表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/136

15(1)

 15


「あの野郎、そろそろおっ始めやがったな」

 ヘンリー王のつぶやきが耳に届き、ぼくは眠りから引き戻された。かり寝のつもりが、すでに真夜中らしいことは、空気から察せられた。

「だれのことを言っているの?」

「ゼイロクとか言ったっけか。力士くずれの宿屋荒らしさ。忍び足で、この部屋の前を通り過ぎやがったのは、ちょうどさっきよ」

 どうやら寝言ではないらしい。あれほどしこたま飲みながら、この男は、ずっと起きていたのだろうか。

 もう油が残り少ないらしく、吊りランプの火は、ほとんど消えかかっていた。闇に蝕まれた部屋には、鬼気としか言いようのない、すさんだ気配が満ちていた。

「力士だって?」

「気づかなかったかい? 一見、だらしなく膨らんでいるように見えて、やつは全身筋肉の塊さ。いざとなりゃ、宿に居合わせた者の首を、一つ残らずへし折るくらい、わけなかったろうさ」

「でもぼくたちには、あっさり正体を明かしただろう」

「なに、あんたとおれが、筋金入りのワルだってことくらい、裏稼業の人間にゃ一目でわかる」

 お互い、やばい世渡りをしているのだから、干渉はなしにしましょう、といったところか。

 むろん、ゼイロクが何をしようと知ったことではないが、低地人の少女が巻き添えをくうのは、あまり感心しない。往々にして、罪の少ない者ほど、罪深い暴力の犠牲になりやすい。

 そんなぼくの気持ちを察してか、ヘンリー王は笑い混じりに言う。

「感傷的だねえ、相変わらずあんたは。何百年生きたって、とことん女で苦労するタイプだ。そんなに心配なら、様子でも見てくるかい」

 床でごそごそと、巨体が起き上がる気配。同時に、のしかかるような視線の圧力が、すっと弱まった。視線の主は、明らかに蜘蛛の巣に覆われた天井にいて、ランプが消え、真の闇がおとずれるのを、待ち構えていたような気がした。

 灯りが消えてしまう前に、ぼくは袋から、蛍貝の化石を取りだした。せいぜい二セトル程度の巻貝で、呪文をかけてやると、内側からぼうっと、緑色の光を放ちながら浮遊した。ヘンリー王が、子供のように目をまるくした。

「便利なもんだ」

「大昔は、こんな生きものがいたんだね。魔法で生き返らせても、一晩しかもたないけど。ぼくが動けば、勝手に前へ移動して照らしてくれるから、手燭代わりにはなるよ」

 じっ、という断末魔とともに、吊りランプが燃え尽きた。蛍貝はぼくの思念を読みとって、ふらふらと扉の方へ漂った。掛け金を外し、半分くらいドアを開けた。ねっとりと、粘つくような闇が廊下を覆っているばかりで、とくにもの音は聞こえなかった。

 廊下に出ると、すさんだ空気が、ひやりと肌に触れた。人が住まなくなって久しい家、特有のにおいがした。

 すべてが幻ではなかったのか?

 そんな疑いが、ぼくを嘲笑うように、脳裏でこだまを返した。低地人の少女も、宿屋荒らしのゼイロクも、料理や酒も、何もかもが本来は存在せず、住む者とていない宿屋が、荒野に建っているだけではないのか……

 斜め向かいの扉は、簡単に内側に開いた。先に蛍貝が入って中を照らしたが、藻抜けの殻で、寝台に寝た形跡すらない。ただ、古びた革の鞄が、ぽつんと壁に寄せてあるばかり。

「おい、やつが向かったのは、そっちじゃないぜ」

 扉を閉めて、左へ向かおうとしたところで、ヘンリー王に肩をつかまれた。

「いいんだ。先に確かめておきたいものがある」

 かれは目をしばたたかせ、次に合点がいったように、うなずいた。

「なるほどな、例の貴婦人ってやつか」

 蛍貝に導かれながら、ぼくたちは、みょうに曲がりくねった廊下を進んだ。精霊の目で見たとおり、細く開いた扉は、たしかに存在した。金具が錆びついたまま、何年も経っているような、ひどく固い扉で、ビア樽が通れるようになるまで、多少の喜劇が演じられた。

 その先に、また廊下が続いているのも、予想どおりだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ