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「言い含めるも何も。たとえグレムが上機嫌に踊っていたって、これじゃ飛べませんよ」
「そこのところも含めての相談なんだよ、大魔法使い殿。ご覧のとおりのヤサ男なんでね。砂に埋もれたボッカーを、一人で持ち上げるなんて、とてもできない相談なのさ」
思わず左手に目を走らせた。ジェシカを使えば小指ひとつだ。が、もちろんぼくの親指に、飴色の指輪は、もはや跡かたもなかった。
かといって、ヴィオラは論外。ミランダなんか、こんな用事ではとても呼び出せないし、ただでさえ弱っているヘレナを、水のない砂漠で使うわけにもいかない。残るはレムエルだが……ぼくは右手の薬指を見て、溜め息をもらした。あの様子では、しばらく貝になったままだろう。
何でも言うことを聞いてくれそうでいて、その実、ものすごくデリケートで扱い難い。これでは、世の女たちと変わらないではないか。生意気だが、基本的に根が単純な悪鬼のほうが、まだ、つきあい易いかもしれない。
「よほどその女のことで、胸を痛めているようだね」
善鬼の指輪を見つめながら、悩んでいる姿を、そうかん違いされたようだ。ル・アモンは、飛行帽をいい加減に頭にひっかけると、指を揃えて片目を閉じた。
「しかし、憂いに沈む美少年というのも、なかなか絵になる」
「ざれ言を。手は貸しますよ。ジンバに引かせれば、なんとかなるでしょう」
窮余の一策。この場を逃げ去りたい気もちが高じると、よいアイデアが浮かぶようだ。男に色目を使われるのは、気持ちのいいものではない。まして砂漠の真ん中に二人きりだなんて、ご免こうむりたい。
尾翼にからめたロープをガルシアに繋いで、軽く背を叩いた。それだけで、健気にも彼女は首をぐっと前に突き出し、力を込めて砂を踏みしめた。
さほど重いものでもないが、派手に突っ込んでいるうえ、足場もよくない。けれど一歩一歩、蹄が砂に深々とめり込んでゆくうちに、ばりばりと音をたてながら、ボッカーの傾斜が緩まってゆく。ジンバの全身が汗にまみれる頃、胴部の材木をきしませて、ようやくボッカーは砂から吐き出された。
「やあ、素晴らしい。さすがは大魔法使い殿」
投げキッスと、見当違いの誉め言葉から、身をかわした。そもそも魔法なんて、一つも使っていない。
「グレムの名を教えていただけますか。それがわからなければ、呼び出せませんから」
ふつう、ロブロブの真後ろに古風、かつ異国ふうのホコラがあるのだが、この機体もご多分に洩れず、砂まみれのそれがついていた。操縦席側を向いている両開きの扉は、案の定、ぴたりと閉ざされており、グレムの不機嫌を象徴しているようだ。まあ砂漬けにされれば、不機嫌にならないほうが不思議なのだが。
ル・アモンは、砂ネズミのように、きょとんと目をまるくした。
「名前とは? グレムはグレムじゃないのかい」
「ですから、ぼくのジンバがジンバという名前ではなく、ガルシアというように、あなたのグレムの名を知りたいのです」
「そんなことは、考えてもみなかった」
いるのだ、このてのボッカー乗りが。ボッカーを操縦は、おのれの腕ひとつにかかっていると過信して、グレムをただの動力源としか考えない。おそらくこれまでも、グレムに愛想を尽かされては、取っかえ引っかえしてきたのだろう。
ぼくに言わせれば、乗り手なんてただの飾り。優秀なグレムと息が合っていれば、空の真ん中で居眠りしても、きちんと飛んでくれるのに。呆れ果てて、このまま立ち去りたかったが、グレムの封じ籠めたままでいるのも、可哀そうだ。懸命にイライラを抑えて、ぼくは苦笑いを作った。
「グレムのホコラをこじ開ける以外、方法がありませんね。もう飛べなくなるかもしれませんが、それでも構いませんか」
強硬手段にうったえれば、まず飛べなくなるだろう。
アモン伯爵が、いい加減にうなずくのを確認して、さっそくぼくは翼によじのぼり、機首のホコラを覗きこんだ。やはりといおうか、供物はおろか、磨かれた跡さえなく、ずさんに扱われていたのは明らか。おまけに砂を被って、墜落のショックで、少し傾いていた。
短刀を抜いて、呪文をとなえた。刀身が緑色に輝くのを見極めて、それを両開きの扉の隙間に差し込んだ。簡単に手応えがあり、扉がわずかに前方にずれて、隙間が広がった。
(もぬけの殻?)
首をかしげながら、短刀を鞘に戻すと、扉の隙間に指を入れ、ぐっと左右に押し開いた。一般的なグレムのような、老人の精霊を想像していたぼくは、そこに意外な姿を見た。