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20(2)

 考えこんでいる間にも、オアシスは目の前にせまった。

 やはり、古代神殿の跡と思われる。かなり古いものらしく、それだけで、広大な敷地を占めているようだ。もともと城砦都市の中にあったのだろうけれど、街が砂漠に呑まれ、堅牢な神殿の壁や柱ばかりが、草木とともに、取り残されたとおぼしい。

 レムエルが言ったとおり、あやしげな気配は感じられない。こういった砂漠の森に多い危険な生き物。例えば剣歯猿の鳴き声なんかも、聞こえないようだ。梢の奥では、鳥たちが、のどかにさえずっているばかり。

 風化の進んだ石畳に乗り入れると、ようやく涼しげな陰に包まれた。

「ほんとうに、だれもいないなあ……」

 ジンバをゆっくりと進めながら、左右を見回したが、人影はない。潅木の茂みや下草は、沈黙を守っていた。

 木立の中に、大きな神像がごろりと横たわり、その上に積もった土から、また木が芽生えていた。フェリックがちょろちょろと行き交うさまが、可愛らしい。巨大なトロフィー型の供物入れも台座から落ちて、中を覗けば水が溜まり、赤茶色の有尾蛙が呑気そうに泳いでいた。

「まんざら、千年も人が住まなかったわけじゃ、なさそうだがな」

 ビア樽がちゃっかり目を覚まし、河馬のような欠伸をしながらそう言った。

 たしかに、多くの場合、倒れずに残っている柱や石壁には、粗末な板を組んだ小屋や、木戸が寄りかかっていた。ただそれらもまた風化しかけており、ひこばえを芽吹かせた、隙間だらけの板の間からは、とっくに生活の痕跡が払拭されていた。ヘンリー王は、鼻をひくつかせた。

「うれしいねえ。水のにおいがすらあ」

 古代神殿は湧き水の周りに築かれる場合が多く、ここもそのために、オアシスとして残ったのだろう。さらに奥へ進むと、半壊したドームがあらわれ、鬱蒼と茂る樹木が、それに寄り添っていた。壁には半神である英雄たちのレリーフが刻まれ、いかめしい力瘤を競いあっていた。

 トンネル状の木立の奥に、青々と水をたたえた泉が覗いた。爽やかな水気を含んだ微風が、頬に触れた。洗濯娘たちの姿は、まだ見えない。

「驚かせてはいけませんから、わたしは梢にいます」

 ふうわりとレムエルは舞い上がり、葉叢の中に隠れた。そんなに気を遣わなくても、娘たちが恐れをなすのは、歩くビア樽に対してではなかろうか。

 さらに歩を進めると、泉の全貌が開けた。ル・ビヨンの共同浴場の五、六倍はあるだろうか。白い大理石で四角く囲まれ、太い柱が水に浸かっていた。浮島のように、水面にあらわれた潅木の茂みは、噴水の跡らしい。そのうちいくつかは、まだ生きており、怪獣や獅子の口から、清らかな水を盛んに吐き出していた。

 洗濯娘たちは、どこにも見当たらなかった。

 すでに仕事を終えて、引き上げたのだろうか。それとも上空から偵察したレムエルが、輪踊りする森の精の像を、それと見誤ったのか。執拗なまでに調べ尽くすハーミアと異なり、善鬼は斥候には向いていないようだ。

「この子を頼むよ」

 低地人の少女を、ヘンリー王が軽々と抱えるのを見届けて、ぼくもジンバを降りた。水際には、朽ちかけた板囲いや、手すりが残っていた。ガルシアが嬉しげに鼻づらを水面に浸すと、ゆるやかな波紋が広がった。警戒心の強い彼女が飲むのだから、この水は安全なのだろう。

 掃き清められたような石の上に、ヘンリー王が少女を横たえた。ぼくは片膝をついて、水をすくった。ひんやりとして、どこまでも澄んでいた。口に含んだとたん、咽に吸いこまれるように消えた。革袋に溜めた、変なにおいのする井戸水とは、比べものにならない。体に異変が起きないのを確かめてから、少女の頬に、数滴垂らしてみた。

「ああ……」

 たちまち少女は、うっすらと目を開けた。あくまで蒼ざめていた頬に、ほんのりと赤みが宿っていた。男たちと異なり、低地人の女の肌は、成長してもあまり青黒くならない。

「水を飲ませたいんだけど、起きれるかい」

 少女はうなずき、ぼくに支えられながら、上体を起こした。水をすくって口に含ませると、全身に生気がみなぎるのがわかった。ぼくの掌を、小さな舌の先がちろりと撫でた。次に少女はみずから水際まで這い寄り、野性的ともいえる仕ぐさで、思うさま水を飲んだ。

「昔のことが思い出せる?」

 ようやく顔を上げた少女に尋ねると、驚いた小動物のように振り返り、しばらく考えてから首を振った。

 ぼくはついに、名前を考えることができなかった。ゴブリアーナにしたのでは、上から何が降ってくるかわからない。

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