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13(3)

「すぐにご用意いたしますので、先にお食事を。それが済みましたら、お部屋へご案内いたします」

 少女は深々と頭を下げた。その部屋が食堂であることは、すぐに知れた。

 広さは青猫亭とかわらない。黒ずんだ板張りの部屋は、ここも全体がいびつに歪んでおり、中央から吊るされたランプの鎖もまた、みょうな角度に曲がっていた。そうして天井はといえば、幾重に重なっているか知れない、蜘蛛の巣にすっかり隠されていた。

 廃墟にも虫が棲むことは、入り口で確かめた。この辺りで唯一の灯りを慕って、虫どもが寄って来る場合もあるだろう。けれど、これほど大量の蜘蛛を養うほどの餌が、得られるのかどうか、甚だ疑問である。いったいどんな蜘蛛が、どれくらい棲んでいるのか。あまりに巣の層がぶ厚いため、蜘蛛そのものの姿は、まったく確認できない。

 そのことが、余計に不気味さを誘うようだ。

 背後で扉の閉まる音を聞いて、ぼくは我に返った。遠慮がちに、鍵をかける音が続いた。

「まあ、そんな所に突っ立っておられずに、どうぞどうぞ、お掛けなさい。なんでしたら、飯の支度ができるまでに、一杯やりなさらんか」

 食堂には先客がいた。表で聞いた胴震いの音は、この客の馬だったのだろう。

 商人ふうの肥った男で、糸のように目を細くし、横幅の広い顔に笑みを貼りつけていた。赤茶色の、いかにも仕立てのよさそうな服。太い指にじゃらじゃらと、いくつも指輪をつけているという趣味のよくなさを、けれどぼくに批判する資格がない。

 おそらく食事を終えたあとも、意地汚く飲んでいたのであろう。食器はほとんど片付けられ、大きな酒瓶と陶器の杯。それに干したカワクラゲとおぼしい肴ばかりが、十人がけの細長いテーブルに載っていた。

「杯なら、ほれ、後ろの棚にいくらでもありますぞ」

「そいつは願ってもねえ」

 案の定、ヘンリー王が嬉々として男の隣に座を占めた。ぼくは不快な表情を隠せないまま、斜め前に腰を下ろした。相棒の態度が気に入らなかったのではない。身なりもよく、愛想もいい、この商人ふうの男から、ひどく汚れた印象を拭えなかったのだ。もちろん、ご相伴にあずかる気には、とてもなれない。

 それでもこの状況で、会話を拒否するわけにもゆかず、また情報を交わしたい気持ちもあった。お互いに名のりあったところによれば、男の名はゼイロク。予想どおり行商人で、これからル・ビヨンへ向かうところだという。ゼイロクは赤ら顔に、常に笑顔を貼りつけたまま、声をひそめるのだった。

「ときに、フォルスタッフ殿は、この宿の噂をご存知かな」

「荒野で剣術使いに聞きました。泊り客を殺して、金品を奪う、いわゆる人食い宿屋でしょう」

「さよう。その剣術使いとやらは、ここへは寄らなかったのですか」

「相手がよくないと言って、去って行きましたよ。タム・ガイとかいう、宿の亭主が、なかなかのクセモノという話で」

「人鬼、ですか」

 ぼくは覚えず、辺りを見わたした。痙攣するように、家全体がぴりぴりと震えたように感じた。現に、蜘蛛の巣の間からぶら下がったランプが、振り子のように揺らめいていた。ぼくはさらに、声をひそめた。

「それを知りながら、泊まるつもりですか」

 ゼイロクは口をさらに横に広げ、ニヤリと舌舐めずりした。糸のような目の間から、ヤイバをおもわせる光がもれた。

「さよう。お見受けしたところ、あなたがたは相当な使い手だ。もし、腕試しにやって来られたのでしたら、今晩は暴れたりなさらず、部屋でおとなしく休んでいただきたいのです。いえいえ、只でとは申しません。安らかに寝ていただくくらいの用意は、できておりますよ」

 指輪だらけのぶ厚い手で、揉み手をする姿に、またしても言い知れぬ不快感が広がる。

「金にこまっていはいませんし、そもそも、化け物退治に来たわけではありませんよ。水と食べ物が得られれば、どんな宿でもよかったのです。ぼくには、あなたがそんなことをおっしゃる意図が、つかめませんが」

「なに、簡単な話です。客を襲って金品を奪う宿屋があれば、逆に宿を襲う客もいる。つまりわたしがそういう客の一人でして」

「へえ! 人は見かけによらねえもんだ、なあ兄弟。あんたが宿屋荒らしのプロフェッショナルとはね!」

 歓声を上げて、ヘンリー王がゼイロクの背中をどんと叩いた。しこたま叩かれながら、かれがびくともしなかったのを、ぼくは見逃さなかった。代わりに大きなげっぷをひとつ。

「げえええっぷ。見かけによっては、商売上がったりですからなあ!」

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