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 ル・ビヨン。首都アル・ブリスに次ぐ、王国第二の都市。

 荒野に横たわる双子の竜、ロム川とレム川が街の中で合流し、また二つに分かれてゆく。痩せて神経質な姉妹。氾濫をくり返すお転婆な竜たちも、絡みあうことで力が相殺され、広く穏やかな流れと化している。

 その豊富で清らかな水を利用して、広大なオアシス都市が築かれている。王国が誕生する以前から街として栄え、またかつて、ここに百年にわたって大宮司が幽閉されていたことで知られる。そのせいか、神社仏閣が非情に多く、なぜか魔術師が好んで住みたがる。

 ル・ビヨンの場末といえば、カンテラ通りが南で尽きるあたり。ズ・シ横丁と呼ばれ、じめじめした土地に蜘蛛の巣のような路地が入り組み、あやしげな貧民、遊び人、悪人どもが巣食っている。この騒がしいスラム街をぼくは気に入り、ここ五年ばかり、ねぐらにしている。近所の連中はぼくのことを、ただのインチキ占い師と認識しているようだが。

「よお、フォルスタッフ。今夜はまた、いっそう冴えない顔をしているな」

 青猫亭に入ると、ヒゲ達磨の亭主が目ざとく見つけてそう言った。

「悩み事があるんなら、占ってやろうか、先生」

 店にひしめく酔客たちが、どっと笑う。ぼくは眉をひそめ、無言で隅のテーブルをめざした。硬い椅子に腰をおろしたとたん、背骨が引き裂かれるような痛みにみまわれた。

(くっ……!)

 昨夜はあやうく死にかけた。

 さいわいミランダは円眼鬼との戦闘で、彼女の思惑以上に力を使っていたため、どうにかこうにか、指輪に押し籠めることができたのだが。おかげでぼくは、一日じゅうベッドから起き上がれず、夜になってようやくねぐらを這い出し、腹を空かしてズ・シ横丁をさまよい歩く恰好。

「ほんとうに、だいじょうぶなんですか」

 酒壷と料理を手に、ロザリオが近づいてきた。三つ編みにした、燃えるような赤毛を見て、ぼくは痛みを思い出したような顔をしたに違いない。もっともロザリオはミランダの五百倍温厚で、慎み深い。あのヒゲ達磨から、こんな娘が生まれたこと自体、奇跡といえた。

 ぼくが飲み食いするものはいつも同じなので、注文なしで運び込まれる。常に特上の酒をたのみ、払いもいいので、だいたいこの時間には、ぼくのために隅の席が空けてある。

「ごめんなさいね。父はああ見えても、フォルスタッフさんのこと、気にかけているんですよ。ここ最近、ずっとつらそうに見えるって。わたしも、とても心配です」

 ヒゲ達磨が気にしているのは、ぼくの財布のほうだろう。そう思ったが、もちろん口にしなかった。

「ありがとう。きみの顔を見たら元気が出たよ」

 歯の浮くようなセリフを言うと、ロザリオは花が咲いたように、頬を赤らめた。

 この娘を陥落させるのはた易い。奴隷にしてみたい気がしないでもないが、それではここに来る楽しみがなくなってしまう。五十年前なら、迷わず鎖で引き回す楽しみを選んだのだが。純真なまま眺めていたいというのは、まさに親爺趣味。ぼくもトシをとった証拠であろう。

 ロザリオが立ち去ると、ぼくは切子硝子の容器に酒を注ぎ、パンをちぎって煮豆のスープにひたした。食えないことはないけれど、基本的に肉は食わない。美酒と粗食が、ぼく流の長生きの秘訣である。一人で静かに食事する習慣を知っているので、ガラのよくない常連客たちも、この席には近づかない。

 ぼくの食事を邪魔だてしたヨソ者が痛いめにあう場面を、何度も目の当たりにしているからだ。

 食事を終えるとロザリオが空の器を下げ、薔薇茶を置いていった。一口飲んだところで、テーブルの上に影がさした。

 見上げると、つぎはぎだらけの防水布で全身を覆った人物が、ぬっと立っていた。こちらのほうが影法師みたいだった。長身で針のように痩せていた。フードの中の顔は濃い影がべったりと貼りついているため、よくわからない。ただ鋭い眼光と、食み出した蓬髪だけが、影の中にいちじるしかった。

 ぼくが驚いたのは、この男がまったく気配を感じさせず、ここまで近づいたことだ。

「ほかに席がなかったんでね。ここ、空いてるかね」

 目の前の椅子を指さして、男はかすかに笑ったようだ。あれほど騒がしかった酒場は、一瞬で静まり返り、まわりの連中が、固唾を呑んで見守っているのがわかった。男を睨みつけたまま、ぼくは答えた。

「もちろん」

「ならば、座らせてもらうよ。ずいぶん長いこと歩いてきたものでね」

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