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  30


 うん、と唸って、木の又から抜け出し、枝に腰をおろすと、頭上の葉叢を風がそよがせた。おそるおそる、体を点検してみたが、どこも折れている様子はなかった。強い打ち身もなく、肘を少々、すりむいた程度。

 自分が生きているばかりか、ほとんど無傷であることが、信じられなかった。

 ボッカーが梢に激突する直前に見た、巨大な黒い蝶の幻が、また脳裏をよぎった。弾かれたように、ぼくは左手に目を落とした。が、紫色の指輪は冷たく沈黙したまま。

(ヴィオラ……まさか、きみが助けたのか?)

 男の呻き声が聞こえて、思わず首をめぐらすと、アモン伯爵もまた洗濯物のように、枝に引っかかっていた。帽子は跡形もなく、マフラーはぼろぼろ。見事な金髪に小枝が絡まり、巣だと思ったのか、小鳥が顔を出していた。

 宙を泳ぐようなかれの仕ぐさが滑稽で、吹き出さずにはいられなかった。あの様子では、たいしたケガもないのだろう。

「美少年、笑ってないで手をかしてくれ」

 木の又から引っ張り出されたあと、かれがまっ先にポケットを探るのを、ぼくは見逃さなかった。目当てのものがそこにあったらしい、安堵した表情も。

 ボッカーは見事にばらばらで、よく自分たちが無傷でいられたものだと、あらためて震える思い。ホコラが外れて、近くの枝に、逆さまに引っかかっていたが、開いたままの扉から覗くと、栗鼠が我が物顔で陣どっているばかり。イコの姿は、どこにも見当たらなかった。

「これでけ派手にぶっ壊れれば、あいつも自由の身なんだろう」

「そうですね」

 伯爵の言うとおり、木っ端微塵になった以上、グレムは機体に縛りつけられることはない。空腹で目を回していたのは気になるが、精霊が死ぬことはないし、見わたせば、ウマノカズラが赤い実をいっぱいつけているので、「メシ」もなんとかなるだろう。

 枝に腰かけ、伯爵はさっそく赤い実を頬張っている。多少ぱさぱさしているが、空腹と咽の渇きを同時に癒してくれる、優良な果実だ。

「ブラックウッド森林地帯に、墜ちちまったようだな。ここを踏破するとなると、ちと骨が折れるぜ」

 別名、妖魔の森。

 狩人さえ寄りつきたがらない、言わずと知れた魔所である。王国の統治も、さすがにここまでは及ばず、言語道断な不帰順族やら、エルフ族が巣食い、獰猛な野獣やら、おぞましい毒虫やら、ありとあらゆる化け物どもがうろついているとか。

「少なくとも、フクロウ党は追ってこないんじゃないですか」

「よく言うぜ。羅針盤は持っているよな、魔法使い殿」

 ぼくが手わたすと、伯爵はしばらく周囲と見比べていたが、やがて「こっちだ」と言い、枝から枝へ身軽に伝い始めた。何が根拠で「こっち」なのか。しかも地上へ降りようとせず、密生した木から木へとわたり歩くのだ。

 けれど、まあたしかに、このほうが無難なのかもしれない。地上には、何がうろついているか、わかったものではない。もちろん、木の上が安全だという意味ではないが。

 鳥が鳴き交わし、猿が吠え、木洩れ日の中を、ゆったりと蝶が舞った。人間をひと呑みにする竜蛇の類いが、今にもぶら下がるかと恐れていたが、とりあえず、危ない生き物とは出くわさなかった。ただ、幹に擬態した一マリート級のヤモリが、のっそりと動き出し、あやうく伯爵が落ちかけたくらいで。

 やがて行く手は、密生した葉叢にはばまれた。梢に蔓草が絡みつき、巨大な緑の壁となって、立ちふさがっているのだ。どうしても迂回できそうにないので、伯爵の目配せに応じて、ぼくはしぶしぶ、短刀を取り出した。呪文を唱えて刀身が輝くのを待ち、おもむろに切りつけた。

「こいつは……たまげたな」

 伯爵が呆然とつぶやくまで、しばらく間があった。そのあいだに、切り開かれた茂みの隙間から、大きな蝶が飛び出し、後方の梢の中に消えた。茂みの向こうは、いわば樹上のトンネルだった。

 中は薄明かりが水のように満ちて、長身のル・アモンが、身を屈めなくても楽に歩けるくらいの広さ。周囲はむろん葉叢に覆われ、足の下は編んだように、枝が絡みあっていた。歩いてみると、雲の上を歩くような心もとなさはあるものの、しっかりと体重を支えるようだ。

 これが自然に作られたとは思えない。大勢が、長い年月をかけて、ここを行き来したためにできたものだろう。人か獣か、それとも、ほかの何かかは、わからないけれど。

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