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「一件だけ、あるにはありますわい。ほら、向こうに尖った大岩が三つ並んでおるでしょう。ちょうどあの裏側辺りに。ここからだと、半リードルくらいですかな」
「何という土地ですか」
「イーストン・ノウガワ。もとは小規模なオアシスであったが、現在は荒れ果てて、住む者とて居りません」
「滅びたオアシス……どうしてそんな所に、宿屋ばかりが?」
「なに、旅人を食い物にしておるのですわい。文字どおりね」
そう言って男は、意味ありげな目つきをした。
ぼくも含めて、廃墟を見物したがる酔狂な人間がいるのは確かだが、さほどうまい商売とは思えない。ましてこんな荒地のど真中まで、わざわざ足を運ぶ者がいるかどうか。首をひねっているぼくの隣で、すっかりご機嫌のヘンリー王が、踊りあがって手を叩いた。
「そいつは面白えや、なあ兄弟。こちとら、食われる前に飲み干してやろうって寸法よ」
と、何だか訳がわからない。ぼくはつぶやく。
「何やらイワクがありそうですね」
「ええ。わたしなら、あそこにだけは泊まりませんなあ。食事に立ち寄るのさえ、御免こうむりたい」
「ほかに宿がありますか」
「どんなに馬を飛ばしても、今夜じゅうにたどり着ける宿は、ありますまい。あなたの惚れ惚れするようなジンバでもね。まして、わたしの老いぼれ馬では、とてもとても。今夜は寝ずに、こいつの背に揺られている覚悟ですわい。あなたも、そうなさるべきだ」
いつしかぼくたちは、馬を並べて進み始めた。右に左によろめきながら、ヘンリー王が着いてきた。
「失礼ながら、あなたが優れた剣客であることは、ぼくにもわかります。それゆえに、たかだか一個の宿屋を恐れる理由が知れないのです」
「そうですかな。単純な話ですよ」
「まさか、その宿には鬼が棲まうとでも?」
「さよう」
冗談のつもりだった、ぼくの笑顔が凍りついた。男は語を継いだ。
「と申しましても、家に棲みつく悪鬼の類いではござらん。その程度の者ならば、わたしも恐れはしない。何度もこの剣で、鬼神を斬っておりますからな。けれど、もとは人間であった者が、鬼と化しているのだから、タチがよくない」
人鬼だ。
非常に稀なケースだが、ぼくもいく度か目にした覚えがある。想像を絶する執着や驕りが、人を鬼と化さしめる。そうして男の言うとおり、よほど腕に覚えのある剣術使いにしたところで、人鬼を斬ることは容易ではないらしい。
熟練の剣術使いが、ともすれば悪鬼とわたり合えることは、ジェシカに善戦したヘンリー王が証明している。けれども人鬼は、感情という複雑な情念が肥大化、怪物化しているため、斬るすべが見当たらない。あたかも、だれもがおのれの情念を断つことが、困難であるように。
「いったいなぜ、人鬼なんかに? そいつが宿屋の主ですか」
「ええ、持ち主の一人でした。男の名を、タム・ガイと申します」
名を聞いただけで、ぼくはおぞましい映像が脳裏に浮かび、戦慄を禁じ得なかった。粘液質の闇の中を、得体の知れない化け物が蠢いていた。無数の蛇体が這うさまにも似ていたが、毛むくじゃらで、どこに頭部があり、どちらが尾部なのか見当がつかなかった。
これはいわゆる魔術師のカンというやつで、瞬間的なイメージに、まだ遭遇していない敵の本質が映るのだから、覚えておくに越したことはない。男は続けた。
「タム・ガイが人鬼になったのは、もちろん、すさまじい執着のなせるわざです。かれが執着したのは、ほかでもない、自身の血を分けた妹でした。かれは親から譲り受けた宿屋を、一人の弟と、一人の妹とともに営んでおりました。オアシスの中の品のよい宿屋として、繁盛していたようです」
かれの気が触れるまでは。
男は口を閉ざし、ぼくも先を促す気がしないまま、沈黙の中で馬は歩み続けた。いつしか三つの尖った大岩が、かなり近くまでせまっていた。どうやらそれは、天然の岩を用いた古代神殿の尖塔が、風化した姿であることが知れた。