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 中空で、アザニは炎の塊を抱きしめた。

 スプーキーが変化した火の玉は、少女の、痛々しいほど痩せた腕の中で、煩悶し、暗い赤の色彩を失い、そして消滅した。できごととしては、一瞬だったのだろう。けれどぼくの目には、それが夢のように、緩やかに映った。

「アザニ!」

 思わず名を呼ぶと、着地した少女はぼくを振り返り、また少し微笑んでみせた。火の塊を抱いたというのに、真新しい巫女の服は純白を保ったまま。むろん、彼女自身も無傷であるようだ。

(これが……エニシの力か)

 水を得た魚、という言い回しがある一方で、タジール公領では、「轍の中の魚」という言葉をよく使う。ワダチにできた水溜りで、魚があっぷあっぷと苦しんでいる、そんな窮状の比喩である。タム・ガイの家にいたときのアザニが、まさにワダチの中の魚であった。

 本来、彼女が持っていた能力を封じられ、ひたすら奴隷としての苦役に、甘んじなければならなかった。

 能力を封じられること。魚のように、どこまでも泳いで行ける力を、轍の泥水の中に、閉じ籠められてしまうこと。これほどおぞましい「試練」が、ほかにあるだろうか。けれども今、彼女は文字どおり、水を得た。エニシの力に引かれて、ここへ辿り着いた。

 全ての能力のある者を、いつかエニシがその苦境から解放して、思う存分泳ぎ回れる「場」を与えてくえることを、ぼくは願うばかりだ。

 閑話休題。スプーキーどもは、これを見て、たちまち這い寄るのをやめた。フードの中の赤い眼が、明らかな怯えに震えていた。アザニは、あくまで無防備な姿勢で、たたずんでいた。最も近くにいた一匹が火を吐いたが、アザニはまるで赤い毬と戯れるように、片手で受けとめた。

「勝負あったな」

 もはや完全に戦意を喪失し、怪物どもは、すごすごと後退を始めた。今なら呪文で、一網打尽に封じてしまえるのではないか。そう考えて、短刀を抜こうとしたぼくの手を、いつの間にかレムエルが間近に寄って、やんわりと制した。

「イニシエーションは終わりました。すでに彼女は、一人前の巫女です」

「放っておくのか? ここで逃がしてしまえば、こいつらはまた勢いを盛り返して、襲ってくるよ」

「本当は、あなたもおわかりでしょう、フォルスタッフさま。スプーキーたちが、操り人形に過ぎないことを」

 ぼくは返答に詰まった。

 たしかに、その間にも、すさまじい妖気の塊が、徐々に近づきつつあった。火吹きお化けどもは、すでに水際まで後退し、墓標の間に潜り込んだ。その背後。不気味な静けさをたたえた水の底から、たしかにそいつは、這い上がって来るようだ。

「つまり、あいつが、ぼくたちのお相手というわけ?」

「戻りなさい、アザニ」

 ぼくがレムエルに耳打ちするのと、第六の巫女が声をかけたのが、ほとんど同時だった。アザニは踵を返し、軽やかに駆けて戻ってきた。木製の鈴の音が、心なしか、悦ばしげに響いた。第六の巫女は少女をねぎらい、それからぼくたちに近づいて来た。

 ぼくは尋ねた。

「いったい、あの水の中に、何が棲んでいるというの?」

 常に無表情だった、第六の巫女の眉間に、苦悶の皺が刻まれた。彼女は水面に目を遣り、それから、さっき通ってきた横穴を振り返った。

「いてはならないもの。とっくに骨になっていなくては、ならないものです」

「あの、化石の……?」

 太古に滅んだ、竜の種族。かれらの風化した姿が、まざまざと脳裏に蘇る思いがした。

 そういえば、レムエルは最初、妖気の正体を、「邪竜」ではないかと疑った。第六の巫女が言うようなものが、水の底に潜んでいるのであれば、善鬼の直感も、さほど間違っていなかったことになる。同時に、巫女たちが神像の首の中に住んでいた疑問も、おのずから氷解するようだった。

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