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「なぜ……ですの?」
「わたしは『神』を恐れない。『神』の使いと言われる、あなたと違って。それだけよ」
振り向きもせずにそう言うと、炎の剣を振り上げて、ミランダは怪物に踊りかかった。
怪物の二本の蝕腕が、またしても灼熱し、光の防御網を張りながら、ミランダの攻撃を無効化してゆく。合間に繰り出される一撃を、すんでのところで回避しながら、果敢にも、彼女は打ち込むことをやめなかった。
聞き慣れた声。ミランダが剣を振るうときの、短いかけ声が、衝撃音の間を縫って響いた。「神」を恐れぬと、彼女は言った。悪鬼なのだから、神の支配の外にあるのは、当然なのだが、そのうえ彼女は、「自由」というものを、信じているように思われた。
彼女自身が言ったように、使鬼である以上、彼女はぼくの奴隷に違いあるまい。それでも彼女は、どんな境遇にあっても、自身が自由の身であることを、信じ続けているようだった。自由であることを、誇りとしていた。
空を飛ぶ鳥の自由を嗤った、ヴィオラと違って。あるいは、ついに運命は超えられぬと観念した、ぼくと異なり。
「くぅ……!」
短い苦悶の声を発し、蝕腕に打たれたミランダは、墓標をなぎ倒しながら墜落した。おぞましい寛喜の声を張り上げ、見かけとは裏腹な素早さで、怪物は突進した。砕け散る墓標と、水しぶきが、視界を覆った。
「ミランダ!」
いったい、この怪物の持つ「力」は、何に由来するのだろう。網状の光の防御幕。あんなものを出せる竜など、聞いたためしがないし、太古にさえ、存在しなかったのではないか。あの怪物は、古竜の肉体を借りてはいるが、古竜とはまったく異なる「何か」だ。
それが何なのか、けれど、ぼくにはわからない。レムエルが恐れているという、「神」とも異なる気がする。それでも、限りなく「神」に近い、何らかの力……
「フォルスタッフ! ぼうっと見ていないで、援護くらいしたらどうなの? さっきも言ったでしょう、わたしが負けたら、あんたもろとも、お陀仏なんだから」
視界が回復すると、やられたとばかり思われたミランダが、真紅の髪をふり乱し、宙にあらわれた。お陀仏、などという極東の方言を、どこで覚えたのか。そんなことを突っ込んでいる暇もないので、ぼくはマントをひるがえし、紙兵をばらまいた。
もとは人型に切り抜いた、ただの白い紙である。これを何十枚も散布すると同時に、下級精霊を乗り移らせ、目標に突撃させる荒技だ。すっかり衰えた近頃では、とても使えなかったが、ジェシカとハーミアにかかる、ミワの負担が減ったせいか、どうにか技を放つことができた。
紙兵たちは、緑がかった燐光を帯びて、わらわらと宙を舞い、古竜の周囲に群がった。こんなものは、気休め程度に過ぎないとわかっているが、多少なりとも、怪物を幻惑する効果があれば、儲けものである。
「はっ!」
ミランダ宙を蹴るのを見て、ぼくは紙兵たちの半数を、狂った蝶のように飛び回らせつつ、あとの半数を、次々と体当たりさせた。無数の緑色の小さな炎と、ひときわ輝く赤い炎が乱舞した。思えば、こうして彼女と息の合った連携プレイをするのは、久しぶりな気がする。
まんまと紙兵に惑わされて、怪物の防御が甘くなった。二本の蝕腕が空を掻いて、空振りしたのをみとめ、ミランダの口の端に、残忍ともとれる、笑みが浮かんだ。ぼっ、と刀身を燃え上がらせると、真正面から、怪物の脳天をめがけて、打ち下ろした。
炎は竜蛇と化し、古竜の頭部の中心を直撃した。洞窟の中に、聞くにたえない絶叫が、こだまを返した。たちまち怪物の全身は、蒼い陰火に包まれた。四つの眼窩からも、炎が吹き出し、もがき苦しむ両腕のように、宙を掻く蝕腕は、やがて木が枯れるように、ひからびていった。
けれど、燃焼するのでも、腐るのでもない。強いて言葉を当て嵌めるならば、「分解」だろうか。乾ききった土のように、ぼろぼろと崩れ落ちる古竜の肉体は、地に届く前に、どこへとも知れず、吸われるように消えるのだ。
後には、黒ずんだ骨だけが残った。
巫女たちの歌声は、いつの間にか止んでいた。
「まぐれ当たり、とはよく言ったものだわ。この一撃を外していたら、わたしも今頃、どうなっていたか」
そう言って、ミランダは剣を収めると、呆然とひざまずいている、レムエルをかえりみた。驚いたことに、彼女は、涙を流していた。
「憐れんだんでしょう? 最初からこの竜を、可哀そうだと思っていたのよね。だから、殺せなかった。本当は、わたしよりもずっと手際よく、屠れたはずなのに。優しいのは、あなたの勝手だけど、そんなことで、フォルスタッフを守れると思ってるの?」