30(2)
「これは幸運な発見なのでしょうか」
雲を踏む足どりで歩きながら、なかば独り言のようにつぶやいた。歩を進めるうちに、樹上の道が、必ずしも完全なトンネル状でないことが、わかってきた。ときには頭上にぽっかりと、青空が覗き、ときには足の下が、剥き出しの枝に変わったりした。
それでも「道」は途切れることなく、半刻近く歩いてもなお、ずっと先まで続いているようだった。
「ないよりは、ましと思うがね。テナガワニが口を開けて待ちかまえているかというと、そういうわけでもなさそうだし」
「本当に、妖魔の森を踏破できるとお思いですか」
「やけに悲観的になってるじゃないか、美少年」
ル・アモンは、ときどきポケットに手を突っ込んでは、何かを探るような仕ぐさをくり返した。
何か隠し持っているのは確実で、それはおそらく、かれがフクロウ党から「盗んで」きたものと思われた。かれはまた、ときどき反対のポケットから羅針盤を取り出して、眺めていた。その只ならぬ目つきを見ると、まるでこの森のどこかに、行くあてがあるようにさえ思えた。
「墜落したときは、本当に死ぬかと思いましたからね」
しがみつくのが人間だからだよ、ヴィオラ。
ぼくの答えを、彼女が気に入ったということか。巨大な、黒い胡蝶。あの瞬間、彼女はぼくたちを闇で包み、「死」を相殺した。そうとしか考えられなかった。口の端を歪めてル・アモンは笑い、ぼりぼりと頭を掻いた。驚いた小鳥が飛び出した。
「何事も運次第ってね。たとえあんたが死にたくても、運がそれを許さなけりゃ、首をくくったって、枝のほうが折れちまうだろう。そんなもんさ」
時おり、樹上の道は、いくつかに分岐した。そのたびに伯爵は、羅針盤とにらめっこし、昂然と進路を決めた。まるでこの複雑怪奇な森の地図が、頭の中に入っているかのように。
それにしても、何事もなさすぎることが、かえってぼくを落ち着かなくさせた。テナガワニどころか、毒蛙一匹いないのは、どういうわけだろう。蛭がぼたぼた降ってくるとか、ブヨの群れに纏いつかれるとか、もっと浅い森でも、普通に起こりうることなのに。
精霊がいれば、情報を引き出せるのだが、そのへんにしがみついていてもよさそうな、下級精霊すら見当たらない。野中の一本の木にさえ、かれらは棲みつくものだから、これは異常事態と言えた。
「まるで掃き清められた神殿の廊下みたいですよ。何者かによって、定期的に、しかも頻繁に、この『道』は管理されている。そう思いませんか」
「都市の道路を掃いてまわる、みょうなやつらを、ジ人と言ったっけか。軍旗のお下がりを身にまとった、あんなやつらが、うろついているというのかい」
「森の奥に、まさかジ人はいないでしょうけど。どうも静かすぎます。こんな場合、ぼくのささやかな経験からすれば、必ず罠が張られていました」
「罠が、ね。いったいどんな野郎が、おれたちを取って食おうとしているんだろうか」
皮肉な笑みを伯爵は浮かべ、ぼくは「運命」という言葉を呑みこんだ。頭上の葉叢がざわめいたのは、そのとき。
風の音でないことは、はっきりしていた。とっさに視線を巡らすと、両側もまた、びっしりと茂みに覆われ、おまけに枝が網状に絡んでいた。なんのことはない、絵に描いて額縁に入れたような罠ではないか。次の瞬間、ばらばらと降り注ぐ木の葉とともに、いくつもの影が落ちてきた。
それらは、影としか言いようがなかった。たちまちぼくたちは、五体の影にとり囲まれた。武器らしいものは持っていないが、彼女たちの爪は、どれも短刀のように研ぎ澄まされていた。そう、影たちはすべて「女」だった。
素肌と織り交ぜるようにして、彼女たちの全身は、黒い甲殻で鎧われていた。金属の鎧とは異なり、ゴムのようにしなやかに、体にぴったりと貼りついているのだが、それが皮膚の一部であることを、ぼくは知っていた。顔の上半分を覆うほどの複眼。神経的に蠢く、長い触角……
ミュルミドン蟻兵だ。
「陛下の領域に足を踏み入れし者ども。男どもよ、陛下の名において、貴様らを連行する」
鼻から顎にかけては、一様に整った「人間の」肌が露出しており、唇は赤くふくよか。硬質だが、やはり若い女の声を発すると同時に、触覚が蠢き、その先端がぼくの頬に触れた。
「その陛下とやらの名前を、聞かせてほしいものだね」
ル・アモンのセリフが終わらぬうちに、蟻兵の一匹が身をかがめ、その肘が、かれのみぞおちに食い入っていた。目を見開いたまま、呻き声をひとつ洩らしたきりで、伯爵はくずおれた。