。


 扉に鍵がかかる音と共に、少女の嗚咽が一層激しくなる。不意に鉄扉が裏側から強く叩かれ、耳障りな金属音を発する。


 「うっ、うっ」


 少女の嗚咽は更に激しさを増す。


 そんな少女の嗚咽に混ざって、青年の低い囁き声がふと闇に溶け込んだ。


 「お前、名前はなんて言うんだ」


 「うっ、うっ」


 「…俺は、囚人番号072番だ。お前に名前はあるのか」


 「うっ、うっ…」


 「…もういい加減、泣き止め。懲罰房じゃあ、飯は食えないぞ」


 嗚咽のテンポが次第にゆるやかになる。


 「…ゆき…」


 しばらくして闇は静寂を取り戻し、少女は搾り出すように呟いた。


 「ゆきっていうのか。いい名前だ…」


 青年の声が闇の中に、まるで楽器を奏でるように美しく、そして余韻を残しながら響く。


 「おじさんは…、なんで、こんな所にいるんですか?」


 「…人を助けるためだよ」


 「おじさんは…、誰を助けるんですか?」


 「…誰でも。助けが欲しい人だよ」


 「誰でも…助けるんですか?」


 「うん、誰でも」


 「じゃあ…」


 「シーッ」と青年が少女の言葉を遮る。


 少女が息を飲む音と共に、鉄扉が控えめな音を立てて開く。光が再び闇を照らす。しばらくの静寂が過ぎた後、鉄扉は控えめな音を立て、また閉まった。


 しばらくの静寂が流れる。


 「…おじさんの…名前は?」


 間を置いて、少女が尋ねる。


 「…俺に名前はない」


 青年が答えると、少女は息を飲んで「ごめんなさい…」と呟いた。


 「気にすんな。それより早く寝ろ、明日は早い」


 青年は少女に優しく囁く。「はい…」と名残惜しげに頷く少女。


 どれほどの沈黙が流れただろうか?しばらく経って、静寂の闇に微かな寝息が聞こえてきた。




 不意に爆音と共に異常を知らせるサイレンの音が建物内に響く。


 「どうした!」


 警備員の叫び声と共に、鉄扉が大きい音を立てながら無造作に開く。


 雪のように白い肌、そして漆黒のように黒い瞳をした少女が、耳を塞ぎながら檻の中に佇んでいる。


 「何が起きた?」


 警備員が訊くと、少女は怯えた表情で首を横に振った。


 「くそ!」


 警備員は悪態を付きながら、少女がいる檻の隣の独居房を覗き込む。


 砂埃と共に、壁に空いた大きな穴から月が見えた。


 警備員はベッドの上に囚人がいないのを確認して咄嗟に無線を取り出す。


 「HQHQ、こちら南棟警備。現在、囚人番号072番が行方不明。独居房の壁には大きな穴が空いており、おそらく脱走と見られます」


 しばらく無線機を耳にあて、何度か頷いたあと、懐から鍵を取り出して檻の扉を開ける。そして中に入り、壁の穴から下界を覗きみた。


 「こちら、南棟警備。逃走した囚人の姿は視認できません」


 警備員は無線機に向かってさらに何度か頷いた後、それをを胸のポケットにしまった。


 「よう、お疲れさん」


 警備員が振り返ると、そこには独居房の壁にもたれかかった状態で微笑む青年。


 息を呑む。その時、青年の左目が鋭く月光に反射した。


 警備員は懐から拳銃を取り出す暇も無く、静寂の中に骨の折れる鈍い音が響いた。


 動かなくなった警備員のポケットから鍵を奪い取り、隣の檻の扉を開ける。少女は少し呼吸を乱していたが、それでも言いつけ通り、しっかり耳を塞いだまま佇んでいた。




 青年は所々汚れて破れた囚人服を脱ぎ捨て、物置から引っ張り出してきた黒いシャツに黒いベスト、紺色のスキニーデニムボトムス、そして緋色のロングコートに着替えた。


 あいにく少女の服は見つからなかったため、サイズの合わない、毛皮のフードが付いた防寒ジャケットを

着せた。


 「おじさんは…、なんで…助けてくれるんですか…?」


 曲がり角の多い狭い通路を進みながら、少女が小さい声で恐る恐る尋ねる。


 「助けて貰いたいって言ってたから」


 「私、そんなこと言ってないです…」


 「そうか、じゃあ助けない」


 青年がそう言ってにやっと笑う。少女は真に受けたのか、途端に顔が青ざめる。


 「フフッ、冗談だよ」


 青年はそう笑うと、少女の背中まで伸びた黒い髪をくしゃくしゃに撫でた。


 青年は目をつぶったままの右目に眼帯を巻きつける。


 「なんで…、外から逃げないんですか?」


 静かに後を付ける少女が口を開く。


 「外には銃を持った警備員がたくさん出てるしね」


 「それに…」と付け加えようとして青年は口を閉ざす。少女も雰囲気を悟ったのか、息を殺してうつむく。


 「ここで待ってろ」


 青年の囁きに、少女はゆっくり頷いた。


 しばらくして何度か銃の発泡される音と共に、またもや骨の折れる鈍い音が今度は二度、何もない通路にはっきりと響いた。


 「大丈夫だったか」


 頷く少女に青年は優しく微笑みかける。


 その後も細い通路を何度か曲がりながら警備員をやり過ごし、しばらくして二人は一つの部屋の前にたどり着いた。


 少女の目の前に所長屋と書かれた扉が映る。


 「この中みたいだな…」


 「中に入るんですか…?」


 少女の質問に、青年は「ああ」と頷いてドアノブに手をかけた。


 所長室に入ると、白いヒゲを蓄え小太りした初老の男が、こちらに背を向けた状態で回転椅子の上に座っていた。


 「君が、名無しか…?」


 初老の男は窓から夜空を眺めながら、そして落ち着いた様子で青年に尋ねる。


 「ああ、今はな」


 男が持っていたリモコンのスイッチを押すと、窓のブラインド、が耳障りな機械音をたてながらゆっくりと下りてきた。そしてゆっくりと椅子を回転させながら青年に向き直る。


 「そうか、やはり彼女は死んでいたか」


 机の上で手を組み、目を細めて青年を眺めた。


 「…なるほど。君がその子を助けようとする理由が分かったよ。」


 無言のままの少年に微笑む。男は回転椅子に深く腰掛け直し「ところで…」と切り出そた。


 「今回は私かね?」


 「その通りだ」


 間を置かずに答えた青年に、男は「フッ」と嘲笑した。


 「だが、私としても君を取り逃がすわけにもいかない。そして、それ以上にそこにいる彼女をこの世界に放つわけにはいかないんだよ」


 そう言って少女へと向いた男の顔が真剣な表情になる。


 「彼女は絶対的な悪だ。檻から解き放てば大変なことになる。丁度…」


 君の前の、名無しのようにね…。語尾にそう付加え、男は少女を一瞥する。青年は口を閉ざしたままだ。


 「彼女は人間界に訪れた、悪魔の落胤だ。誰かを愛することで誰かを死に至らしめ、苦しみによってしかその能力を抑制することはできない。だから、ここで一生死ぬまで苦しんでもらわなきゃ困るんだよ」


 尚も無言を貫く青年に付け加える。


 「そして…それに抵抗した彼女の両親も同罪だったんだ。」


 少女の微かに息を呑む音が青年の耳に届いた。恐怖を浮かべた表情で見上げてくる少女に優しく微笑み返し、青年は男に向き直る。


 「だからどうした。こいつの素性と、俺の仕事とは何の関係もない」


 冷たい声で言葉を返す青年に、男はニヤリとした。


 「どうしても逃がすつもりだ、というならしょうがない」


 「君の能力は索敵だね。だからここまで警備員たちをやり過ごして来れたんだ。」


 黙ったままの青年を見て、男の笑みは更に大きくなる。


 「まさか右目が義眼だとはねえ。どうりで爆弾を檻の中に持ち込めたわけか。」


 その男は納得したように一人頷いた。


 「ところでね…」そう前置きして、男の眼光がさらに鋭くなる。


 「君の能力は索敵のようだから既に、この部屋に隠れている彼らには気づいているようだけど…。果たして…視界の奪われた闇の中でも、相手の位置は認識できるのかな?」


 「んふふ」と男が高らかに笑うと同時に部屋が闇に包まれる。


 一瞬だった。ライフルの三度発泡する音と共に、少女の小さな悲鳴が闇に響く。


 しばらくして男は声を発した。


 「おい、名無しは殺ったか?馬鹿らしく裁判なんて待ってたら、とんでもない時間と費用がかかるからね!これで手柄は僕のものだよ!んふふ」


 男は興奮したように喚き、しばらくして照明が点灯される。


 同時に笑い狂っていた男の表情が驚きへと変わった。無表情の青年が証明の点灯スイッチに手をかけている。


 「ど、どうしてだ…」


 「お前は二つ、勘違いをしている」


 「第一に、俺の能力に光と闇は関係ない」


 「馬鹿な、索敵の能力者は他にも知っている。敵の位置を把握できても、闇の中では狙いを定められない」


 証明の点灯スイッチから手を離し、青年はゆっくりと左目に指をあてる。


 「…両方とも義眼…。貴様、盲目か」


 顔から取りどされた義眼を前、男は愕然とした表情で一歩を後ずさり、青年は毅然と一歩を踏み出る。かすかにプロペラの回る音が聞こえた。


 「第二に、俺の能力は索敵ではなく、一定範囲にいる人間の脳にある情報を共有する能力だ。いわゆるマインドコール。さらに、それに視覚情報などの五感も含める」


 「だから赤外線ゴーグルなんて使ったところで、標的に俺が視認できる時点で意味はない」


 「しかし…、なんで一発も被弾しないんだ…。狙撃手は三人もいたのに!」


 「俺を狙撃しようとした奴がいないからだ」


 「ありえない…。証明を消したら三人同時に狙撃しろ、としっかり命令していたはずだ!」


 青年は後ずさる男に、ライフルの銃口を向ける。


 「その理由をお前が知る必要はない」


 ライフルが発泡されると共に、窓ガラスの割る音。ブラインドが崩れ落ち、青年視界先にラダーが下りてきた。


 窓の外から吹き込む強風に伴って、プロペラの回る音がする。


 青年は固まる少女を抱きかかえると、立ち竦む初老の男の横を通り過ぎ、ヘリコプターから垂れ下ろされラダーへと飛び移った。


 片手でラダーにしがみつきながら青年は振り返り、ライフルの銃口を男に向ける。男が丁度拳銃を構えたところで、青年はライフルを撃った。


 「うぐっ!」という低い呻き声と同時に、男の手の中にあった拳銃が派手に吹き飛ぶ。


 「だから無駄だって」


 そう呟く青年と共に、ヘリコプターは飛び去っていく。片手を押さえながら男は喚き散らす。


 「逃げ切れると思うなよ!お前らは能力者で社会不適合者の犯罪者なんだ!絶対捕まえて地獄にたたき落と

して…」


 瞬間、男の立っていたはずの場所が炎に包まれる。室内に置いてきた時限爆弾式の義眼が爆発したようだ。派手な爆炎を伴いながら崩れ落ちていく建物。


 星々の輝く漆黒の夜空がほんのりと紅く染められた。




 その青年に名前はない。

 マインドコールの能力者。

 そして青年はもう一つ、特異な能力を持っている。

 誰かを愛することで、誰かに感情を植え付けられる。

 別名、天使の落胤。



 ラダーを登って、ヘリコプターの中へと上がり込んだ。

 不安気な眼差しで見上げてくる少女に、青年は優しく微笑み返す。

 彼女に見る、美しい記憶と心は青年を魅了する。

 彼女は良い作品になりそうだ…。青年は心の中でそっと呟く。


 その青年に名前はない。

 職業は殺し屋。

 心は冷たい…。

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