3 暗闇と光
* * *
「目的はなんだい? 未来」
「どこか遠い宇宙の星で、もし私を拾って救ってくれるような高度な文明があるのだとしたら……私はそれを見てみたい。私は、自由に身体を動かしてみたい」
「遺書に書いてあることは、そのまま君の意思なんだね?」
「そう。私はどうせ早く死んでしまう。もう地球の医療技術では、私の身体は治らないの」
「……しかし、もしかしたらと思うことはないかい?」
「うん、それも何度も自問自答した。でも、私の意思は変わらないと思う」
「だけど、それでも……変わるのかもしれないよ?」
「私は高度成長からの歴史をよく学んだつもり。この二百五十年以上もの間、私の病気に対する技術は変わらなかった」
「……生まれ変わるかもしれない」
「もしそうなら、それは素敵なことだと思う。また、私はお父さんとお母さんの子供になりたい」
「神様は、必ず見てくれているよ」
「そうだったら……嬉しいな」
* * *
私は、地球での父との最後の会話を思い出していた。
このやりとりを思い返すのも、もう何度目だろう。数え切れないほど繰り返している。
父は、何を私に伝えたかったのだろう。
父は私を、説得しようとしなかったのだろうか。
意識が朦朧とした中でのやりとりだった。何度も思い返すうちに、本当に忘れてしまった箇所もある。
父は、あくまで「父」だった。研究者としての側面も見せたようにも思えるし、娘を助けたいという父親の顔を滲ませたようにも見えた。
しかし、そんなことを今さら思い返しても無駄なことだった。
私には、もう地球へ帰還する術は存在しない。
この先何千光年、いや、もっともっと長い旅をし続けなければならない。
どこまでも続く――きっと、どこまでも暗く静かな宇宙の海を。
私はこうして、この“殻”の中で、ずっと過ごさなければならない。
……しかし、「意識」というものは、本当に厄介なものだ。
そんなことを、いつも同じような思考として何気なく繰り返していたとき。
こんなことを考えている間も、宇宙船はおそらく宇宙空間を進み続けているのだろうが——
——私はごくわずかに、ほんのかすかに浮遊感を感じ取った。
いや、確かに、私の意識のレベルが上がった。
そしてさらに、宇宙船の動きが変わった。
正確には「吸い込まれるように、宇宙船の進行方向が勝手に修正された」ように思えた。
……なに。どうせ私には何もできないんだ。
このままどこかの惑星の重力にでも引っ張られて、衝突するなり、核融合の中に突っ込むなり……あとは、どうにでもしてほしい。
ようやく、私は――解放される。
遥か遠い過去、相当な歳月の前に経験したことのある、
「人間としての意識」を――再び、私は手放したのだった。
* * *
星野未来の乗った宇宙船は、ある惑星に引き込まれていった。
「引き込まれる」という表現が正しいのかどうかは分からない。
あるいは未来は、自らの意思でその惑星へと向かっていったのかもしれない。
……誰にも、知る由はなかった。
未来が最後に感じたかすかな幻影――
たった一本の線でつながれただけの、混濁する意識の中、彼女が「見た」その惑星から放たれた、波立つ砂のようなものへ、彼女の乗る宇宙船は、静かに滑り込んでいったのだった。
* * *
気がつくと、私はすでにコールドスリープから解き放たれていた。
信じられないことに、私は宇宙船から“出されていた”のだ。
放り出されたわけでもなく、投げ出された様子でもない。
宇宙船は、私のそばにはなかった。
正確には――私は「何者かの手によって」、この見覚えのない場所へと運び込まれていたのだと思われる。
そして、何より驚いたこと。
私は、身体を動かせるようになっていた。
体の自由とは、こんな感覚なのか――と感慨に耽る暇もないほど、私は混乱していた。
どうして? 誰が? いつのまに? ここはどこ?
「あー……あーいーうーえーおー」
私は声を出してみた。
きちんと発音もできる。なにより、言語を忘れていない。
同時に、頭の中を整理したいという欲求が湧いた。
混乱する感情の波に襲われそうになるが、なんとか思考をつなぎ止めようとした。
「私は……遠い地球から放たれた宇宙船に乗り、この惑星? まで到達した、星野未来です。どなたか存じませんが、私をピックアップしてくれてありがとう」
簡単に一人会話をしてみる。ちゃんと発話できる。うれしい。
私はなんとなく、心が踊った。
辺りを見渡してみる。
ここは部屋のようでもなく、かといって風景があるわけでもなかった。
この、ゆらゆらと地に足がつかない感覚は――
水中を泳いでいるような、長い船旅から地上に降り立ったような、そんな感覚なのかもしれない。
私は、いつか自分の身体で泳いでみたいと思っていた。
船に乗ってみたいとも思っていた。
本やムービーの中でしか知らなかったこの感覚は、本当に新鮮で、感動的だった。
この何もない『空間』は、誰かが意図的に作り出したものなのか。
それとも、私の意識が創り出した幻想なのか。
頭の中で、いろんなことが巡る。
それらは、おそらく一瞬のまばたきのようなもの。
私の思考回路という名の頭脳と、海馬にある記憶が複雑に絡み合い、
そこから紡ぎ出された言葉を、私は自分自身に問い、そして答える――
いつの間にか、私の表情は笑顔になっていた。
自分でもわかるほどに、顔の筋肉が自由に動かせる。
手を上げ、指を動かしてみる。
自由だ。うれしい。
そして私は、涙を流していた。
* * *
次の瞬間――
私の脳裏に、何かの衝撃が走った。
パルス信号のようなものでもない。
かつて父や母と交わしていた『脳波による対話』とも違う。
「……誰?」
私は、声を発した。
考えていても多分わからない。とにかく、私は思いつく限りの言葉を発した。
なるべく統一された言語で。
「こんにちは。私の名前は星野未来です。地球という惑星から来ました。私は人間という有機生命体です。敵意はありません。平和的な交渉を望みます」
続けざまに、私は話しかけた。
交渉を、対話を、どうしても望んだ。
そしてまた――私の脳裏に反応があった。
かすかに感じ取れる、この感覚。
今までに経験したどんなものとも違っていた。
私は続ける。
「救ってくれて、本当にありがとう。どのような技術ですか? 私は地球では“エンジニア”と呼ばれる技術職でもありました。また、様々な知識も、この“脳”という内臓器官に“記憶”という形で残っています」
少しアピールするように、言葉を選びながら、その“話者”に向かって話しかけた。
「もし私と会話ができるなら。もし、同じ身体を持つ生物なら――私は、あなたたちと友好を結びたいです」
誰ともわからない。
もしかしたら、とても不気味な宇宙人かもしれない。
……それなのに、なぜこの時、私はこんなにも恐れ知らずだったのだろうか。
何も怖くはなかった。
はっきりとした理由がある。一度死んだから、なんていう安直でチープな理由ではない。
私は――好奇心に、震えていたのだ。
身体が自由に動くということが、これほどまでに無敵感に溢れているものなのかと。
私は半分、勇者のような気分だった。
そんなことを思いながら、きっと私は――
どこか優越感にも似た、陶酔にも似た、思い上がった感覚の中にいたのかもしれない。
「………/」
……何かが、聞こえる!
私は耳を澄ませて、頭の中をなるべくクリアにするよう努力した。
「……ホシノミキ……」
聞こえた。私の名を、呼んだ。
「……『 』……」
……なんだろう?
「ホシノミキ……ワタシ……ソコヘイク」
はっきりとした意志表示を、私は受け止めた。
そして私は、この場にて――その“声”の主を、待つことにした。