1 プロローグ
人体冷凍保存――私はそれを望んだ。そして、宇宙へ向けて。
22XX年、日本。
私、星野未来はこの時代に生まれた。先天的な病気を抱え、身体は不自由だった。
中学生まではなんとか欠席を繰り返しながら卒業し、高校も難関校に合格。
だがそのあたりから、いよいよ私の身体は自由が利かなくなっていった。
幼い頃から本を読むことや、授業の先を学ぶことが好きだった。
ときには哲学や宗教観を学ぶこともあった。
とりわけ宇宙に関するものへの知識欲は、人一倍だった。
この時代になってなお、宇宙の全体像は全く把握されていない。
はるかなるその未知の存在に、私の知的好奇心は燃え続けた。
私はAR技術によって人との交流もできていたし、さまざまな分野の研究職の補佐を任されることもあった。
報酬もあり、私には期待が寄せられていた。
だが、私の学びや研究は結局、宇宙開発競争や、戦争、内紛のための軍事技術へと行き着くことを知った。
それでも私は、悲しんだり、憤ることはなかった。
人間なんて、そんなものだ。
紀元前の哲学者たちも、学者たちも、とうにそれを文献の中で語っていた。
――人類の行き着く先は、争いであると。
しかし、ときに心がやさぐれることもあった。
どんなに強がっても、この身体が蝕まれ続け、だんだんと狭くなっていく可動域を感じる。
眠れない時間や、友人たちが見舞いに来て帰ったあと――
一人の時間を噛みしめるたび、私の心臓は、大きな手にぎゅっと握られるような思いに包まれた。
それでも、私は常に気丈に振る舞っていた。
「負けない」
きっと、私と同じくらい苦しみや悲しみを抱えている人はいる。
私はまだ、自分の頭で物事を考えられるだけマシだ。
誰かと比べることは失礼だし、意味もない。
――そう、自分に言い聞かせていた。
それも、ついに限界を迎えた。
いよいよ私の身体は、ほぼ自由が利かなくなった。
会話もほとんど脳波による会話しか許されなくなっていた。
突然、そのときは訪れた。
私は焦った。こんなに急に来るなんて、聞いていない。
少し驚いたが、やはりこれは予想していたことだった。
私はその時も、気丈に受け答えをしていた。
「未来ちゃん、なにかしてほしいことはある?」
母は、いつも優しかった。
マッサージをしてくれたり、おいしい果物を与えてくれたり、会話をしてくれたり。
ときには、ただ黙ってそばにいてくれることもあった。
それが安心できる時間だった。
母の負担は相当重かったはずだ。
だから私は、応えるように勉強をして、報酬を得られるようにあらゆる仕事をしてきた。
でも、もうそれもそろそろ終わりだ。
「……お母さん」
私は脳波ではなく、自分の口を動かし、なんとか言葉を振り絞った。
「なあに、未来ちゃん。無理しなくていいのよ」
母は、私が口を開いたことに驚いていた。
「ううん、大丈夫。でも……たぶん最後の会話だと思って」
自分で言いながら、なんて残酷なんだろうと思った。
それは、自分自身に対してではなく、母に対してだった。
でも私は、続けた。
「私の手書きの遺書があるの。それを取ってもらえる?」
私は母に、その在処を伝えた。
ここは自宅ではあるが、政府の医療施設と研究所を併設した国家機関の一部でもある。
この自室は『私の手が届くように』設計されていた。
「わかったわ。……これね」
「うん、ありがとう」
私は母に説明した。
遺書の内容は、母をさらに驚かせるには十分だった。
「そんな……! そんなこと……嫌だわ」
母のその驚きと悲しみ、あるいは憤りが混じった表情は、
今まで生きてきた中で、私の心に最も深く突き刺さるものだった。
「お母さん、ごめんね。でも、私……宇宙を見てみたいの」
地球人類の宇宙開発競争は、すでに終焉を迎えていた。
終焉というよりは、頓挫と言ったほうが近い。
この2200年代の科学や技術をもってしても、太陽系の外に手を伸ばすことは叶わなかった。
有機生命体としての限界。物理法則の壁。
どれだけ高性能な望遠鏡が開発されても、宇宙はあまりにも遠く、果てしなかった。
人間の想像が、追いつける世界ではなかった。
――だからこそ、私は飛び出してみたかったのだ。
この遥かな宇宙という空へ、私は行ってみたい。
何があるかもわからない果てしない銀河へ。
私の“冒険心”は、止まることを知らなかった。
「未来ちゃん、私、嫌よ……! あなたと離れたくないわ……」
母は、縋るように言った。
どうせ私は死んでしまうのに。
母より先に、この命は尽きてしまうのに、母はその最期を見届けたいと願っているのだろうか。
いずれ、この身体は燃やされる運命にある。
それならば――いっそ、そうしてほしい。
母は、ずっと涙を流し続け、嗚咽をこぼしていた。
無機質なこの部屋に、母の声だけがこだましていた。
そうして、悠久にも思える長い時間が過ぎた。
数時間後、父が数人の研究者とともに部屋に入ってきた。
私は脳波で父に説明をした。
遺書の内容も、父と研究者たちへ伝えた。
「未来、本気でそんなことを言っているのか」
父の反応は、母とは違っていた。
怒るでもなく、悲しむでもない。
むしろ、ほんのわずかに口角が上がっているようにも見えた。
父は国家の重要人物だった。
研究機関の最高責任者であり、医療の最高顧問でもあった。
私は彼の手によってあらゆる技術を導入され、脳波や意識の保存にも成功していた。
宇宙開発では世界の第一人者でもあり、私が多くの学問を学び、研究に携われたのは父のおかげだった。
父が娘である私に愛情を見せたことは、ほとんどない。
その施しはあくまで研究のため、医療のため、そして――父自身の好奇心のためだった。
それは父自身が、隠すこともなかった。
でも私は、そんな父を憎んだことはなかった。
むしろ尊敬していた。
私にとって父は、研究者としての上司であり、学びの祖であり――
そして時折見せる“父としての顔”は、確かに私の心を癒してくれた。
「……お父さん」
私は母のときと同じように、口を動かして言葉を振り絞った。
「なんだい、未来」
父は応えた。
その瞳に宿る期待の色は、次の私の言葉を待っていた。
「お父さんなら……できるよね」
私はあまり多くを語らなかった。
これが、ほぼ最後の会話になることもわかっていた。
「ああ、やってみせる。未来を必ず、遠い惑星に届けてみせるよ」
父は私の手を握り、固く誓った。
涙など見せなかった。
ただ、かすかに微笑んだその表情――
それが、父としての最後の愛情の顔だったのか。
あるいは、研究者としての満足にすぎなかったのか。
……きっとそれは、愛だけでも、好奇心だけでもなく、きっと両方だったのだと、今なら思う。