表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/136

14(2)

「あれは……!?」

 覚えず声をあげた瞬間、映像がふっつりと途切れた。

 背後から、何者かによって匙がへし折られたのがわかった。精霊は逃げ去り、もはやぼくに何の情報も送ってこなくなった。たかだかスプーンとはいえ、ずいぶん硬くて太いやつだ。それを一瞬でへし折るのだから、凄まじい力が加えられたに違いない。

「おい兄弟、どうした。何が見えたってんだ?」

 ヘンリー王が赤ら顔を近寄せ、酒臭い息を吐きかけた。それでようやく、茫然自失の体から立ち直った。

「……女だ」

「なに?」

「貴婦人のようなドレスを着て、椅子にかけていた。豊かな髪が、金色のベールのようだった。歳はまだ十七、八だろうか。おそろしく奇麗な顔で、こちらを向いて、少し淋しげに微笑んでいた。やや蒼ざめた顔に比べて、唇は血のように赤かった。膝の上で軽く手が組まれているが、その右手の薬指に、美しい銀の指輪が嵌めこまれていた」

 女を見たのは、ほんの一瞬だった。にもかかわらず、その指輪の輝きは異様なインパクトで、ぼくの目に焼き付けられていた。ヘンリー王が尋ねた。

「この蜘蛛の巣の宿屋には、貴婦人みてえな若い女が住んでいるってえのかい?」

「住んでいるというより、幽閉されているみたいだったな」

 あんな奥の部屋に押し籠められていること。そして淋しげな、何かをあきらめたような微笑。幽閉されていると考える以外、どんな解釈があるだろう。いずれにせよ、人鬼のやることは、どこまでもえげつない。

 この粘りつくような執着心が、人鬼とデモンの性質をわけている。どちらも人の心の負の側面が増幅された姿だが、ザミエルをはじめデモンたちは、いわば抽出された悪の形であり、対して人鬼は沈殿した悪。あるいは、最近出回りはじめているウォーカー酒のような蒸留酒がデモンならば、人鬼は最も原始的なにごり酒だろう。

 よって、人鬼にデモンの洗練はない。悪のための悪をはたらくのだという、虚無感やあきらめもない。人鬼はもっとどろどろした、あまりにも人間的な執着の中でのたうちまわり、果てしない欲望を自我とともに肥大化させ、あくまで自身の欲望のために悪事を行う。

 と、ここまで考えて、自嘲せずにはいられなかった。ぼくだって、稀代の悪党と呼ばれた男。生に執着して、三百年も行き続けている愚か者だ。きっとタム・ガイとぼくは、どこか似ているのだろう。だから、暗いエニシで結びつけられたのだろう。ただ、ミランダの言葉を借りるなら、

(やりかたが気に入らないのよね)

 ぼくは赤マントの男が語った、タム・ガイの所業を思い返す。

(あやつめは、妹に対する禁断の愛に迷ったのです。迷ったあげく弟を殺し、ついには愛する妹をも我が手にかけて、鬼となったのです)

 単純なストーリーだ。愛に迷ったかれの目には、善良で温厚な弟が、疎ましく映りはじめた。かれの逸脱した愛情を、常識という名の枷で縛りつけようとする、巨大な障害に思え始めた。逸脱した愛を成就させるためには、まず、かれの愛を逸脱と決めつけてはばからない、常識を抹殺する必要があった。

 かくして、閉ざされた家の中には、かれと妹だけが残された。密室で何が行われたか、それはだれにもわからない。

 悲劇的な結末から、想像することはできる。おそらくかれの妹は、かれの愛を拒んだのだろう。一室に閉じ籠もり、かたくなに拒み続けたに違いない。愛の言葉も、贈り物も受け付けず、食事すら断ったのかもしれない。しだいにやつれてゆく妹を前にして、タム・ガイは狂乱した。

 彼女が変わり果てる前に、永久に我が者とするために残されている方法は、ひとつしかなかった……

 ごとり、と音が響き、ドアが開いた。ゼイロクが出て行ったほうのドアから、低地人の少女が、おずおずと顔を覗かせていた。

「あの、お食事はお済みでしょうか」

「げえっぷ。おかげさまでな。タヒムを丸ごと平らげりゃあ、この腹もご満悦さあ」

 タヒムが丸ごと、ビア樽に漬け込まれている絵が浮かんだ。少女はけれど暗い目をしたまま、にこりとも笑わなかった。

「かしこまりました。お部屋のご用意ができておりますので、どうぞこちらへ」

 先ほど精霊を飛ばしたので、ドアの向こうの様子はだいたいわかっていた。細々と燃える手職を手に、少女は前を歩いてゆく。ぼくは頭陀袋ひとつぶら下げ、ヘンリー王は吊るした剣の先を引きずりながら、痛々しいほど痩せた少女の背に従った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ