アラハバキ戦・序章
雷鳴のような衝撃がふたたび響き渡った。
だが、一度目とは違う。アテルイは額に汗を浮かべながらも、今度は力を受け流し、衝撃を岩棚の外へ逃がす。余波が白緑の岩を震わせ、破片が雨のように散った。カノンは銀糸を張り巡らせ、カヤを庇う。
白波が砕け、潮霧が奇岩の列を撫でていく。ここはまるで神殿の回廊だ。岩は柱、海鳴りは鐘。
岩座の上で立ち上がったアラハバキは半身を崩さず、一本の槍を静かに構え直した。穂先が潮風を裂くたび、空気が低く唸る。
最初の突きは雷のきらめき。アテルイは柄の軌跡を読むと、半歩だけ右へ斜に滑る。穂先が髪をかすめ、背後の岩に裂け目が走った。続く刺突の連なりを、彼は濡れた岩棚の段差に踵を預けて沈み、突き出た岩角を踏んで反転し、紙一重でいなしていく。
アラハバキの口元に愉悦が灯る。「思ったより、やるではないか」
呼吸は乱れていない。だが腕に残る痺れが、先の打ち上げの衝撃を思い出させる。アテルイは剣を低く据え、ひたすら溜めを読む。わずかな“間”はある――だが、この神は身体ひとつで帳消しにしてくる。どう崩す。
槍はなおも縦横に雨を成し、穂先が岩盤を削って石片が跳ねる。三度目の刺突、アテルイは突き出した岩角を踏み台にして肩を外し、逆袈裟に切り返した。
アラハバキは膝を柔らかく抜いて剣線を紙一重で外し、間合いを潰すや、槍の石突で腹を鋭く押し上げる。内臓が逆流する鈍痛。視界が白む。だがアテルイは反動を利用して後ろへ転がり、濡れた岩棚を滑って距離を取った。
「悪くはない。だが――」
神は穂先をわずかに下げ、肩へと預ける。怒号の熱は消え、冷たい熱だけが残った。
岩窟の影から見守るカノンは、二人の動きにようやく目が追いつく。直線ではなく、岩の段差と潮の返しを使って流れるように交錯する戦い。彼女は震えるカヤを、より深い岩陰へ移し、銀糸で即席の障壁を編むと、身を伏せた。視線は戦場を離さない。――織り込める余地は、ある。
このまま削られるわけにはいかない。アテルイは賭けに出る。
利き腕に剣、もう片方の前腕には上衣を手早く巻き付けた。剣は半身に隠し、布を巻いた腕をわずかに前へ差し出す。誘いだ。
アラハバキはにやりと笑みを刻み、ためらわず踏み込む。一本の槍が唸り、一直線に伸びた――腕ごと胴を穿つ軌道。
ぎ、と穂先が鈍る。布の下で糸が食い、微かな軋みが骨に伝わる。痛みはある。だがアテルイは突きの勢いを殺さず、柄を抱え込むように自らの身へ引き寄せ、同時に半身を捻って剣を横に振る。
刃は胴を狙う――が、アラハバキは後足で岩棚の角を踏み、体幹だけで距離を一寸ずらした。剣は衣を裂いただけで止まる。次いで彼は槍を後方へ大きく引き抜き、石片を撒き散らしながら間合いを開く。
「ほう」
アラハバキの視線が、アテルイの手に落ちる。巻いた布の内側で穿たれた掌――深い傷が塞がりきらず、じわりと血を滲ませている。
「回復が遅い。……神とはいえ、まだ若いな」
アテルイは答えない。腹の痛みを呼吸で押し込み、剣先をわずかに揺らす。潮霧が濃くなり、奇岩の影が長く伸びる。
アラハバキは槍を水平に寝かせ、穂先を岩肌へ擦った。火花が散り、海風に飲まれる。
「ふむ、興が乗った。最初はなぶり殺すつもりだったが――見せてやろう。大地に連なる古きかたちを」
次の瞬間、神の身体がほどけるように落ち、鱗の光沢を帯びた背骨が波打った。現れたのは一本の大蛇――アテルイを三倍も見下ろす巨躯、六メートルを超える長大な影が岩棚をのたうつ。槍はその顎と一体の牙へと変じ、人を優に丸のみできる口が閃いた。牙の一閃は低く、粘りを帯びて地を這う。
アテルイは剣を握りながら考えた。恐ろしい見た目だが――でかくなった分、的は大きい。今なら当てられる。
恐怖を押し殺し、理屈で己を奮い立たせると、蛇の胴体に素早く回り込み、頭上から振り下ろす縦なぎを放った。
刃が硬い鱗を弾き、白い破片が風に舞って潮霧へと溶ける。黒い皮下に赤がにじんだ。
「……良い。なおも来い」
低い声が、岩の裂け目から湧くように響いた。
その瞬間、背後から鋭い風切り音。
カノンの放った銀糸が、白霧を裂いて蛇の進路を阻んだ。糸は幾筋にも広がり、岩から岩へと張り渡されて即席の網を成す。
「アテルイ!」
カノンは叫ぶと同時に、岩陰から飛び出した。
白銀の髪が潮霧をはじき、八本の脚が岩棚に吸い付くように走る。幼いカヤを守るために身を引いていた彼女が、初めて正面に立った。
「私も加勢します戦いはあまり得意ではないのですが相手を制限するぐらいはできるかと」
「……助かる だが無理はするなよ」
アテルイは短く頷き、剣を構え直した。
潮風が三人の間を吹き抜け、仏のごとき岩々に反響する。
今や戦場は、アテルイとカノンが並び立つ双翼となった。
「むぅ……二体一か。それもよかろう」
蛇の神気が荒れ狂う中、白と黒、糸と剣が一つの陣を描いていた。




