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ヴィオラを紫の指輪に封印してしまってから、ぼくは彼女の夢を頻繁に見た。
夢の中の彼女は、必ずしもぼくを責めてはいなかった。けれどもそれは、ぼくの願望に過ぎなかったのかもしれない。
(まだぼくを憎んでいるのか)
(我に汝を憎む理由はない)
(ミワから解き放たれなくないのか。自由になりたくないのか)
(自由など、しょせん幻想に過ぎぬ。人は鳥の翼に憧れるが、鳥は翼を得たばかりに、休む間もなく世界じゅうをさまよう宿命を、背負わねばならなかった)
(まだダーゲルドを愛しているのか)
(……)
(だからぼくを、許すつもりはないのだろう。答えてくれ、ヴィオラ)
(我は使鬼なるぞ。それが答えだ)
かれが席を立つ気配で、ようやく我に返った。
「どこへ?」
「少し外が見たい。この街は、久しぶりだ」
二人ぶんの勘定を払い、青猫亭を出ると、ダーゲルドは店の前にたたずんでいた。フードつきのマントが、重々しい影を引きずっていた。
人は死期が近づくと影が薄くなるというが、魔術師の場合は、その逆であるらしい。影の存在がだんだん強くなり、ついにはそいつに呑まれてしまう。人の道に外れた技。神というのか何というのか知らないが、光り輝く存在に背を向け、ひたすら闇の力に頼ってきた、その報いなのだろう。
ぼくもまた、近頃では明るい月夜など、自身の影を見てぎょっとすることがあった。そいつは見知らぬ生きもののように、いつかぼくというクビキを逃れて、復讐を果たす日を虎視眈々と狙っているのだった。五匹の使鬼たちの意志を、代弁するかのように。
「ほお、ブリキの自走夜警が、まだいるんだな」
いつしか、かれと肩を並べて、淋しい通りを歩いていた。
両側の貧家の窓から、頼りない灯りが洩れているばかりだが、欠けはじめた月の影が落ちて、街路を蒼白く浮かび上がらせていた。かん、からん、と、うつろな音を響かせながら、不恰好な影が近づいて来た。ダーゲルドは、この影のことを言ったのだ。
それは古めかしい夜警の制服を着せられた、ブリキのゴーレムだった。中に機械仕掛けもなければ、人が入っているわけでもない。まったくのうつろだという。むかし、幽閉されていた大宮司を監視するために、何十体も作られ、強力な魔法によって動いていたという。
「たまに見かけますね。もはや幽霊を見たほどにも、気にかける住人はいませんよ。どこから来てどこへ行くのか。日が落ちると同時に、ふらふらとさまよい出て、クロック鳥が鳴く頃には、いつのまにか消えちまいます」
かん、からん。
やや前屈みの姿勢で、自走夜警はぼくたちとすれ違い、右に左によろめきながら、街路の角を曲がって消えた。
ぼくたちはどんどん街外れまで歩き、丘をのぼる小道にさしかかった。月が丘を照らし、奇妙な巨獣のように見せていた。実際に、かつてこの丘には、びっしりと牙の生えた口で常にニヤニヤ笑いしている巨獣が棲み、人をさらって食っていたとか。今では頂上に、古代神殿の廃墟が残るばかりである。
倒れた石柱に、ダーゲルドは腰をおろした。いかにも疲れきったかれは、今にも自身のマントに押しつぶされそうだった。ぼくは突っ立ったまま、月とダーゲルドと向き合う恰好。
「長生きなんか、するもんじゃない。生命力の強さか、それとも悪運というやつか。いずれにせよ、老醜をさらす恰好となった」
「あなたのミワは、まだ充分強力ですよ」
「気休めはいい。おのれのミワのことは、おのれが一番よくわかっている。指輪をすべて抜き取っても、このザマだからな。シザーリオが封印されたままでよかったよ、フォルスタッフ。彼女には……」
こんな姿を見せたくなかった。
という言葉を、きっとかれは飲み込んだに違いない。