24(3)
瞬時、ぼくはダーゲルドを思い浮べた。気の遠くなるような時を超えて、古竜を呼び出す方法なんて、ぼくでさえ想像がつかない。もし、そんなことができる魔術師がいるとすれば、ダーゲルド以外、考えられないのだ。
ただ、何を考えているのかわからない男ではあったが、さすがにそこまでの大技を持っていたのなら、伝授されないまでも、弟子のぼくが、まったく気づかなかったというのは、不自然だ。善鬼を味方につけるといった、「裏技」とは、わけが違うのだから。
ぼくは唸った。
「ここにいては、ならないもの……」
「はい。このものも、いにしえは、決して邪悪な竜ではなかったのだと思います。気が遠くなるほどの、永い眠りについている間は、安らかでいられたはずです。ところが、禁断の魔術によって、むりに肉体を与えられ、呼び覚まされたとき、このものの中にあるのは、ただ、孤独、絶望、怒り、そしてすさまじい憎悪でした」
古竜の時代には存在しなかった生き物……人間に対する憎悪というわけか。
「でもいったい、だれが、何のために、そんなことを?」
思わず問い詰めると、悲しげに、レムエルは首を振った。いくら精霊でも、そこまでは計り知れぬだろうし、これほどの術が使える魔術師なら、簡単に尻尾をつかまれたりはすまい。ひとつだけ言えるのは、生きているのか死んでいるのか知らないが、強大な力と、悪魔の心を併せ持った魔術師が、存在したということだ。
巫女たちの歌声が速い、不安定な調子へと変化した。レムエルは翼を広げて宙に浮き、古竜に向けて、いくつもの羽毛を放った。大蜘蛛との戦いに用いた、全方位遠隔攻撃。それらを追うように、レムエルもまた、宙を駆けた。
楽勝だ。と思ったとき、怪物の二本の「蝕腕」が、灼熱するように輝くのを見た。
次の瞬間、無数の蛇をおもわせる、網状の光が放たれて、四方から急襲する羽毛を絡めとり、焼き尽くした。続いて細いツルギを構え、急降下する善鬼を、古竜の蝕腕が弾き返した。またしても、善鬼は地面に叩きつけられたのである。
信じられない光景だった。
あのジェシカを圧倒したレムエルの攻撃を、この怪物は、まったく受けつけないというのか。強い、と言ってしまうには、あまりにも常軌を逸している。まさに、次元が異なるのだ。怪物の存在そのものが、ぼくたちがかろうじて引っかかっている、この時空から超越しているのだ。
この怪物は、「神の力」を持つというのか?
指輪が輝いていることに、ようやく気がついた。親指の指輪はすでになく、ぼくの左手に嵌まるのは、残すところあと四つ。うち、性急に促すように、しきりに明滅しているのは、人さし指の真紅の石だった。火妖ミランダ!
しかし、いったいなぜ、ミランダがここで、逆リクエストしてくるのだろう。もしこれがハーミアなら、明らかに善鬼の危機に乗じて、ぼくもろとも、屠ってしまおうという魂胆だ。けれど、いわば古めかしい騎士道精神にこだわるミランダが、彼女自身が最も嫌う、「卑怯な」まねをするはずがない。
(何を考えている?)
衝撃音を聞いて、再び岸辺に目を向けた。次々と繰り出される蝕腕を、レムエルは剣で受けとめつつ、あからさまに押されていた。二本の蝕腕は海綿よりも伸縮自在で、ハガネより強靭であるらしい。そんな物質が、この世界に存在するいわれはないのだ。
ぼくはミランダを解き放つことに決めた。素早く呪文を唱えると、蛇体のように炎が渦を巻き、真紅の髪をなびかせて、火妖が宙にあらわれた。
「時間がないのよ、フォルスタッフ。ひとつだけ確かめさせて。わかりきっていることだとは思うけど、わたしはまだ、あんたとのミワが切れていない。自由意志で結ばれている善鬼と違って、わたしはあんたの奴隷なの。もしわたしがあの古竜に敗れたら、あんたの命もないってこと」
「古竜と、戦うつもりなのか?」
「じれったいわね、このビア樽。それでもいいのかと、訊いてるの!」
なぜいきなり共闘を申し出たのか。彼女の意志は、限りなく不可解だった。いくらミランダが「騎士」だとはいえ、レムエルを助ける理由など、まったく見当たらない。けれど、逡巡している暇もないので、ぼくは許可を与えた。
ミランダは真顔でうなずくと、炎の剣を振りかざした。そのまま真紅の光の尾を引きながら突進し、ちょうど後方へ弾き飛ばされた、レムエルの前に立ち、古竜と向き合った。燃える髪。ミランダの背中を見上げる善鬼の瞳に、驚きの色が宿った。