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それからぼくたちは、樹上の牢獄に、三日三晩閉じ籠められていた。とくに、変わったことは何もなかった。ゼモ族のボレは、昼も夜も、座った姿勢のまま居眠りを続け、話しかけても、生返事をするばかり。
「モグラ寝入りとは、よく言ったもんだ」
伯爵が呆れてつぶやくと、くっくっと含み笑いを洩らし、また眠り込んだ。夜になると、奇怪な妖魔が小屋の周りをうろつくことも、同様だった。目鼻のある球形の怪火だとか、体を波うたせて飛び回る、生きた絨毯くらいなら、まだ愛嬌があったが、どこが頭で、どこまでが尻尾かわからない大蛇には、閉口した。
そいつは、人間の胴体ほども太い体で、小屋を三重に囲み、ずるずると揺らしながら、一晩かけて通り過ぎた。だから次の朝、日が高くなって、蟻人が戸口にあらわれたときも、ぼくはまだ半分、寝ぼけていた。
昨日の朝と異なり、隊長蟻はぼくに調子を尋ねたりせず、また食物も持参していなかった。ある命令を帯びてきたに違いないという直感とともに、眠気が拭き飛んだ。欠伸混じりに、ル・アモンが言う。
「ネングの納めどき、ってやつか」
「着いて来い。とくに貴様、下手な真似はしないほうが身のためだぞ」
黒革でぴっちりと覆われたような手を、蟻人はかざした。その指が、たちまち鋭い爪をあらわし、また元に戻った。伯爵はおどけたように、肩をすくめてみせた。
「身のためも何も。どう転んでも、お釈迦にされちまうんだろう」
「わたしの爪にかかるより、ずっと安楽に終われる」
「安楽ときたもんだ。人によって、そのての趣味は千差万別だってことを、もうちょっと、お勉強したほうがいいんじゃねえのかい、お姉さん」
「これ以上の減らず口は認めない。あなたもだ」
ぼくに向けられた複眼が、冷たく輝いた。
連れ出されたのは、ぼくとル・アモンだけで、ボレはまるで存在しないかのように、無視された。朝の木洩れ日の中、蟻人に前後を挟まれる恰好で、吊り橋をわたった。旺盛な呼吸を開始した、森のにおいも相まって、ぼくは眩暈を覚えた。
樹上の道に入り、葉叢のトンネルをさらに進んだ。ようやく一列で通れるほどで、蛇行するさまが、昨夜の妖魔をおもわせ、あまり気味がよくない。文字どおり、種を絞るのだと、ボレは言っていたっけ。いい尻をした隊長蟻は、始終無言のまま。先に釘を刺されてしまったので、こちらから、口をきくわけにもゆかない。
そんな彼女の態度こそが、ぼくたちの運命を暗示しているように思われた。
トンネルを抜けると、そこは樹上の広場だった。
ぼくは覚えず、目をしばたたかせた。ここへ来る途中、まったく坂を下っていないから、依然、木の上にいることは確かなはず。なのに、そこには地面があり、丈の低い草が 密生していた。クロッケーが一試合、できそうなほどの広さで、頭上はドーム状に、葉叢が覆っていた。
それでも実際に土を踏むのとは、確かに異なる感触があった。揺れるわけではないけれど、どこか雲を踏むようで、心もとない。原っぱには何もなく、最も奥まったところでは、異様に大きな幹が、壁のように突き出ていた。
途方もない老樹。ひび割れた樹皮は苔むし、樹液のしたたった跡が、無数の瘤を作っていた。上下を葉叢で切り取られ、見える範囲の中心には、大きな洞が、ぽっかりと口を開けていた。ウロの入り口は、あるものを連想させる襞に囲まれ、その先は塗り潰したような真っ暗闇。
洞の前では、二匹のミュルミドン蟻人が、細長い槍を手に、番をしていた。ぼくたちを先導する隊長蟻に、独特な方法で敬礼した。それは古書で読んだ、大昔に滅びた帝国のやり方に似ていた。ル・アモンが、ぼくに囁く。
「ゾッとしないねえ。あの中で、歯車みたいなものが、回ってるようだぜ」
なるほど伯爵の言うとおり、耳を澄ませば、かたん、かたんという、無機質な音が、かすかに聞こえてくる。水車小屋をおもわせる、大きな木製の歯車が回転しているようだ。どういった仕掛けで、何を絞られるのか、想像する気にはなれないけれど。
「とうとう考えてあげられませんでした」
籠絡する意志があったわけではなく、自然にそうつぶやいていた。こちらへ向けられた複眼は、心なしか、目を見張っているように思われた。
「あなたの名前です。ぼくは、その……センスがありませんから」
頭上で葉叢が音をたてたのは、そのとき。