表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/136

5(1)

  5


 効果はてきめんにあらわれた。

 酒のにおいを嗅いだとたん、ヘンリー王はひくひくと鼻梁を蠢かせ、むっくりと上体を起こした。赤子でも抱くように瓶を受け取ると、頬ずりし、大きく傾け、咽を鳴らして飲みに飲んだ。最後の一滴が、きらきらと月光を浴びながら、酔漢の口の中に消えた。

 ダーゲルドでさえ、すべて飲み干しはしなかったのに。ぼくは別の意味で、不安になってきた。

 右に左によろめきながら、ヘンリー王は立ち上がった。二本の足で巨体を支えているのが、奇跡のようだった。燃えるような息を吐きながら、酔漢は前へ進んだ。断続的にもれるゲップ。血走った目は半眼で、やはり鞘に収めたままの剣先を、街路に引きずっていた。

 隣に並んだところで、肩を叩かれた。恐るべき酒臭さ。

「よお、兄弟。こいつはじつに素晴らしいねえ。天国だねえ、ちくしょうめ。天国への階段が見えるってもんだ」

 と、完全無欠のぐでんぐでん。ジェシカの声が響いた。

「イ・アイルの使い手か。ふん、あんたの悪運の強さには、いつもながら呆れるよ」

 見れば意外なことに、彼女は腰の大鉈を外し、左手に引っさげていた。長い付き合いになるが、ジェシカが一人の人間を相手に鉈を抜いたのは、今夜が初めてかもしれない。

 ヘンリー王はよろよろと足を踏み出し、柄に手をかけた。常に上体は揺れているが、腰から下はまったく動かないのだ。

「お前さんには、何の恨みもねえが、やくざな渡世だ。ごめんなすってと言っておく」

「あたしも先に忠告しておくけど、手加減はしないよ」

 だめだ、と思った。

 たしかにぼくは平素からこの酔漢を、腕の立つ男だと認めていた。だらしない仕草で包み隠そうとしても、隠しきれない鋭利さが垣間見えたからだ。しかし、どんな達人であれ、剣術使いが使鬼とまともにやりあって、勝てるわけがない。しかも自慢ではないが、力でジェシカを上回る使鬼など、まず思いつかない。

 もしヘンリー王に勝ち目があるとすれば、相手が油断している場合に限る。ふらふらと攻撃をかわしながら、隙に乗じて仕留めるという、これも東方伝来の酔いどれ拳法と同じカラクリだ。最初からネタがばれているのでは、お話にならない。

 しかもジェシカは、先のゴブリン戦で、充分ヒートアップしていた。鉄を叩いて鍛えるように、わざと叩きのめされた肉体は、金属の鎧よりも強靭になっているはずだ。

 こうなっては、もうだれにも止められない。日頃はのんびり屋の彼女だが、ひとたびヒートアップすれば、好戦的な修羅としての本性が剥きだしになる。スマートなミランダやヴィオラより、よほどタチがよくない。文字どおり敵を血祭りにあげるまで、暴走し続けるだろう。

 むろん、最後に血を絞り尽くされるのは、ぼくなのだ。

「覚悟しな、ビア樽!」

 ぎくりとしたが、その言葉はぼくではなく、ヘンリー王に投げかけられたもの。たちまち薙ぎ払われた大鉈を、酔漢はわずかに抜いた刀身で、がっちりと受けとめた。世界をつんざく音が響き、銀色の火花が散った。

「はああああああっ!」

 ジェシカは鉈を返しながら後ろに飛び退き、すかさず踏み込んできたヘンリー王の一撃を浴びた。逆手にかかげた一刀を、足を開いて踏ん張り、両手で鉈をかつぐ恰好で、かろうじて受けとめたのだ。よほど手が痺れたのか、彼女は眉間に苦悶の皺を寄せた。対して、大酔漢は半眼のまま、口ひげの下に笑みすら浮べていた。

 両者は同時に飛び退いた。ジェシカが鉈を構えなおし、ヘンリー王は再び剣を革の鞘におさめた。両者の間に、究極まで張りつめた弦のように、殺気の糸が張られていた。

「やるじゃないか」

「お前さんこそ」

「だけど次は、本当のビア樽になってもらうよ」

 ぺろりと凄惨な舌なめずりをして、ジェシカが踏み込んだ。鬼の膂力で、次々と打ち込まれる大鉈を、ビア樽、いやヘンリー王は、逆手にかざした剣の根もとで、軽やかに受けとめてゆく。酔っ払いのだらしなく肥えた体に、鬼神が乗り移っているとしか思えなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ