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夜の中

作者:

 私は布団の上に横たわっている。確か昼間、昼食を摂った後に突然強い眠気に襲われて眠ってしまったのだった。既に夜の帳を下ろしている部屋の薄暗い天井を見上げながら、そんなことを思い出す。

 敷布団のもたらす異常な柔らかさが、何故か過剰に気になった。そういえば敷布団を敷いて眠るのは久し振りである。今はもう10月も終わりに差し掛かる頃だというのに、私は未だに夏にすがりたい気持ちがあって、畳の上に毛布を掛けて直に眠るというスタイルを貫き続けていた。

 しかし時は無情なもので、私の意思などとは全く関係無しに次第に寒さは増してゆき、遂には風邪気味になってしまった。それで仕方なく今晩から敷布団を敷いて眠ることにしたというわけだ。

 その為には大掛かりな部屋の掃除が必要だった。正に足の踏み場も無い程散らかった私の部屋は整理するのに殊の外骨が折れ、今日の朝方から取り掛かってようやく昼頃にはどうにか敷布団を敷ける程度には片付いた。その疲れもあったのか、敷布団を敷いた直後にそのまま眠ってしまったようだ。

 分っていたことではあるが、そのせいで今寝苦しい夜を過ごしている。

「う・・・ん・・・」

 今夜何度目になるであろう寝返りをうったが、容易に眠りに就けないことはわかり切っていた。元来寝つきが良くない上に夜更かしが大好きな私が、昼間に余分な睡眠をとって夜にすんなり眠れるだろうか。いや、眠れない。しかも明日は朝早くに起きなければならない為、いつもより早い時間に床に就いていた。

 暗闇の中で部屋を見渡してみる。漆黒に慣れ切った眼が、細かい部分まではっきりと確認させてくれた。狭い部屋で多少持て余し気味の薄汚い座椅子、MDCDラジカセ、ゲーム機。更には地面を這う無数のコード類までもが見える。

 しかし私は不毛とも思える戦いをひたすら続けるしかなかった。今でさえ大分眼が冴えてきているというのに、その上布団から出て何かをし始めてしまったら、今夜は本当に眠れなくなるだろう。再び眼を閉じて、心を穏やかに保つよう努めた。

 ガチャ

 その努力も不審な物音によって無に帰した。それは確かに玄関のドアを開ける音だった。それだけなら不審ではないが、我が家にはこんな時間に家を出て行く人間も、帰ってくる人間もいない。第一私は眠る前に、単身赴任で自宅にいない父親以外の家族全員の顔を確認している。その後誰かが出掛けた形跡は無い。

 では、あの音は一体何なのだろう。残念ながら音だけでは、外から開けているのか中から開けているのか判別のしようがない。それに普段ならば誰かが鍵をかけている筈で、外からは開けられようはずはない。しかしドアを開ける音がしてから幾許もしない内に、みしみしという床の軋む音が聞こえてきた。敷き布団の上とはいえ、地面にべったり貼り付けた私の全身には、微かな振動すらもはっきりと伝わってきた。これで外から誰かが入ってきたことははっきりした。

 私の頭に良からぬ考えが浮かぶ。

 泥棒・・・。

 仰向けのままで自らを鼓舞するように頭を激しく左右に振り、その思いをどうにか振り払おうとした。自分で行動を起こさないと流されてしまいそうだった。きっと私が眠れなくて四苦八苦している時に、誰かが買い物にでも出掛けてたった今帰ってきた。ただそれだけのことだろう。

 夕食を食べた後はずっと自分の部屋に居たし、狭い家では良く聞こえる家族の声も聴いてはいたが、各々が部屋に戻ってからは姿を見ていないので、知らない内に誰かが出掛けていたとしても不思議はない。

しかし、それらしい物音を聞いた憶えも無いが・・・。

 私は気を取り直して眠ることに専念しようとしたが、完全に目は醒めてしまっていた。

 そして、台所へと続く少し重いドアがゆっくりと開く音が、まるで自分で手をかけているかの様に近くに聞こえた。台所には母が寝ている。あまり広くない我が家の構造上、今現在はそうなってしまっている。

 だとすると、あの物音は母。もしくはアコーディオンカーテン越しに寝ている筈の弟。   しかし弟は殆どの場合、私の部屋を経由して自分の部屋に行く。まあ、部屋とはいっても居間を兼ねていて、台所と繋がっているのをアコーディオンカーテンで仕切って、無理矢理二部屋にしていた。私の部屋には入り口が二つあって、一つは襖で仕切られ玄関に繋がっていて、もう一つはアコーディオンカーテンで仕切られ弟の部屋に繋がっている。

 それに弟は非常に夜に弱い上、恐ろしいほど寝つきもいいので、こんな時間まで起きていることは極稀だ。そんな朝型の弟が、テストも控えていないのに理由も無くこんな時間に買い物に行くだろうか。少なくとも私は、今までに一度もそういう場面に出くわしたことはない。

 弟は友人と近くの公園で話をしてきて、帰りが遅くなることはままあるが、残念ながら今日弟の帰宅を確認したのは既に公園で話を終えて帰って来た時だった。それにアコーディオンカーテンを開ける音がまだしていないので、弟ではないだろう。

 では母か?母ならば、その可能性もなきにしもあらずだが・・・。

「ぎゃああ!!」

 耳をつんざく母の悲鳴で、私の思考は強制的に寸断させられる。そして張り巡らせた全ての考えは無駄だったことに気付かされた。悲鳴の直前にほんの僅か聞こえた気がする何かが突き刺さる音は、母の悲鳴が断末魔のそれだった事を私に教えていた。

 しかし、だからといって一体何になるのだろう。狭い部屋なので出入り口はそう遠くはないが、その為には襖を開けるか、アコーディオンカーテンを開けるかしなければならない。   私にはあんなに大きく響いた悲鳴でも、兄と弟はどうやら目を覚ましていない様だ。母の悲鳴が耳から離れると、水を打ったような静寂が続いた。ということは、襖を開ける僅かな音ですらも気付かれる恐れがある。それに私が終始冷静に行動を執り行えるかどうか、疑問が残る。

 恐らく何の迷いも無く母を手にかけたことから、金銭を奪うだけが目的でないのは想像に難くない。そして我が家にこうして忍び込んでいる以上、何もしなければ全員が亡き者にされることも。

 そう思うと私は全身がどうしようもなく震えた。今までの人生で味わったことのない恐怖だった。憶えず足がすくむ。

 自らの行動が原因で、偶然とはいえ生命の危険に晒される事は幾度かあったが、自らの意思とは関係のない所で、別の力によって生命の危機に晒されるというのは経験したことがない。それも、私がこのままならば必然になる。

 恐る恐る周りを見てみた。ほんの数分前となんら景色は変わる所がない。寝苦しくてぼんやり見つめていた天井の薄暗さも変わっていない。

 ・・・変わっていない筈だ。

 しかし、断続的に聞こえるがさがさという何かをまさぐる音と、実際に自分の目で捉えてはいないが、恐らくそうなっているであろう異常な状況を想像すると、見飽きた筈の私の部屋が、出口のない監獄の様にも映る。

「うわああ!」

 今度は弟の声だった。アコーディオンカーテンを開ける音は聞こえなかった。部屋を物色する音と一緒に、私の頭の中で掻き消されてしまったのだろうか。しかし、聞こえてきた声は間違いなく弟のものだった。

 一応16年間一緒に過ごしてきたので、普段の生活では発することのない狂気に満ちた声でも、皮肉なことに判別することが出来た。

 これで私との距離はもう、壁一枚どころか布一枚しかない。堂々と入り口から入って来たにも関わらず、こちらの部屋に見向きもしないで向こうの部屋の窓から逃げ出すとは考え難かった。

 私に残された時間は、もう幾許もなかった。母の悲鳴が聞こえてから弟の悲鳴が聞こえるまでに、おそらく5分もなかった筈。私だけはきちんと目覚めている分他の二人とは多少は状況が違うが、おそらくそれも本当に「多少」でしかないだろう。

 これ以上迷っている暇はない。

 動かなければ。

 私は言う事を聞かない体を無理矢理説得し、それこそ体全体を使ってどうにか立ち上がった。普段通りに立っているつもりなのに、膝はどうしようもなくがくがくと震えている。全身は鉛の様に重いが、視線だけはなんとか辺りを巡らせる。

 私の視界に真っ先に入ってきたのは、ほんの僅かに開いているもう一つの出入り口、窓の姿だった。逃げ道は2つしかないと思っていたが、ここに来て新たにもう一つ見つけられたことに、私は言い知れぬ喜びを感じた。

 玄関から逃げるとどうしても靴が履きたくなってしまうだろうし、ドアのノブを上手く回して外に出られるのかどうかもわからない。アコーディオンカーテンを開けたならば、その先には予定調和の未来が待ち受けているだろう。

 とはいえそれでも幾分躊躇してから、私は覚束ない足取りで窓のある方に向かって歩き出した。窓には少し重たい感じのカーテンがしっかりとかかっていて、その向こうの景色は全くわからない。しかし私は、妙な確信を持っていた。

 これで、逃げられる。

 心はどうしようもなく焦っていた。素早く行動しようと努めているが、自分の動きはまるでアクション映画の見せ場のようにスローになっているであろうことがわかった。行動と精神がどこか噛み合っていない。

 しかし幸いにもアコーディオンカーテンはまだ開かないし、誰もやって来てはいない。   思っている以上に時間はあるのかもしれない。

 とはいえ油断は出来なかった。視線をまた元に戻す。

 すると、いつの間にやらカーテンはおろか、窓も大口を開けて待っていた。

「・・・・」

 何処か違和感があったので暫くの間その場で佇んでいると、背中に勢いよくアコーディオンカーテンを開ける音が響いた。

 次の瞬間、私は窓から身を躍らせていた。







 眼前に拡がっていたのは、鮮やかな都会のイルミネーションだった。


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