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ザ・ザの小砂漠を半分わたったところで、月が二つあらわれた。
ぼくはガルシアを止めて、斜め前方に起立する岩の上へ目をこらした。蜜蟻酒は好物だが、今夜は一滴も飲んでいない。なのに何度目をしばたたかせても、月は二つあるようにしか見えなかった。
宮廷の博士どもがこれを見たら、世界の終わりだのアル・ル・タジール王国の破滅だのと、大騒ぎしたに違いない。
もっとよく見るために、ガルシアから下りて、さらに数歩あゆみ寄った。
風がぱたりと止んでおり、マントは少しもはためかない。空気は澄んでいて、星が瞬くさまがよくわかる。こんな夜なら、あのいやらしい砂蟹どもが這い寄ってきたとしても、気配でわかるだろう。ぼくだって、一晩かけて骨にされるのはごめんだ。
眺めているうちに、月の一つが瞬きした。
「円眼鬼か」
そんなことだろうと思った。どこの誰かは知らないが、趣味のよくない術者が放った使鬼ではないか。
もちろん円眼鬼がザコだというつもりはない。こいつを使いこなす術者は、かなり強力なミワの持ち主でなければならない。とはいうものの、
(趣味がよくないんだよね。古代語を使えば、スタイリッシュじゃないってことさ)
あんなごつごつした化け物と、自身のミワを同調させるやつの気が知れない。
円眼鬼は筋肉隆々・フンドシ一丁の巨人で、つるんとした頭部のてっぺんから、フィン族みたいな辮髪をたらし、鼻も口もない顔の真ん中に、巨大な真円形の眼をそなえている。ばかでかい斧を所持しており、五マリートくらいの岩ならば、一撃で打ち砕く。
(まったく、趣味がよくないんだよね)
溜め息をついた。
ちなみにぼくが命を狙われる理由なら、星の数ほどある。三百年ほど生きてきたが、悪行三昧の人生であった。もっとも、最近はさすがにミワの衰えを感じて、ずいぶんおとなしくしているが。全盛期には、アル・ル・タジール王国を滅亡寸前まで追いこんだこともある。
「トシはとりたくないものだな」
自慢じゃないが、見た目は若い。花も恥らう紅顔の美少年。そのじつ、厚顔無恥な老魔法使いなのだけど。
再び月が瞬いた。やれやれとつぶやきながら、ぼくは左手の指を伸ばし、手の甲を面前にかざした。五本の指には、それぞれ五色の石をあつらえた指輪が嵌まっている。親指から始めて、黄、赤、紫、青、緑……痛みを覚えたように、ぼくは眉をひそめた。
めまいがする。
いよいよミワが使鬼の霊力に、耐えきれなくなっている証拠だ。
こんなことなら、剣術使いの護衛でも雇っておくべきだったが、筋肉隆々・フンドシ一丁の刺客を前にして、今さら悔やんだところで始まらない。ぼくは右手の人さし指に中指を添えて、指輪の一つに触れた。刺すような痛みとともに、黄金色の火花が散った。
「アール・ミーム・ミール・ワーフ。偉大なる夜の支配者。暗黒の王の御名において、我は望み、我は求む。炎と血の精霊、サラマンドルの眷属。ミランダをここに召還せんことを」
指輪が灼熱し、閃光が弾けた。
紅蓮の炎が噴出し、中空で渦を巻いた。
炎はのたうちながら蛇と化し、トカゲと化し、やがてほっそりとした一人の女の姿を描いた。腰まで届く真紅の髪。額と首と左腕に巻かれた黄金の飾り輪。美しい体の線もあらわな赤いドレス。そのスリットから、ほっそりとした脚を覗かせている。
ミランダは左手を軽く腰にあて、右手に炎の剣を引っさげて、中空から青い瞳でぼくを見下ろした。
「あそこにいるの、円眼鬼でしょ。いやよ、わたし。フンドシ野郎の相手なんて」
ミワが弱まると、使鬼もやたらと反抗的になってこまる。全盛期にはずいぶんいたぶって、いや、可愛がってやったものなのに。