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32(2)

 ル・アモンが逸物を仕舞い終えたところで、異様な音が聞こえた。フクロウが飛ぶのかとも考えたが、音から察するに、少なくともその二十倍はありそうだった。ぼくたちは思わず、格子窓を見上げた。異音とともに、一瞬窓は闇に覆われ、音が止むとまた、また蒼い光を投げかけた。

 窓の外を、巨大な鳥か何かが横ぎったのは確か。どうやらそいつは、ムササビのように、枝から枝へと飛び移っているらしい。

「いったい何が飛んでいるんだろうね、モグラ殿」

 ボレは短い含み笑いを洩らし、小ばかにしたように耳を動かした。

「ここが妖魔の森の異名をとることを、お忘れですか」

「なるほどな。質問する相手を間違えたようだ」

 ル・アモンは、もの問いたげに、ぼくを見たが、魔法使いは妖怪博士ではない。眉をひそめて格子窓を見上げていると、また翼の音が鳴り響いた。今度はゾッとするような妖物の姿を、目の当たりにしなければならなかった。

「うわあ……」

 きっと、ぼくと同じものを見たのだろう。さすがの怪伯爵も、驚きの声を洩らした。

 フクロウでもムササビでもなかった。真紅のマントを纏った男だったのだ。禿頭で、鼻の代わりに大きな嘴がぶら下がり、真円形の目が黄色く輝いていた。そうして翼ではなく、ぼろぼろのマントをはためかせ、樹木の間を滑空するのだ。

 妖物は、たちまち格子窓にへばりつき、ぼくたちをぎょろぎょろと見下ろした。けけっ、と、笑い声とも鳴き声ともつかぬ一声を発し、再び舞い上がると、そのまま異音とともに、遠ざかって行った。妖物を見慣れたぼくも、背筋に冷たいものを覚えた。

「夜の森には、あんなものが、うようよしてるわけだ。これじゃあ、逃げ出そうって気には、なれねえよなあ。誰もが恐女国の女どもに、種を絞られたほうがマシだって、思っちまうだろうさ」

 ふてくされたように、伯爵は床に身を横たえると、間もなく鼾をかき始めた。大軍がぶつかり合うさ中でも、眠れるタイプに違いない。ぼくも腰をおろして壁にもたれ、半分だけ目を閉じた。ボレが話しかけてくるかと思ったが、時おり耳を揺らすばかり。眠気が増すとともに、かれの気配も消えていった。

 夜明けとともに、ミュルミドン蟻人が、戸口にあらわれた。

 例の隊長蟻とおぼしく、無言で木の実を満載した器を、床に置いた。壁にもたれたまま、目を開けたぼくを見て、かすかな驚きをあらわした。

「眠れなったのか?」

「いいえ。外で寝るときは、だいたい、この姿勢です」

 戦場で、と思わず言いかけた。いたいけな少年が、戦争を引き起こしてはいけない。この程度の演技で、蟻兵を籠絡できるとも思えないが、もう少し怖がってみせるべきだろう。

「ゆうべは窓の外を、恐ろしい怪物が飛んで行くのを見ました。恐ろしくて、とても横になる気には、なれませんでしたから」

「やつはただの道化だ。中に入ってくることはない。もし危険と判断すれば、見張りの者が処分する」

「自由の身には、していただけないのですか」

「陛下の命令だ」

「あなたたちは、ぼくを怪物から守ってくださっているのでしょう。そう仰いましたよね。なのに、けっきょくは、ぼくたちを殺してしまうのですか」

 拳闘士が、パンチを相手のツボに入れたときが、こんな感じだろうか。蟻兵はたちまち返答に詰まり、唇を震わせた。

 兵士であるがゆえに、彼女たちは単純明快、理路整然とした法則にしたがって行動する。陛下の命令は絶対。これが彼女たちの行動原理だ。ぼくはいま、絶対であるはずの「陛下の命令」の矛盾を突いた。彼女の困惑は、きっちりと組み合わされた歯車に生じた、ひずみに似ていた。

「多くは語れない。命令なのだ」

 隊長蟻はきびすを返し、外で待機していた別の一匹が、戸を閉ざした。格子窓から射す薄明かりが、床に落ち、木の実の器をぽつんと照らした。外では早起きの鳥たちが、すでにせわしなく鳴き交わしていた。

「おはようさん。もう朝飯の時間かい」

 眠っているとばかり思っていたル・アモンが、片目だけ開けて、皮肉らしく口をゆがめた。それから錘人形のように起き上がると、あぐらをかいて、髪を掻きむしった。

「聞かせてもらったよ。蟻女をあそこまで手なずけるとは、あんたも罪な色男だねえ、美少年」

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