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水中の扉をくぐると、今度は階段が、下降から上昇に転じているのだった。頭上に眺められる光の幕は、明らかに水面とおぼしい。
「……?」
位置を考えても、地上に出たとは思えない。まだ泉の下にいるのは確かなのだが。
レムエルに顔を向けると、大きくうなずいてみせた。それから魚のように、ぐんぐん上昇して、未知の「地上」を覗いたもよう。すぐに顔を引っ込めると、ぼくに手で合図して、上って来いという。
ぼくは浮力に逆らうのをやめて、箔を散らしたような水面を目指した。途中から階段がとぎれ、もと来た泉とそっくりな、大理石のプールがあらわれた。水底には、やはり神像や石柱の残骸が横たわっており、見たこともない魚たちが泳いでいた。
水面を突き抜けると、がらんとした空間があらわれた。
巨大な洞窟の中とおぼしく、天井の高さも含めて、王宮の大広間をしのいでいる。ぼくたちが浸かっているのは、洞窟の端にある泉といったところ。縁は大理石で整えられ、階段もあるので、容易に上陸できた。
「フォルスタッフさま」
レムエルはまた一枚の、真っ白いシーツを手にしていた。それを見たとたん、洗濯娘たちが「消えた」カラクリを、ようやく理解した。そうして、おそらくアザニも。
見わたしたところ人影はなく、気配すら感じられない。
「これは……」
巨大な振り子をおもわせる、吊りランプがぶら下がり、生きもののような炎を上げていた。香草を混ぜて焚くのか、甘い芳香が満ちていた。
崩れかけた神像の多くは、象や馬や鷲など、いずれも獣頭の神々で、現在ではほとんど見かけない、かなり起源の古い像とおもわれた。
けれど、ぼくが驚きの声を洩らしたのは、最奥の壁を、天井までふさぐ形で横たわる、巨大な神像の首を見たからだ。
(大神アブラクサス!)
その首は、通常、多くの神殿で見かける大神の像とは、似ても似つかなかった。
ほとんどの場合、アブラクサスは慈愛の表情を浮かべ、穏やかにヒゲをたくわえた、初老の男として造形される。ところが、ここに横たわる巨大な首は、魔神と区別がつかない。髪を振り乱し、目を怒らせ、牙を剥き出しにして、恐ろしげなツノまで生やしている。
それでもこの首が、同じ大神像だとすぐにわかったのは、古い魔法書の写本の挿絵で、見知っていたからだ。どうやらこの像は、アブラクサスの原型といおうか、より古いイメージの造形にほかなるまい。
頭部だけとはいえ、風化や破壊にさらされず、これほど完全な形で残っているケースは、極めて稀だろう。
「魔法使い殿ですね。そちらは、ケルビムの眷属のかたとお見受けします」
異形の神像に見とれていたおかげで、彼女たちの出現にも気づかないまま。驚いて視線を引き戻すと、白いゆったりとした服に身を包んだ、六人の娘たちが居並んでいた。ここにおいてぼくは、彼女たちこそレムエルが見かけた「洗濯娘」たちであり、落ちていた白い布はシーツではなく、彼女たちが身に纏う、古代風の衣装にほかならないことを悟った。
「きみたちは……」
「お察しのとおり、神殿を守る巫女です。大神のエニシに従い、あなたがたをお迎えいたします」
巫女たちは、まるで一つの胎から同時に生まれた姉妹のように、背格好から顔かたちまで、似通っていた。きめ細かな亜麻色の髪は腰まで届き、瞳の大きな愛くるしい顔だち。ハーフ・エルフのように、耳が尖っていることに気づいた。左の手首と右の足首に木製の鈴をつけており、身動きするたびに、軽やかな音をたてた。
現在の、いわゆる「神託の巫女」たちの原型を見る思いがした。ただ、神託の巫女なら、どんな辺鄙な神殿に行っても、七人と数が決まっている。古い時代は六人だったという話は聞かないから、一人欠けていることに、違和感を覚えた。
「どうぞ。これから式を、始めるところでした。あなたたちに列席していただけることは、大神の御意にかないます」
さっきとは別の巫女が言うのだが、声もまた、区別し難いほどそっくりなのだ。
ぼくとレムエルは顔を見合わせ、すでに先に立って行く、白い巫女たちに従った。
人の背丈の三倍はある、獣面神の間を通り抜け、異形の大神の、やや傾いたまま据わっている首の前に出た。巫女たちは立ち止まり、一人が誘うように振り返ると、また歩を進め、今にも大音声で叫びだしそうな、生き生きと彫刻された首の、その口の中へと、入って行くのだった。