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と、意想外の善戦に思わず見入ってしまったが、このまま放っておくわけにもいかない。生身の人間の体力には限りがあるが、使鬼はダメージを受けない以上、無限の攻撃力をもつ。
「ヘンリー王、加勢する!」
そう叫んで飛び出したものの、今のぼくに何ができる? 援護のつもりで、なまじ火弾など撃ち込んだところで、効かないどころか、かえってジェシカに油を注ぎ、ヘンリー王の集中力を削ぐだけではないか。ならばやはり、別の使鬼を呼び出すしかないのか。
うなりながら左手の甲をかざした。赤、紫、青……と、人さし指で一本ずつ触れてゆき、小指に嵌めた緑色の指輪の上で逡巡した。
(ハーミアか……)
こいつはヴィオラに次いで気難しい、扱いにくい女だ。
理屈屋で、癇症が強く、気位が高い。まああとの二つは、ヘレナ意外は皆そうなのだが。ただ、ジェシカを封じるにはうってつけで、風の精霊であり、また植物を自在に操る彼女は、地霊であるジェシカのエナジーを、たちまち吸い取ってしまうだろう。植物は地力を奪うという理屈だ。
問題は、呼び出したはよいが、彼女が言うことを聞くかどうかである。ぼくは再びうなりながら、戦況に目を転じた。
ジェシカとヘンリー王は、対峙したまま睨み合っていた。酔漢の剣はまた鞘におさめられ、次に抜かれる瞬間を待って、力をためているのだろう。ジェシカは片手を添えつつ、大鉈を高々と頭上にかざしていた。十割本気の構えではないか。ヘンリー王がつぶやいた。
「加勢は無用だなあ、フォルスタッフ殿」
「しかし……」
「なに、次で決着がつくさ。ほかの姉ちゃんを呼び出すんなら、それからでも遅くねえだろう」
勝てる気がしない。
幻のイ・アイル流の達人とはいえ、次は全力で打ち込まれるであろう大鉈に、太刀打ちできるとは思えない。それこそビア樽どころか、薪のように断ち割られて終わりではないか。
「あんたこそ、無駄死には無用というものだ。いったい、ぼくのために命を落とす義理が、どこにある?」
「まだ死ぬと決まったわけじゃあるめえ」
しゃっくりをひとつして、まばらな歯を覗かせた。月光を浴びて、まがまがしい祭具のように、大鉈が輝いた。じりじりと、わずかずつ間合いが詰められてゆく。
今度ばかりは、ジェシカもうかつに打って出ようとしない。抜く瞬間に最大の力を得る、イ・アイル流の特徴を、よく見抜いている。賢い娘だ。力任せに暴走するばかりが、取り柄ではない。それゆえに、手強い。
「やめたよ」
ずん、と地面に大鉈が突き立てられた。ジェシカは頭の後ろで指を組み、あらぬ方を向いていた。隙だらけの姿勢であり、降参の意思表示だ。もちろん、ぼくは驚いた。
「なぜ?」
「言っておくけど、この剣術使いを侮辱したんじゃないよ。あたしの負けなら、負けでいいってことさ」
「でも、なぜ?」
「あんたもしつこいね、フォルスタッフ。苦手なんだよ、捨て身でかかってくるやつがさ。あたしとわたり合ってるとき、こいつはすでに生きちゃいないんだよ。死を覚悟してるとか、そんなレベルじゃない。とっくに死んでるんだ。とっくに死んでる男を、どうやって殺すのさ? だからあたしの負けってことで、吟遊詩人に言い触らしたって、文句は言わないよ」
王侯貴族から巷のあやしげな剣術使いまで、不名誉な事実を吟遊詩人に歌われることを、ひどくいやがる。かれらに歌われたが最後、いくつもの荒地を越えて、その事件が人々の耳に伝わるし、また長い年月を経れば、伝説として定着してしまうからだ。
呆気にとられながらも、ぼくは精霊封じの呪文を唱えた。ジェシカはまったく抵抗を示さず、大鉈の柄尻の上で指を組み、顎をのせていた。間もなく彼女の全身は武器ごと、光の荒い粒に解体され、黄金色に輝きながら、指輪の中に吸われていった。気が抜けたとたんに、眩暈をおぼえて、ぼくは片膝をついた。
小指に嵌めた、緑色の指輪が異様な輝きを放っていた。どこからともなく、風がわき起こり、吹きすさぶ音に混じって、女の笑い声が響いた。
「惜しかったですわ。呼び出してさえいただけたら、ビア樽どうし、仲よく屠ってさしあげたのに。わたくしはジェシカほど、甘くなくってよ」
風の中、石畳を割ってイバラが伸び、足にからみついた。棘が肌に食い入るまま、イバラはさらにぼくの胴を、腕を締めつけてくる。
「やめろ、ハーミア!」
力を絞ってミワを張ると、イバラがちぎれ、風がおさまった。気がつけば、ヘンリー王はすでに一個のビア樽と化して街路に横たわり、高鼾をかいていた。