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ハーミアの眉が、ぴくりと震えるのを見た。
ミランダの放った炎の竜蛇は、彼女の言うとおり、威嚇程度のもの。対して、禁句によって怒りを爆発させたヘレナは、渾身の力をこめて、青い竜蛇を放った。ハーミアは後者を軽々とかわしたが、前者には、それが「手加減」されていたにもかかわらず、多大なダメージを受けた。
これが意味するところは、明白だ。威圧するように、ハーミアに歩み寄りながら、ミランダは言う。
「あんたこそ、オツムが足りないんじゃないかしら。わたしがフォルスタッフに心を奪われていると思う? このわたしが、掟を破ったとでも?」
「ではなぜ、わたくしの邪魔をなさるの? フォルスタッフを屠ることは、わたくしたち共通の利害ではございませんか」
ミランダは立ち止まり、このたびは頭の後ろで一つに括っている、真紅の髪をざわめかせた。怒りの表現である。
「さっきも言ったはずよ。曲がりなりにもこの男は、ながい年月、わたしたちを拘束するほどのミワの持ち主だった。性格は最低だけど、ここ何百年かの魔術師としては、ダーゲルドと双璧をなす、稀代の魔法使いと言えるでしょう」
「だから何だとおっしゃるの? 昔はどうであれ、今ではただの燃えカス。さっさと蹴散らしてしまうのに、何の不都合もございません」
「姦計を用いてまで?」
「トラップと呼んでいただきたいわ。これがわたくしのやり方なのです。ええ、頭を使って戦うのは、骨が折れますわ。ばか力で剣を振り回すだけの、あなたは楽でしょうけど」
「そのやり方が、気に入らないと言ってるの!」
再び剣が降りおろされた。
地を走る炎は、新たな一匹の竜蛇と化し、石畳を割りながら、またハーミアを急襲した。風の杖が、まっぷたつに折れるのを見た。悲鳴とともに、ハーミアの体が木の葉のように舞い上がり、路上に叩きつけられた。
「痛い、痛いですわ……もう、おやめください……」
致命打ではない。やはりミランダは手加減しているが、さっきまでの威勢はどこへやら、たちまち萎れて命乞いを始めるところが、ハーミアらしいといえばハーミアらしい。あれほど追いつめられたにもかかわらず、何だかぼくは可哀そうになってきた。
「もういいだろう。ハーミアを指輪に戻すぞ」
髪を揺らして、ミランダは振り向いた。わずかに眉根を寄せ、赤い唇を憎々しげにゆがめたが、そんな表情も美しい。何百年見ていても飽きない、いい女だ。
「かん違いしないでよ、フォルスタッフ。あんたを助けるために出てきたと思われては、迷惑だわ」
「この期に及んで、抵抗はしないよ。ぼくを殺したければ、ひと思いにやってくれていい。晴れてきみたちは、自由になれる」
握手でも求めるような調子で、みずから彼女に近づいた。明らかにひるむ様子が、彼女の表情に見てとれた。
「きみに殺されるなら、本望だよ。ただし、苦痛を感じないくらい、一瞬で焼き尽くしてくれ」
頬を叩かれた。もし本気で叩かれていたら、ザ・ザの砂漠の果てまで飛んでいたであろう首は、けれどちゃんと載っていた。
「最低。あんたって、本当に何にもわかってないんだから。そんなことをすれば、わたしはハーミアと同類になってしまう。のみならず、ヘレナにも義理が立たない」
「義理が?」
「それ以上言わせないで。最後まで、あんたを一端の魔法使いとして扱わなければ、わたしのプライドが許さないの。もしあんたがザコみたいな死にかたをすれば、わたしまでザコになってしまう。この理屈がわかる?」
「わかるよ」
「それに、わたしがジェシカみたいに鼾をかいて、ダーゲルドとの会話を聞かなかったとでも思っているの? フォルスタッフ、あんたには奥の手があるんでしょう。善鬼とミワを結ぶ方法があるのなら、さっさとそうしなさいよ。その上で、わたしは善鬼を討ちやぶり、お望みどおり、あなたを屠ってあげるから」
彼女らしい「理屈」である。掟とはいえ、ミワの衰えた生身の人間を屠ることは、彼女の本望ではない。ぼくがみじめな死にかたをすれば、彼女はその程度の魔法使いに、ながい間束縛されていたことになる。
けれど、ぼくが善鬼を用いて抵抗をこころみるならば、ミランダは善鬼と思う存分闘える。そしてその闘いに勝てば、必然的にぼくは善鬼のエナジーを身に受けて、消滅するだろう。晴れて使鬼たちは、自由の身を獲得するだろう。
みずから指輪に戻るために、炎の柱と化してゆく彼女を見つめながら、ぼくは戦慄を禁じ得なかった。