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8 揺るがない心

 私はその場で脱力してしまった。


 まさか──

 なぜ──

 こんな場所で、こんな状況で──。


 目の前に広がった映像は、まさしく私の幼い頃の様子だった。

 映し出される、若き日の母。白衣姿の父。見覚えはほとんどないけど、きっと祖父母の面影。

 時はだんだんと進み、幼少期、少年期──そして、中学の一番苦しかった時期に支えてくれた友人たち。


 それらの光景は、忘れもしない。

 私というもの、人格、すべてを形成した「私」という人生の歴史。

 そのすべてが、目の前に広がっていた。


 私は理解した。

 アスクレーが最初から私に見せてきたもの。

 私がその目で確認し、思わず胸が高鳴るほどにワクワクしてしまった軍事研究。

 第一次世界大戦のきっかけとなったヨーロッパのとある地域の映像。

 そこから時を超え、土地が変わり、また映し出されたのは、ある地域の軍施設。

 そこでも映像の“主”は、軍事の研究に手を染めていた。


 そして今、私の目の前にあるのは、紛れもなく──『わたし』だった。


 私はもう一度、自分の心に問う。

 これはすべて『わたし』だ。

 中世から近代の映像もすべて、おそらく『わたし』であった。


 私はしゃがみ込んだままその映像を見上げていたが、ついに首の筋肉が弛緩し、項垂(うなだ)れてしまった。

 ボロボロと涙があふれる。だが、なぜなのかはわからない。悲しいのか、悔しいのか、怒りなのか、それとも自分への失望なのか──。


 どんどん、私の脳と心に「理解」の波が押し寄せる。


 『わかったってば わかってるって もういいって 全部わかってるって』


 私は、自分にそう言い聞かせたりした。


 しかし、もう『理解』してしまった私の脳は、その呪縛をつかんではなさなかった。


「つぎの映像をみるかい?」


 冷酷な言い草だと思った。

 アスクレーは、そんなことを言ってくる。

 もちろんアスクレーに心がないことはわかっている。いや、アスクレーは私が作り出したものだ。

 むしろ私自身が、その“次の映像”を見ることを望んでいるとでもいうのか?


 私はすぐには、答えを出せずにいた。


未来(ミキ)、ゆっくり考えるといいよ。きっと人間って似たような思いをすると思う。だからまったくの違うものになりたいんだろうね」


 なにを言っているんだろう。

 少なくとも、私を(なぐさ)めてくれているようには思えない。

 私自身も何に対して涙を流し、こうして全身の力をなくしているのかすら、よくわかっていない。


 しかし──一つだけ明確にわかることがあった。

(れい)』は、文字通り『(ゼロ)』ということ。


未来(ミキ)


 またアスクレーが阻害してくる。

 ゆっくり思考したい。分析し、考察を練りたい。

 理解させるだけさせておいて、私に考える余地すら与えないのは卑怯だ。


 私は立ち上がって、アスクレーから少し距離を置いた。


「……アスくん。私は少し考えたい」


「考えた結果、人間はほぼ同じ選択をすると思うよ」


 きっと、そうなのだろう。

 その言葉の意味は、今すべてはわからないが、もうだいたい察しはついている。



 アスクレーの言う『人間』はみな、辛かったことや、悲しかったこと、死の間際の痛みや苦しみのことを思い出し、思い浮かべ──

 そしてもう二度と『思考を持つ生物にはなりたくない』と思うのだろう。



「アスくん、今私は、あなたがさっき言った、ここの『ルール』を理解することができたよ。そして『(れい)』というもののあり方も」


「じゃあ深く考え込まなくていい。人間がみな同じようにとった選択をすればいい」


「違うの、そういうことじゃない。私は──ただ、この広大な宇宙を見てみたかっただけ。それが私の希望。

 でもそれは傲慢(ごうまん)だった。私がいた頃の地球、宇宙開発が始まって約三百年余りをもってしても、何も見出せなかった地球で、なにが宇宙を見てみたいなんて思ったのか──

 私はそもそも間違っていた。四十六億年ある地球の歴史の中で、たった三十万年しかない人類の歴史で、私たちのたった五千年、そして三百年で何もできなかった。

 でも、私は見てみたかった。そうして、無茶で無謀な行動を起こした。

 でも今──それを後悔はしていない。

 私が感じていた、あの長い長い宇宙船の中で、ずっと苦しみ続けていたあの後悔は決して無駄じゃなかったと思う」


 アスクレーは、じっと私のこの取るに足らない戯言(ざれごと)を、黙って聞いていた。


「私はたくさんやりたいことがあった。もっと知りたいこともあったし、やらなきゃいけないこともあった。

 放課後に友達と遊んでみたかったし、恋愛もしてみたかった。

 人間という不完全な生物に生まれてしまったばっかりに、寿命とか身体の不自由さと闘った。

 “天才少女”と呼ばれたことに少し戸惑いながらも、私は懸命に父と終わることのない、無駄とさえ思える研究を重ねた。

 そういった人間のあらゆる不完全な能力すべてが、今はとても(とうと)いと思える。

 結局人間は争いを起こしてしまうけど、人類すべてが馴れ合いで生きていけるとも思えない。

 とても悲しいし、愚かだと思うけど──それが人類の歴史であり、根源であり、行き着くところなんだと思う」


 アスクレーが、だんだん薄まっていくのがわかった。


「私は帰りたい。地球に帰って、やり残したことや、できなかったことを、またやり直したい」


 私は確信したように、アスクレーに思いを放った。

 もう何も考えず、難しいことはごちゃごちゃと考えず、ただ単純に──人間という生物に、還りたい。


 私のその言葉を聞いて、アスクレーは、この惑星と同じように青く、灰色に染まっていった。

 そして最後に、私にこう言った。


「お父さんに、感謝しなきゃね」

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