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7(2)

「だいじょうぶです。怪しまれないよう、うまく言いつくろいますので」

 ぼくの気持ちを察したように、ヘレナは言う。彼女の身なりは、ボンネットをかぶりエプロンをつけた、標準的な町娘のそれである。一昨夜、ジェシカにぶっ飛ばされた低地人が、お礼参りに来たのかもしれず、そうなると、やはり彼女を出しておいたほうが安心だ。

「すまないね」

 咳きこみながら、ぼくは言った。娘の世話になっている年寄りの気分である。彼女はすぐに笑顔で戻ってきた。だれもぶっ飛ばした形跡はない。

「ロザリオさんでした。わたしは、従姉ということにしてあります」

 小声で告げて片目を閉じた。城砦の一つくらい一晩で沈める、恐るべき水妖なのに、こんな仕ぐさはみょうに可愛い。

 本来なら来客を寝室へは入れないし、ロザリオとて例外ではない。かといって無下に追い返すわけにもゆかず、起き上がろうにも体が動かない。

「ここへ呼んで」

「かしこまりました」

 赤毛の娘を招き入れると、ヘレナは茶を淹れると断って、席を外した。ベッドの前に、ロザリオは突っ立っている。ぼくの様子を見て驚いているのかと思えば、瞳が焦点を結んでいない。いつもの溌剌とした生気が抜けてしまって、夢中遊行しているような印象を受けた。

「そこの椅子にすわって。ちょっとカゼをひいてしまってね」

 わずかにうなずくと、さっきまでヘレナが座っていた椅子にかけた。やはりどこか上の空で、自走夜警のように動作がぎこちない。寝込んでいるぼくのほうが、心配になるほどに。

「具合でも悪い?」

「父に、言われたのです」

「ヒゲだ……いや、親父さんに?」

「フォルスタッフさんの所へ行くようにと」

 あらぬ方を向いたまま、そう言った声は、別人のように上ずって、なぜかマアナ神殿の巫女をおもわせた。彼女たちは薬草を喫して踊り狂い、神託と称して様々な予言をする。ともあれ、ヒゲ達磨のことだ。よもやぼくの身を案じたのではあるまい。

「ああ、そうか。店がめちゃくちゃになったのも、元はといえば、ぼくのせいだからね。もちろん、きっちり弁償させていただくよ。そのことで、ゆうべ行くつもりだったけど、このテイタラクさ。きみに気を遣わせてしまって、すまなかったね」

 どうも病気になると、謝ってばかりいる。ロザリオはやはり、ぼくを見ていない。かといって、様々な呪具や薬草、革表紙の恐ろしげな本などがひしめく、この部屋に魅されてるようでもない。ガラスのようにうつろな瞳は見開かれたまま、瞬きをしているかどうかさえ疑わしい。

 胸騒ぎがする。ヘレナに早く戻って来てほしいが、気を利かせたつもりか、厨房に引っ込んだきり、一向に姿をあらわさない。相変わらず外れた調子で、ロザリオは言う。

「それが……店が壊れて営業できなくなったとたん、どこで聞きつけたのか、見たこともない人たちが次々とやって来て、父にお金を返せとせまるのです」

「驚いたな。ぼくはてっきり、しこたま溜め込んでいるとばかり。いったい何に使ったの?」

 博打好きだが、スッてしまうまでやらず、色好みであっても、決して入れあげない。ケチと罵られようが笑って聞き流し、夜な夜な金貨を数えるのが、無上の楽しみだと聞いていた。それゆえに、意外さもひとしお。

「借金取りはみんな、山の手のほうから来たようです。相場師とかいう人たちで、わたしもよくわかりませんが、お金の代わりに紙きれを買って、例えばオリザの値段が上がったりすると、その紙きれが何十倍にもなるんだとか」

 カ・ヴゥードか! と、ぼくは心の中でうなった。

 十年ほど前から都市部で流行り始めている、悪魔の商売だ。絶対に損はない、これからはカ・ヴゥードが紳士のたしなみだ、などと無知な民衆を口車に乗せて、紙きれを売りつけるが、その実、博打と何ら変わらない。損失の大きさを考えれば、博打より恐ろしいかもしれない。

 ああ、いかにもヒゲ達磨が引っかかりそうな話だ。相場師の中には、実際に悪質なデモンが混じっていると聞く。

「それで、いくらくらい借りていたの?」

 がたん、と音が響き、さすがに飛び上がりかけた。ロザリオはけれど、椅子を倒したことにさえ気づかない様子で、呆然とぼくを見下ろしていた。

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