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「ここ三年続けて、タジールさまの領地のオリザが豊作で、そのため値段がとても安くなったのです。それはとても喜ばしいことでしょう? なのに父が買った紙きれは、本当の紙くずとなってしまい、紙くずが山と積もるにつれて、借りたお金も膨らむ一方でした。なんということでしょう!」

 いきなりロザリオは顔を覆った。肩が上下し、嗚咽がこぼれた。

「三年間、父は損失を取り戻したい一心で、夜な夜な飢饉のおとずれを祈っていたのです。悪魔の所業です。呪われた紙きれを操るデモンに、父は魂を売ってしまったのです」

 こんな状況であるが、ぼくはロザリオの洞察力の鋭さに、感動をおぼえた。カ・ヴゥードを操っているのは、間違いなくデモンであり、デモンの中でも最も恐れられる、「心」を持たない連中だ。今はまだ、じわじわと都市の裾野を侵している程度だが、何百年後かには、王国を乗っ取るほどの勢いで、燃え上がるのではあるまいか。

 人々がデモンを崇め、飢饉を祈り、紙きれを崇拝する、悪夢のような世界が現出する日も、そう遠くないのではあるまいか。それはともかく……

「落ち着いて、ロザリオ。そして相場師からいくら借りているのか、教えてくれないか」

「三億……ダラント」

 大金である。

 王侯や僧侶ならともなく、一町民がする借金のケタを超えている。そもそも町民や農民が、これほど巨額の借金を作ることなど、これまで絶対に不可能だった。土地や家屋敷から、自身まで売っても返せないような金は、借りようがなかったし、貸す者もいなかった。

 相場師どもと比べれば、強欲な金貸しや質屋のほうが、ずっと可愛く思えてくる。金貸しや質屋とのすったもんだは、まだ人間対人間の付き合いにほかならない。ところが相場師どもは、土地や家や金貨のように実体のない、カ・ヴゥードという、架空の利益を動かすのだから、契約できる金額は実質、無限である。

 無限の利益に、ヒゲ達磨あたりが目が眩むのは、当然といえば当然とえいた。

「驚いたな。さすがにぼくでも、今すぐ工面できる金額じゃない」

 体が弱っていなければ、何とかならないことはないのだが。ちなみにぼくの首に賭けられている懸賞金が、三億五千万。借金をすべて返済した上、充分再出発できる金額だ。かといって、ハイとここで首を差し出すわけにもゆかない。

 そういえば、青猫亭に乱入した低地人どもが、懸賞金のことを口走っていたっけ。ひどい訛りで聞き取りにくかったが、ひょっとするとロザリオの耳には、届いていたのかもしれない。

「わかっています。それでもフォルスタッフさんなら、何とかしてくださると思って」

 顔を覆っていた手を外した。泣き腫らした目は、けれどやはり洗われたガラスのようで、ぼくに眼差しを向けながら、何も見ていなかった。

 胸騒ぎが嵩じて心臓が高鳴っていた。ヘレナはなかなか戻って来ない。ロザリオは何を思ったのか、リボンを外して、片方ずつ三つ編みを解きはじめた。ふっさりと、炎のような赤毛が彼女を縁どった。次に、つつましやかに掻き合わされた胸もとの結びめに手をやり、それを解いた。

 おそらく寝室において、彼女がベッドに入る前に、毎夜繰り返される仕ぐさなのだろう。もちろん、だれも見ていない部屋で、ひっそりと繰り返される日常なのだろう。けれどそれがぼくの寝室で行われたとなれば、まったく問題が違ってくる。

 ぼくだって、見た目は初心な美少年だが、そういうことに関しては百戦錬磨。天下無双。一騎当千。風林火山のツワモノであって、伊達に三百年生きているわけではないし、まだまだ伊達は捨てていない。まして相手がロザリオなら、望むところとハッスルに及びたいのだが。

「ちょっと……ちょっと、待ってくれ」

 情けなく手を振っているという、信じられない自分がいた。

 すでに彼女の足もとには、飾り気のない常服が落ちていた。靴下と、わずかな下着が、あまりにも豊満な肢体を、かろうじて隠していた。一歩ずつ、彼女が寝台に歩み寄る間も、大魔法使いともあろうぼくは、呪縛されたように動けなかった。

 嫣然と微笑む赤い唇が、間近にせまった。何千本もの薔薇の香を凝縮したような息が、ぼくの耳もとに吐きかけられた。

「フォルスッタフさん、お覚悟を」

 第一刀はかろうじてかわした。ぼくとしたことが、ロザリオの乳房の間に、守り刀の柄が覗いていたことを見逃していた。すでに逆手にかまえた切っ先がせまっており、その手首を何とかとらえたのは、我ながら奇跡といえた。覆いかぶさる恰好の、彼女の顔が間近にあった。

 ガラスの瞳。うつろな目とは対照的に、唇は憎悪にゆがんでいた。そこから洩れる薔薇の吐息が、眩暈を誘う。薬だ。プロでありながら、なぜこんな簡単な事実に気づかなかったのだろう。

 明らかにロザリオは、薬で意志を操られていた。

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