19(2)
レムエルが出て来ないのも、ぼくの無慈悲な言葉に、気分を害したからにほかなるまい。
「名前を考えなくちゃなあ」
あくび混じりに、ヘンリー王が言う。疑問符を顔に浮べて振り返ると、呑気そうに両手を頭の後ろで組んだまま、
「その嬢ちゃんの名前さ。目を覚ましたところで、思い出せねえんだろう」
「そういえば、そうだね。宿で食事している時にでも、訊いておけばよかったけど」
「目が覚めても名前がねえんじゃ、可哀そうだぜ。こいつばかりは、自分でつけるもんでもねえしな」
見わたす限り砂ばかりの、単調な景色。さっきのボッカーが、唯一の見ものだったけれど、それもとっくに視界の外。退屈を紛らすには、何か考えているのが、ちょうどいいのかもしれない。
本当は名前だけではなく、少女がどこから来たのか、聞いておくべきだった。けれど、あの状態から、記憶を消さずに目覚めさせたとき、果たして少女が正気を保っていられるかどうか、心もとなかった。たとえ故郷に帰ったところで、身寄りの者が生存しているのか、これもまた心もとないのだが。
「やっぱり、低地人らしい名前のほうがいいのかな。アル・ス方面の都市にいるような女の子の名前だと、不自然だろうし」
「どっちでもいいんじゃねえか。要は、この嬢ちゃんに似合ってりゃあいいのさ。よろしくな」
「よろしくな、って。ぼくにだけ押しつける気か?」
再び振り返ると、かれは歩きながら、いびきをかいていた。何て器用な男だ。
はっきり言って、ぼくは名前を考えるのが苦手である。宮廷の物語作家たちは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと、ありもしない名前を、次から次へ思いつけるものだと感心する。今乗っているジンバだって、新たに名づけるのが面倒というだけの理由で、ガルシア二世にしたくらい。
一般的にこういうのを、「センスがない」という。
「ゴブリアーナなんてどうかな」
「素で言っているんですか」
驚いて、辺りを見回した。左方斜め前方の中空に、こちらを向いて善鬼レムエルが浮かんでいた。
ゆるやかに羽ばたく白い翼は、明るい陽のもとで見ると、一点の染みもない純白が、いっそう引き立つようだ。彼女の瞳の色が、「青」よりも「碧」に近いことに、初めて気づいた。
というより、こうも勝手に指輪から出たり入ったりされては、「ご主人さま」の面目丸つぶれである。そのうえ、人が頭をひねって考えた名前を、一言のもとに却下するとは何事か。
「フォルスタッフさま、あなたには慈悲がなさすぎます。妙ちきりんな名前をつけられて、彼女が周りからからかわれ、傷つくことがわからないのですか」
軽く組んだ、ふっくらとした腕の先には、昨夜と違い、手甲をつけていなかった。ちょっと怒った表情も、引き締まって美しい、確かにいい女だ。が、そんなことよりも、
「言うに事欠いて、妙ちきりんとは何だ。きみだって、今ぼくを、ものすごく傷つけたぞ」
「理解できませんが」
「ああそうだろうさ。何でも自分が正しいと思っているから、理解できない。正義という名の暴力をふるっていることに、きみは気づかないし、気づこうともしない」
「正義の何がいけないのです? 正しさは、陽の光のように、はっきりしているからこそ、正しいのではありませんか」
「お生憎さま。ぼくたち人間は、光だけを浴びては、生きられないようにできている。闇が必要なんだよ。奇麗ごとだけで幸福になれるんなら、何千年も前に戦争はなくなっている」
「罪の芽をかかえて生まれてくるのは、仕方のないことだと思います。肝心なのは、悪の芽を摘みとり、自身の内から闇を払う努力を怠らないことです」
「その努力という言葉、二度とぼくの前で使わないでくれ!」
ぼくの剣幕に、レムエルは少々たじろいだ様子。ジンバの歩みに合わせて宙を後退しながら、首をかしげた。髪が砂金の輝きを帯びた。
「なぜですの?」
「そんなものは自分勝手にすればいいのであって、他人に押しつけるべき言葉じゃない。その言葉を押しつけられて、命まで落とした例を数多く見てきた」
「わかりました。これからは気をつけます」
なんだ、意外にしおらしいじゃないか。そう感心したのも束の間、またしても善鬼の眉が吊り上がり、攻勢に出てきた。
「なぜあの哀れな人鬼に、無慈悲な言葉を投げつけたのですか?」