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「どうやって逃げた?」
さすがに、ル・アモンは目をまるくした。
ボレは呑気そうに耳を動かしつつ、伯爵が切り裂いた壁の隙間から、のっそりと入ってきた。それまで、いったいどんな恰好で、木にしがみついていたのか、あまり想像したくなかった。
「わたくしめは、いないことになっておりますからな」
「いないことになっている、だと?」
さも当然と言いたげにうなずき、ボレは小さな黒い目を、小ずるそうに光らせた。ぼくには何となく、仕掛けがわかる気がした。
「囚われていたわけでは、ないんだね。蟻人たちには、きみが見えていなかったんだ」
「もともと、地底から来た者どうし。蟻さんたちの行動パターンなら、手に取るようにわかりますわい。ですが、次からはそうもゆきません」
「次とは?」
相変わらず、開いた口のふさがらない伯爵に、ボレは鼻を鳴らしてみせた。
「よもや、このままお帰りになるつもりじゃないんでしょう。もちろん、王国へ乗り込むんですよね。最初から、そのつもりで来られたはずだ……おっと、暴力はいけませんや」
幅の広い手で制され、伯爵は振り上げかけた膝を、ぴたりと止めた。歯を食いしばるような表情で、ボレを睨みつけている。モグラ男は肩をすくめ、ル・アモンの蹴りが届かない範囲まで、ゆっくりと後退した。
「あなたさまが、どんなお宝をお望みなのか、一向に存じませんがね。わたくしめのカンでは、そいつはわたくしめにとっては、たぶん価値の薄いものでしょうな。ゼモ族が財宝に目がないことは、ご存知でしょう。なに、単純な話ですわい。ボレは、女王がしこたま溜め込んでいるであろう、財宝が欲しいだけでありまして」
サフラ・ジート王国の女王、その名は、バブーシュカ。モグラの語るところによれば、何者にも増して美しいという。
この妖魔の森の樹上に築かれた王国は、しかし女ばかりの国という話ではなかったか。ゆえに男を捕らえて、その「種」を絞ることで、子孫を増やしている。生れてくる子は、すべて女だとか。要するに、男がまぎれ込めばものすごく目立つし、発見されれば命はないのだ。
伯爵は言う。
「お互いの利害は一致していると、こう言いたいんだな。だから手を組まねえかと」
「ようやくご理解いただけたみたいで」
伯爵が求めているものとは、やはりマイルストーンなのだろうか。女王バブーシュカは、伝説の石を所持しているのか。それがどのような形をし、どれほどの大きさなのか、まったくわからないけれど、美しくなければ、ボレは欲しがるまい。たとえそれが、卑金属を黄金に変える力を持とうとも。
「財宝を盗むだけなら、きみ一人で潜入したほうが、効率的じゃないの? 目立つ男が二人も増えては、足手まといになるだけでしょう」
ぼくが尋ねると、ゼモは長い耳を交互に動かした。首を横に振るのと、同じリアクションなのだろう。
「わたくしめでは、いけませんのです。でも、あなたがたお二人なら、簡単にもぐり込めるのです」
「意味がわからないけど」
「お二人とも、とても美しいお顔をなさっておりますからな。それはもう、女人と見紛うばかりの」
ゼモは意味ありげな目つきをし、伯爵は激怒した。
「冗談じゃねえ! おれたちに女の恰好をして、もぐり込めというのか? そんな気色悪いマネができるかよ。おれはな、女を見ただけで、鳥肌が立つように生まれついてるんだ!」
「では、ほかによい方法がございましょうか?」
余裕たっぷりにそう言われて、ル・アモンは見事に言葉を詰まらせた。地団駄踏みそうな勢いでゼモを睨みつけ、それからぼくに視線を移した。なんとなく、居心地のよくない視線が、ぼくの上を這いまわる。
「……一理あるな。任せたぞ、美少年」
「言っておきますけど、ぼくは伯爵が何を欲しているのか、知らないんですからね。あなたがたを置いて、一人で森を出ても構わないんですよ」