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24(2)

「だから、このオアシスには、だれも住んでいなかったんだね」

 亜麻色の髪を、第六の巫女は無意識に掻き上げた。細いうなじが、淋しげにうなだれていた。

「はい。いにしえの竜は、ほぼ十日に一度、あらわれます。ここばかりでなく、地上の泉へも、自在に行き来できるのです。オアシスで足を休める旅人には、わたくしどもが、警告してまいりました。それでも聞き入れてくださらず、長く逗留しようとなさるかたには、なすすべもございませんでしたが」

「もしかして、アザニが加わるまで、きみたちが一人欠けていたのも?」

「旅人が連れた幼子を、救おうとしたのです」

 それ以上、訊くこともできずに、ぼくは口をつぐんだ。代わりに、レムエルが尋ねた。

「それでもなお、泉を守っていらっしゃったのは、どうしてですか」

「ケルビムの眷属さま。ご存知のとおり、大神はわたくしどもに、行く先の出来事を示してくださいます。いにしえの竜は……」

 急に言葉を閉ざし、巫女は弾かれたように振り返った。ほとんど同時に、貫かれるような妖気を感じて、ぼくも水面に目を注いでいた。

 ほの暗い泉は、奇岩から洩れる光を、うっすらとたたえたまま、あくまで静まり返っていた。そこへ、わずかに気泡が浮かび上がってくるのだ。最初はそれと気づかぬほどの、細かな気泡だったが、しだいに膨らんで、一箇所だけ沸き返るように、ごぼごぼと音を鳴らし始めた。

 不思議な歌声が、泡の音に調和した。見れば、七人の巫女たちは手を繋ぎ、低い声で歌っているのだった。

 竜封じの歌。気の荒い竜の心をなだめ、眠らせる時に用いる歌だ。けれども、巫女たちの願いを掻き消すかのように、泡の音が激しくなり、水中に黒々とした影があらわれた。

 巨大な影の中で、四つの光る点は目玉だろうか。影を中心に、渦が巻き起こり、泉全体を呑むかのように広がると、いきなり毒々しい赤色をした、二本の腕のようなものが突き出された。

 腕……なのだろうか。その手にあたる部分は、奇怪な花のようであり、真ん中に開いた、巨獣の鼻孔をおもわせる穴が、絶えず伸縮を繰り返していた。

 次に渦の中からあらわれたのは、異様にずんぐりした、竜の頭部だった。これはまさに「邪竜」である。

 硬い、けれど、白っぽく、のっぺりした皮膚は無数の小突起に覆われ、後方に並ぶ四つの眼の辺りまで、深々と裂けて、びっしりと生えた歯を覗かせていた。二本の「腕」は、竜の鼻先から生えているのだった。

 象類の鼻と同様に、おそらくあの「腕」には、骨が入っていないのだろう。骨がなければ、化石も残らない。だから、洞窟の壁にあらわれた古竜の骨からは、あの奇態な器官は、うかがい知れないのだ。

 巫女たちの、悲しげな歌声が静かに響いていた。

 水面から、頭部だけを突き出した怪物は、亡霊が喘ぐように、二本の蝕腕を蠢かせながら、墓標の並ぶ岸辺へと近寄ってきた。やがてあらわれた背中には、さらに太い突起が突き出し、翼のような鰭のような、黒い器官が一対、ぶるぶると震えていた。

 前脚も黒い鰭状で、その先に鋭い爪が覗いた。後脚は、太く短い尾の根もとで、ほとんど萎縮していた。体に対して頭部が異様に大きいことが、おぞましい印象を強め、赤い二本の蝕腕に至っては、言語道断としか言いようがなかった。

 墓標を踏みしだきながら、怪物はのろのろと這い進んだ。見かけの不気味さに圧倒されたが、地上では動きが鈍くなるのは、明らか。レムエルを見れば、すでに手甲をあらわし、翼を高く広げて、迎撃態勢に入っていることが知れた。

 レムエルなら、このいかにものろまな怪物を、簡単に屠れるのではないか。そう考えたとたん、赤い閃光が走った。

 何が起こったのか、瞬時、理解できなかった。レムエルの体が宙を舞い、背後の岩に叩きつけられるのを見た。白い羽毛が散乱した。怪物は狂喜するように体を震わせ、奇花をおもわせる蝕腕の先端を、毒々しく開閉させた。

 あれだ。あの蝕腕を、一瞬にしてここまで伸ばし、レムエルを急襲したに違いない。

「だいじょうぶか!」

 うつ伏せに倒れた姿勢から、ようやく彼女は身を起こした。片膝をつき、髪を掻き上げた。きりきりと前方を睨みつけたまま、善鬼は言う。

「フォルスタッフさま、このものは、ただの古竜の生き残りでは、ないようです」

「どういうこと?」

「太古に滅んだ竜が、ここにあらわれるいわれは、やはりないのです。巫女どのの仰るとおり、決してあらわれては、いけないのです。どういう経緯かは存じませんが、このものは、太古の世界から、呼び寄せられたようです。何者かが用いた、邪悪な魔法によって」

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