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8(3)

 ハーミア!

 そう気づいたとたん、体じゅうが痺れ、ぼくはがっくりと片膝をついていた。風が吹きすさび、緑色の炎が一面に乱舞した。

 炎は無数のイバラと化し、鞭と化して八方からぼくに襲いかかった。が、それらは瞬く間に切り離され、トカゲの尾のように、地面に横たわって、うごめいた。新月のように細い短刀を逆手に、ヘレナがぼくの目の前で、低く身がまえていた。

 風妖、ハーミアは、宙に浮かんでいた。

 耳の後ろで、ひとつに束ねた髪を、風になびかせ、薄い笑みを浮べて。茶色の胴衣の下で、緑衣が鉱物的な光を発しながら、ひるがえる。使鬼たちの中で最も背が高く、柔軟な体つき。四肢はあくまで細く、ほしいままに伸びている。

(デモンの力を借りたのか?)

 もちろん召喚の呪文など、唱えていない。ミワが弱まっているとはいえ、単独で封印を破れるほど、ハーミアは強くない。やはりザミエルが手引きしたと考えるのが、妥当だろう。

 情感に欠ける人間を例えて、「木石のようだ」といい、「木の又から生まれてきたようだ」という。そんな古い言い回しどおり、樹木の精霊でもあるハーミアには、非情なところがあった。友情や愛情にまったく左右されないし、裏切りも背信もいとわない。そういった意味では、デモンと気質が似ているかもしれない。

(愉快でさえあれば、どうでもよいのですよ)

 ザミエルの姿は、すでにどこにもなかった。みずから戦う気など、はじめからなかったのだ。前座としての役割を果たし、今ごろはどこかの屋根の上で、高みの見物としゃれ込んでいるのだろう。

「お退きになって、お姉さま。わたくしが用があるのは、うしろの老いぼれですの」

 目を細め、薄笑いを浮かべたまま彼女は言った。その声はよく響くが、リュートの共鳴胴を通したように、どこかうつろだった。

 同じ冷酷非情でも、意思的でこだわりの強いヴィオラとはまた、タイプを異にする。例えば一個の城をゆだねたとして、ヴィオラなら血の雨を降らせてでも死守するところ、ハーミアは不利とみれば簡単に捨て去るだろう。

「ご主人さまに対して、無礼は許しませんよ。ハーミア、わたしをまだ姉と呼ぶのなら、あなたこそお下がりなさい」

 もちろん二匹の間に、血縁関係はない。雨が樹木を育て、風が船の帆をはらませるように、水妖と風妖は、何かとウマが合う。

「使鬼の掟をご存知ないとは、言わせませんわ。それとも、寝ぼけていらっしゃるのかしら。聡明なお姉さまが必死にしがみついているのは、ぼろぼろのビア樽に過ぎないことを、目を覚ましてよーくご覧になってはいかが?」

 すべて的を射た指摘であって、返す言葉もない。ぼく同様、ヘレナも返答に詰まったまま、それでもぼくの前を動かないのは、喜ばしい限り。そもそもハーミアは、風の精霊である特質上、使鬼たちの中では最も力が弱い。ゆえにぼくも、斥候や工作など、いわゆるスパイとして彼女を用いる場合が多かった。

 スパイとしてのハーミアは、どの使鬼よりも有能である。風のように忍びこみ、樹木のように目立たずに、情報を得ることができた。逆に戦闘は不得手なほうで、「逃げるが勝ち」を地でゆくタイプ。まして戦闘能力の高いヘレナとの一騎打ちに、勝算があるとは思えなかった。

 彼女は細長い「風の杖」を手にしているばかりである。これも武器としては、いかにも脆弱と言わざるを得まい。ハーミアは語を継いだ。

「まさかとは思いますが、フォルスタッフを愛しているなんて、ばかげたことは仰らないでしょうね」

 表情は見えなかったが、苦悶するように、ヘレナが眉根を寄せたのがわかった。どうもよくない傾向だ。力では勝てないものだから、ハーミアは得意の心理戦に持ちこむつもりらしい。

「ご主人さまは、ご主人さまです」

「ああ、聡明なお姉さま。愚かな妹に、何度も何度も言わせないでくださいますこと? わたくしたちを束縛するほどのミワを持たない主人など、もはや主人ではございません。むしろそいつを屠らなければならないのが、使鬼の掟ではございませんか」

「掟ではなく慣例です。あなたたちがご主人さまを傷つけることなく、それぞれの居場所に帰ったあかつきには、わたしも速やかに身を引きましょう」

「ご立派ですわね。そして、お強い。あのヴィオラとわたり合えるのは、おそらくお姉さまだけでしょう。でもね、そういったこだわりこそが、お姉さま自身の首を絞めておりますのよ。ええ、そうですとも。お姉さまは、こだわっていらっしゃる」

 次の一言を、ハーミアはわざとゆっくりと、噛みしめるように発音した。

「小さいことに」

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