表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/136

6(1)

  6


 ぼくはヘレナを呼び出した。

 彼女は水妖である。

 長い髪は黒い流れのように、ほっそりと引きしまった肩に、背に、なびいていた。つぶらな瞳は黒く、それは髪同様、光の加減によっては紺碧の輝きをおびた。亜麻色の布を、つつましやかに身にまとい、装身具といえば、手首の細いリングと、やはり細い銀色の髪飾りくらいなものだった。

 火妖であるミランダと並べれば、一対の絵ができあがるだろう。お互いに美しい髪をなびかせ、片方は豊かな肉体を誇らしげに燃え上がらせているのに対し、彼女のほうは、ひかえめな、けれど均整のとれた体を、しっとりと潤わせていた。

 どちらかというと小柄であるが、ジェシカほどではない。それでもなぜか彼女は、そのことを苦にしているらしく、「小さい」と言われることを、非情にいやがった。彼女の前で、この一言は禁句なのである。

 人魚にせよウンディーネにせよ、娘の姿をもつ水妖が総じておとなしいように、彼女もまた穏やかな性格の持ちぬしだった。水がなければ、人は生きられない。それどころか、あらゆる生きものの源といえるだろう。人は水辺に町を作り、雨の恵みをうけて耕作する。

 けれど、ひとたび手におえなくなると、水ほど恐ろしいものはない。火には限りがあるけれど、水は無限ともいえる圧倒的な質量で襲いかかる。これほどまでに温厚なヘレナでさえ、そんな水の性質を有していることに違いはない。

 もしも本当にヘレナを敵にまわせば、ミランダより恐ろしい相手となるだろう。

 だから彼女を呼び出すときは、ぼくもかなり悩んだ。悩み抜いた末に呼び出すことにしたのは、ハーミアの宣戦布告に肩を押された恰好である。

 ハーミアとヘレナは、姉妹のような関係にあった。ハーミアは風の精であり、また植物をもつかさどる。風と植物が、水と深い関係にあるのは、言うまでもない。何かと気難しいハーミアであるが、ヘレナにだけは頭が上がらない傾向にある。水を断たれれば、植物が枯れてしまうように。

「ジェシカはまだ中立とみていいかもしれない。けれど、ミランダとハーミアは、もはやあからさまに敵意を示している」

 耳の長い巨獣が地下に眠るという、古代神殿の廃墟である。数日前にダーゲルドと対面したところ。もうすぐぼくのミワが尽き、使鬼たちに滅ぼされるであろうことを宣告された丘に、今日はまだ朝のうちにのぼったのだ。新しい日の光が、彼女の黒髪を紺碧に輝かせるように。

 丘を覆う草は、まだ露をしっとりと宿していた。きらめく草地にヘレナは腰をおろし、みずからの髪を掌にためては、さらさらと滑り落ちるにまかせた。

「わたくしも、お味方のままでいるとは限りませんでしょう」

「わかっている」

「それでもお呼びになったのは、なぜですか」

 ぼくはぎくりとした。やはりヘレナも変調をきたし始めている。ぼくをこまらせるような質問を、ぶつけてくる女ではなかった。

 魔方陣を描くことも、もちろん考えた。危険な精霊、とくにデモンを呼び出すときに用いるやり方だ。魔方陣の中に召喚し、封じ込めることで、こちらに危害が及ばないようにする。もちろん易々と結界を破られる場合もあるが、少なくともそのまま呼び出すよりは安全だ。

 ミワの衰えた現在のぼくは、丸腰に等しい。ヘレナといえども一匹の使鬼に過ぎないことは、重々承知している。それでも魔方陣を描かず、またヘンリー王を同席させなかったのは、なぜか……ぼくは自嘲的に微笑んだ。

「感傷だよ。きっと、それ以外の何ものでもない」

 かつては平時にも、ヘレナとともにいたことがあった。もっとも、いつ敵に襲撃されるかわからないといった、理由をつけた上でだが。ヴィオラをシザーリオと呼んで召し使っていたという、ダーゲルドとおそらくは同じ気持ちで。

 きっと、そんな感傷の名残りなのだ。

「わたくしに、何をお望みですか」

「とくに考えていなかった。もちろん、おまえに泣きついて守ってもらいたいという、下心はおおいにあったさ。ただ呼び出したとたん、おまが襲いかかってくるのなら、それはそれでよかったんだ」

「わたくしに命を奪われても?」

「少なくともハーミアよりは、優しく殺してくれそうだからね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ