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ゴブリンどもは、おおいに慌てた。
無理もない。大鎚と棍棒を、彼女の至近距離から、渾身の力で叩きつけたのだから。これ以上ないほどの、手応えも感じたろう。なのにジェシカは薄笑いを浮べたまま、片目を閉じて、指一本で手招きしている。
「もう一度仕掛けてみないか? うまくゆくかもよ」
二匹はそそくさと後ろに退き、距離を得たところで、再び前後に身構えた。意外な余裕が気になった。
例の奇声を合図に、ゴブリンどもは同時に地を蹴った。いったいどうなっているのか、今度は横から眺めているぼくの目にも、二匹の姿がぴったりと重なって見えた。ひとつの体から四本の腕が生え、四つの目をつけた、おぞましい怪物と化していた。しかもその体は、二倍に膨らんでいた。
ジェシカは身構えることなく、片手を腰にあてて立っていた。怪物の巨体が見る間に接近し、小柄な彼女に覆いかぶさる。四本の腕がすさまじい速さで振り回され、鉄槌と棍棒と拳で、彼女をめった打ちにした。生身の人間なら、拳の一撃だけで骨がばらばらに砕けたろう、強烈な打撃が無際限に降り注ぐ。
ようやく打撃がおさまり、ぐったりと伸びたジェシカの体が、高々と持ち上げられた。そのまま力を込めて投げ飛ばされると、叩きつけられた樹木の幹を、まっぷたつにへし折った。
うつ伏せに倒れた状態で、彼女は動かない。四本腕のゴブリンは慎重に歩み寄り、棍棒を捨てて、大ハンマーを頭上に振り上げた。ついに彼女の頭部が打ち砕かれるかと思ったとき、怪物はいとも簡単に引っくり返った。その足をつかんだまま、ジェシカが身を起こした。
「勝負あったな」
ヘンリー王に言われるまでもない。最初から勝負にならなかったのだ。
ゴブリンの両脚を、自身の両脇にたばさみ、ジェシカはさも楽しそうに、ぐるぐると回し始めた。
「はいほおおおおおっ、なんてな!」
ジェシカの高笑いが夜空をつんざいた。鬼だ。いや、鬼には違いないのだが、なんてえげつないやつだ。わざと先に打たせておいて、お次に自身が屠る快楽を最大限に引き出そうというのだろう。こうなると、むなしく腕を振り回しているかれらが、哀れに思えてくる。
さんざんぶん回したあげく、彼女は不意に、そして無慈悲にゴブリンの足を解放した。月の下にごちゃごちゃと積み重なるズ・シ横丁の屋根を越えて、ゴブリンの巨体は、飛竜のようにすっ飛んで行った。例え話ではなく、本当にロム川に叩き込まれたに違いない。
ただ、大鉈をついに用いなかったところが、人情派ジェシカの面目躍如たるところか。ミランダなら迷わず炎の剣をふるい、ロースト・ゴブリンにしていただろう。
「ウォーミングアップは、こんなところだな」
と、不吉な文句をつぶやいて、ジェシカはギロリとぼくを眺めた。
「もう用は済んだ。さっさと指輪に戻るんだ。さもないと……」
「どうしようって言うのさ」
舌なめずりするさまに、背筋が寒くなった。タチのよくないことに、こいつは与えられる懲罰を、どこか喜んでいるフシがあった。ぼくに言われたくはないだろうけど、変態である。まして衰えたミワで締めつけようとしても、ぬるま湯くらいにしか感じまい。むしろ手ぬるいのが不満だからと、反抗してくるタイプだ。
ある意味、このての被虐趣味者が、最も扱いにくい。
「そろそろ潮時じゃないのかい、フォルスタッフ。ミランダ姐さんにこんがり焼かれるよりは、あたしに首の骨を折られたほうが、まだ楽に死ねるよ」
「新しいご主人さまでも探すつもりか?」
「どうだか。ま、しばらくは自由の身を満喫するさ。あんたのことはそんなに嫌いじゃなかったけど、掟は掟。優しいあたしに屠られるのを果報と思って、覚悟するがいいさ」
とまあ、予想どおりの展開である。
ぼくは後退りつつ、そこに立っているはずのヘンリー王に目をやった。けれどもかれは、すでに一個のビア樽に戻って、地面に転がっていた。もちろん、蹴飛ばしたくらいで簡単に止まる鼾ではない。
絶望のあまり眩暈を覚えたとき、大きな酒の瓶を胸に抱いて、戸口から駆け出してくるロザリオの姿が、目に飛びこんできた。じつに機転が効く、いい娘だ。ぼくがこんな汚れた身でなければ、ぜひ嫁にもらいたかった。けなげにも彼女は、息を弾ませてこう叫んだ。
「フォルスタッフさーん、ひとつだけ無事でした。早く、これをそのお方に!」