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「まあ!」
ぼくの視線を追って彼女は振り返り、たちまち歓声を上げた。
間口を広くとった店の中に、大小様々な時計が、所狭しと掛け並べられていた。少なくとも数日前までは、こんな店はなかったはずだ。そもそも、山の手で見かけることさえ珍しいのに、こんな場末に時計屋があること自体、あり得ない現象に思われた。
だが、ぼくを最も驚かせたのは、その看板である。
いやにひょろ長い黒服の紳士が、三日月の上に腰をおろしている。その横に、草花の模様に縁取られて、読みにくいゴルシーグ文字で、「ザミエル時計店」と書かれているではないか!
「あれがぜんぶ、動いているのでしょうか。わたし、あんなにたくさんの時計を見るの、初めてです」
瞳をくるくると動かしながら、ロザリオは言う。そうだろう。この界隈で、個人的に時計を所有している者をぼくは知らないし、カンテラ通りの役場の塔に嵌め込まれているやつが、最も身近な時計ではないか。それも、横丁の悪党どもによって、たびたび盗まれていると聴く。
まだまだ時計は、歯車の一枚から値がつくほどの、高級品なのだ。
「あいつめ……今度は何を企んでいるんだ?」
ぼくのつぶやきを耳ざとく聞きつけて、ロザリオは瞳を好奇の色に輝かせた。
「お知り合いの店なのですか」
「ああ、いや、その、顔見知り程度だけど。間違いなくペテン師だから、近づかないほうがいい」
「いわば、魔術師殿の親戚筋でして」
声に驚いて見れば、いつの間にか店の入り口に、看板から抜け出してきたような黒づくめの男が、揉み手をしながら立っていた。物憂げな画家をおもわせる美青年で、顔色はあくまで蒼く、耳の先が野獣じみて尖っていた。
ザミエルが微笑むと、鋭い犬歯の先がのぞいた。ぼくは反射的に、ロザリオを背中でかばった。彼女の意思を操り、ぼくを殺させようとした張本人が、こいつなのだから。
「まあ、そう怖い顔なさらずに。よろしければ、ちょいと覗いて行かれませんか」
断る。と、言いかけたところで、後ろからロザリオにマントを引かれた。どうしても見たいと、目が訴えていた。まあ、ぼくが立ち会っていれば、ザミエルも彼女に悪さはしないだろうし、何を考えてこんな店を出したのか、偵察しておきたい気もした。結局のところ、この男が付け狙っているのは、ぼくなのだから。
店の中は、時計のほかにも、様々な珍奇な品々でいっぱいだった。
例えば見る角度で表情が変わる肖像画だとか、鳥籠の中の仔竜だとか、ゆらゆらと、ガラスの中を飛び交う胡蝶魚だとか。ロザリオは、ともすれば呼吸を忘れたように見入っていたが、中でもゼンマイ仕掛けの人形たちに、心を奪われたようだった。
「なんて可愛らしい」
彼女が指さしたのは、タジール地方の民族衣装を着て、弦楽器や笛を手にした、四人の少年たちの人形だった。ぱっちりと開いた目。女の子のようにふくよかな頬は、ほんのりと赤く彩られている。二十セリクトにも満たない、小さな陶製の人形が載っているわりに、金属の台座はぶあつく、いかめしい印象を受けた。
「動かしてご覧に入れましょう、お嬢さま」
ザミエルはほくそ笑むと、台座に穿たれた小さな穴に蝶の形のネジを差し込み、きりきりと巻いた。すると少年たちは、まるで生命を吹きこまれたかのように、それぞれの楽器を奏ではじめた。オルゴールが鳴るのではない。藁ほどの小さな笛に息が吹き込まれ、糸のような弦が、微妙な音を奏でるのだ。
笛吹きは音楽に合わせて体を左右に揺らしながら、うっとりと目を閉じた。弦を弾く者は、生真面目な顔で首を動かし、足でリズムをとっていた。曲がしだいに盛り上がるに連れて、かれらの仕ぐさも大きくなった。ぼくでさえ、あまりの精巧さに、魅されずにはいられなかった。
曲が終わると、少年たちは同時に動きを止めた。それぞれの楽器を手に、静かにたたずむ人形に戻っていた。ロザリオは夢見るような眼差しで呆然としていたが、やがて歓声とともに拍手した。ぼくはザミエルに近づき、かれにだけ聞こえるように、囁いた。
「こいつもまた、デモンの発明だな」
魔法で人形に精霊を乗り移らせることならできる。が、これほど精緻な演奏は、どだい無理だろう。ゴーレムにしたところで、自走夜警がそうであるように、不器用なものと相場が決まっている。
「なに、時計のメカニズムの応用に過ぎませんや。今はただの玩具でも、いずれ人間は、こいつに支配されますぜ。カ・ヴゥードを神と仰ぎ、時計の上で踊らされるのでさあ。自動人形のようにね」