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「仰りたいことはわかります。なに、侵入するポイントなら、しっかり押さえてありますによって」
まっ先に、ゼモ族のボレは、「壁」の中に潜りこんだ。やはり鈍重そうな外見とかけ離れた、素早い身のこなしで。意を決したように、伯爵がそれに続き、最後にぼくが茂みを掻き分けた。
「ほお」
という、ル・アモンの声は、溜め息とも感服ともつかない。ぼくもまた伯爵同様、呆然と周囲に目を凝らした。
国、というよりは、ひとつの街である。
多くの屋根が重なりあい、王宮とおぼしい、中心から突き出た尖塔を取り囲んでいる。そこが小高くなっているため、褪色した煉瓦色の屋根屋根と相まって、街の景観は、どこかカタツムリの殻をおもわせる。
空はむろん、ドーム状に覆われた茂みで見えない。それでも光を通すのか、薄曇りの日中ほどは明るい。奇妙なのは、屋根と屋根の間に、こんもりとした梢が見えることだ。樹上の街に、木が生えているという。思わず地面に目を遣ると、石畳が敷き詰められていた。
周りにひと気はなく、廃屋とおぼしい、崩れかけた家の陰になっていて、たしかに、ばったり誰かと出くわす心配はなさそうだ。
街の印象はのどかで、いかにも平和な雰囲気が漂っていた。見わたす屋根の下に干された洗濯物は、なるほど女物ばかり。窓の中で動いている人影も、やはりすべてが、女性のシルエットを描いていた。ミュルミドン蟻人に護衛され、男を捕らえて、血を絞るように種を絞りとる国とは、とても思えない。
「さすがにね、こういう姿を長くさらしていては危険ですので。ちょいと身を隠しましょうか」
ボレの言葉で、現状に引き戻された。ル・アモンも同様だったらしく、焦って身構えたりしている。
「心臓によくねえな。蟻の姉さんがたは、この辺りもうろついているのかい」
「蟻さんたちは、外回り専門です。ま、ひとたび事が起これば、すぐに飛んで来るんでしょうが。たいていは、蟻人の手をわずらわせるまでもありゃしません。この国の女たちは、強いですからな」
伝説によれば、女人国の漂着した男は、寄ってたかって八つ裂きにされるとか。ボレは語を継いだ。
「街の中の護衛は、主にヤフーたちが請け負っておりますよ。護衛といいますか、力仕事をはじめとした、雑役全般ですな」
「ヤフー?」
「馬人間、とでも申しましょうか。半獣神やハーフエルフなんかよりは動物に近く、知能は到って低いわけですが、女たちには極めて従順。ばか力の持ち主で、逆に申せば、侵入した男がこいつに見つかれば、目も当てられませんや。根は兇暴で野蛮なケダモノですからな」
ぼくも挿絵で見たくらいで、ヤフーの実物にお目にかかったことはない。しょせん、伝説上の生き物だと考えていたのだが、実在していたとは驚きである。妖魔の森の名称は、ダテではないらしい。
それにしても、ミュルミドンにせよヤフーにせよ、珍種中の珍種を飼い慣らしている、女王バブーシュカとは、いったい何者だろう。何を考えて、こんな樹上の国で、女たちの上に君臨しているのだろう。
「さ、こちらへ」
ボレの幅の広い掌が、ひらひらと踊っていた。
廃屋の庭に入り込むと、荒れた灌木の間の小路を横ぎった。雑草に覆われた花壇に咲き残った花があり、黄色い蝶がひらひらと舞い上がる。森の梢を飛ぶ、けばけばしい大型種ではない、人里でよく見かける蝶だ。隣の家との間に、境らしいものはなく、そのまま今度は、小奇麗な庭へと入り込んだ。
隣と異なり、よく管理されていて、雑草は丁寧に抜かれ、花が咲きこぼれていた。見上げれば瀟洒な二階家があり、窓辺にも花の鉢が覗く。いかにも女性らしい、こまやかな気配りが感じられる佇まい。
「まさか、この家に踏み込もうというわけじゃ、ないんだろうね」
廃屋とこの家だけが、周囲から離れ、緑の壁際にぽつんと建っているのだ。もし廃屋に身を潜めるにしても、隣家の目が気になるところ。ならばいっそ……という魂胆ではあるまいか。それはたしかに合理的ではあるけれど、ぼくとしてはあまり荒事は起こしたくない。
「いえね、この国には、きっちりした戸籍がありませんのです。ご覧のとおり、たいして広い国でもないんですが、万人が顔見知りってわけじゃない。むしろ女でさえあれば、だれがどこで何をしようと、無頓着なくらいでして。じつはそのほうが、女王にとっても好都合なんでしょうな」
ボレは二階家を見上げたまま、長い耳を、ぴくぴくと震わせた。