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一夜明けると、ぼくは一人きりで、ガルシアの背に揺られていた。
泉のほとりから、ヘンリー王の姿は消えていた。まさか、ぼくたちより先に古竜と戦い、屠られたのかとも考えたが、地上で戦闘のあった形跡は、まったく認められなかった。酒が欲しくなって、ふらりと一人オアシスを出た、とでも考えるのが、もっともらしい気がするが。
いずれにしても、奇妙な剣術使いの行方は、杳として知れなかった。
低地人の少女、アザニは、そのままオアシスに残った。彼女を加えた七人の巫女たちは、アブラクサス神像の首から出て、地上の泉のほとりに、住居を移すそうである。古竜が消滅した今となっては、もはや逃げ隠れする必要もあるまい。
別れ際に少女を眺めれば、すでに巫女の風格をそなえ始めていた。やがてオアシスは、かつての賑わいを取り戻し、巫女として再出発したアザニは、人々の尊敬を得るだろう。まさに、水を得た魚のように。
さて、レムエルであるが……
善鬼は指輪に閉じ籠もったまま、一向に出て来ようとしないのだ。まあ、人鬼との一戦の後も、同様に出て来なかったのだから、落ち込んだり、気に入らないことがあれば、「貝になる」のが彼女の性質なのだろう。そんなわけで、
ぼくは一人きりで、ガルシアの背に揺られていた。
ル・ビヨンへ戻る気は、とうに失くしていた。今さら引き返すより、別のルートをたどって砂漠を抜けたほうが、はるかに手っ取り早い。そのうちに、ロムかレムか、双子の竜のうちの一方をつかまえれば、水路から、ずっと楽に帰還できるはずだった。
とはいえ、極めていい加減な地図だけが頼りなので、本当に砂漠を抜ける最短ルートをたどっているのか、こころもとない。まるで大衆芝居の背景にかかげられた、ゼンマイ仕掛けの月日のように、太陽が笑いながら頭上を半周し、月の横顔が半周しても、まだぼくは荒野の真ん中にいるのだった。
途中、不帰順族の野営の跡らしいものを見たし、破壊された荷車や、なかば風化した馬の骨を見た。砂地に貼りつくように生えている、潅木の茂みがあるかと思えば、明らかに砂蟹の巣とおぼしい、ロート状の穴の横を通り過ぎた。もしもうっかり足をとられれば、たちまち巨大な鋏をふりかざし、踊りかかってくることだろう。
墜落したボッカーをみとめたのは、日が傾き始める頃。
オアシスに着く前に、ぼくたちを追い越して行ったボッカーと、同じ機体だろうか。機首から無惨に砂の中に突っ込んでいるが、派手な落ちかたのわりに、機体の損傷は軽そうだった。ただこのありさまでは、乗り手の首の骨が折れていない保障は、極めて少ない。
あるいはその首は、とっくに不帰順族に、持って行かれているのかもしれないが。ただ、機体に掠奪の跡がないところを見ると、ぼくが第一発見者である可能性のほうが、高いようだ。
「おーい、無事なのかい?」
ガルシアを停め、とりあえず呼びかけてみた。人間の返事は期待していなかったが、まだグレムが残っているかもしれない。ボッカーが飛ぶためには、ロブロブを回す精霊、グレムが不可欠だから。
ただし、ボッカーの乗り手は、必ずしも魔法使いである必要はない。もちろん、グレムを機体に憑ける儀式は、魔術師が執り行うが、乗り手に要求されるのは、飛行機械を空に浮かせるための、曲芸じみた技術にほかならない。むしろ、魔法使いが乗り手を兼ねるケースは、極めて稀といえた。
だいいち、ぼくだってごめんである。
「おーい、グレムがいるんなら、解放してあげるよ。この様子じゃ、ロブロブに繋がれたままだろう」
術によって封じ籠められている点では、グレムも使鬼と同様だ。やがて機体が崩れる頃には、拘束力も自然消滅するけれど、それまで封じ籠めておくのも、酷であろう。
「へえ、おまえさん、魔法使いなのか」
反対側の翼の陰から、不意に応える者があった。グレムではなく、明らかに人間の声。だとすると、重症を負っているのではないか。ぼくは慌ててガルシアから飛び降りると、墓標じみた機体を迂回して、駆け寄った。
半透明な翼を屋根がわりに、野宿した跡が歴然としていた。声の主は、散らばった工具の間にあぐらをかいて、ぼくを手招きしていた。飛行帽にゴーグルをつけ、マフラーで口を覆っているため、顔はまったく見えないが、怪我で苦しんでいるとは、とても思えなかった。