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追放者アテルイ 異国に刻まれし英雄譚  作者: Toriatama


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カノン視点② ― 追手が来ない真実

 旅の道程に、奇妙な静けさが続いていた。

 老木を越え、洞窟を抜けてから、何日も経つ。けれども――追手が一人も現れない。足跡を消すための緊張も、もはや必要なかった。


 アテルイと二人、並んで歩く。言葉少なな彼だが、ときどき拙いジパング語を試すのが可笑しくて、私は思わず笑ってしまうこともある。


 だが、心の奥ではどうしても引っかかる。森の主の支配が途絶えたからなのか、それとも――童が何かを知っているのか。けれど今は考えても仕方がない。迫るのは冬、冷たい雪と飢えだった。


「……アテルイ」

「ん?」

「ずっと逃げ続けるのではなく、どこかで腰を落ち着けませんか。冬が来れば、旅どころではなくなります」


 言葉にしてから、つい“様”を付けそうになった自分に気づき、慌てて飲み込む。まだ呼び慣れず、喉に小骨が引っかかったような違和感が残った。


 彼は立ち止まり、首を少しかしげる。

「拠点か。……悪くない。言葉もまだ学ばねばならんし、神気を抑える訓練にも都合がいい」


 その理由も、私は察していた。

 彼の身を包む見えざる圧――神気。

 それはただ歩いているだけで森をざわめかせ、獣を怯えさせる。鹿も猪も、彼の気配を察するや一目散に逃げ去ってしまうのだ。狩りをするにも、食料を得るにも、彼がその力を制御しなければならなかった。


「……なるほど。だから拠点が必要なのですねそうすると糸などは私の力で作れますしまた簡易ですが家を建てたことはあるのでお力になれると思いますただ木材が必要でして木を切ってもらわないといけませんがお願いできますか?」

 私が呟くと、彼は小さくうなずいた。


 ところが、次に口をついて出た彼の言葉は、私を呆れさせるものだった。

「だが、木を伐っても襲われたりはしないか?」


 私は思わず吹き出しそうになる。

「木に襲われるなんて、そんなこと、森の主くらいですよ。普通はありえません」

「……やはり、あれは珍しかったのか」


 彼は淡々と、あの巨木に襲われた顛末を語った。致命の傷を受けながら立ち上がり、剣で両断したと。まるで些細な狩りの報告のように。


 私は息をのむ。森の主――この地を束ねる支配者。それを倒したというのか。

 ならば追手が来ないのも当然。監視役だった童が、あのとき私を誘い込んだ理由も、すべて腑に落ちる。

 ……だが。

 なぜ童は私を殺そうとしたのか。その謎だけは残った。


 やがて私たちは森の奥に材木を集め、小屋を建てることにした。アテルイが巨木を軽々と伐り倒し、私は糸を編んで縄や釘の代わりにした。

 数日で、山小屋にしては見事な住まいが出来上がった。


 冬風を避ける壁に、火を囲む炉。天井には私の糸を張り巡らせ、雪の重みを支える補強とした。

「……悪くないな」

 アテルイが満足げにうなずくのを見て、胸が温かくなった。


 食料も集まり、焚き火を囲んで過ごす夜。私は口を開く。

「アテルイ、言葉だけでなく、この土地の文化も覚えておかねばなりません」


 そう言って、私は自分の衣の袖をめくり、織り込まれた文様を指でなぞった。

「この曲線は“水”。重なる三角は“山”。私たちはこうした文様で自然を記し、意味を伝えるのです」


 アテルイは目を細め、その模様をじっと見つめる。

「……形に意味を縛るのか。だが、これは文字ではないな」

「ええ。この国では、まだ“文字”という文化はありません。人は歌や文様で記憶を受け継ぎ、物語を語り継ぐのです」


 彼は少し黙り込み、火に照らされた手を握りしめる。

「なるほど……我が国では石に刻まれた記号で神殿に祈りを残した。だが、ここでは布や器に描く模様が、それに当たるのだな」


 私は小さく頷いた。

「そうです。だからこそ、あなたが持つ知識はこの国の誰も知らぬもの。大切にしてください」


「またこの国には、あなたのような“落ち人”も他にいます。しかし、生き残る者は少ないのですその理由の一つが...」

「“精霊術”を知らないから。風に祈れば嵐を鎮め、川に供物を捧げれば水が澄む。大地に歌えば作物が実る……そう伝えられています。ただし、代償や制約がある。私は使えませんが、存在することは確かです」


「ふーん」

 それだけ。興味なさげに火を突きながら。


 私は堪らず眉を吊り上げた。

「剣だけに頼っていれば、必ず痛い目を見ます」

「……」

「精霊術を知らずにこの地で生きられると思ったら、大間違いですよ!」


 気づけば母親のように声を荒らげていた。

 アテルイは押され気味に視線を逸らし、わずかに苦笑する。

 その心の中で彼は――「神をも恐れぬ娘だな」と少し思ってしまった。


 彼の顔に浮かんだ一瞬の驚きが可笑しくて、私は小さく笑った。

「分かればいいのです」

「……わっわかった」

 ふてくされたように答えるその様子が、なぜか少年めいて見えた。


 その夜、小屋の中には奇妙に家族めいた温かさが漂った。


 雪が積もり、やがて溶ける。長い冬を二人で越え、春の匂いが森に満ちた。

 アテルイは神気の制御をある程度身につけ、言葉も拙いながら覚え始めていた。


「かな……」

 何日かたったある朝、彼が私をそう呼んだ。


 思わず笑ってしまった。

「“カノン”です。発音を間違えていますよ」

 彼は不満そうに口を尖らせる。

「難しいな言葉だけはもう少しで出発の時だというのに」

「大丈夫。道中も教えますから、少しずつ良くなりましょう」


 私はそう言って、春の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 北を目指す旅は、まだ続く。

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