第八話 王様と息子
子供の頃は、セシルとクレア姉弟の三人でよく森で遊んだ。
その頃のクレアはかなりのお転婆だったが、クレアの妃教育が本格的に始まると遊ぶ機会も減っていった。
かわりに。年頃になった兄の興味を婚約者からそらすための暗躍でセシルは忙しくなった。
兄が好きな剣技と、体術などの武術とを総合したクラブ活動を学園に起ち上げて、選りすぐりの騎士や傭兵を講師に呼んだり。
扱いやすそうな貴族にこっそりと兄の好みのタイプを教えたり、好みに近い女生徒をわざと押しつけてみたり。
去年、兄の好みを完璧に体現した少女ジュリエッタが男爵の隠し子として学園に通いだして。
ついに兄は恋に落ちた。
昨日の渡り廊下に兄を呼んだのもセシルだ。
念願の婚約破棄には満足していたが、セシルの想いはクレアの心までは届かなかった。
兄の恋に力を入れすぎて肝心なクレアと恋の駆け引きをしてこなかったことも敗因のひとつだが。
セシルは告白に失敗した。
まだ、クレアに好きと伝えていない。
「父上! クレアとの婚約を認めてください!」
フーッと毛を逆立てた猫のようなセシルが、父王に噛みつく。
「やれやれ、次から次へと」
と王は肩をすくめた。
昨日は長男が、婚約解消の報告と、結婚したい相手がいるので紹介したいと言ってきた。
すでに学園での醜態を耳にしていた王は「頭を冷やせ」と一蹴したが。
今度は、さら頭に血がのぼった弟を諭さねばならない。
「公衆の面前で一方的に婚約を破棄をされた侯爵嬢が、心に受けた傷を癒やす時間を望んでいるのだ。今、お前との婚約など勧められるものか」
「それは王都を離れたい彼女の単なる言い訳です! クレアはそんなにヤワじゃありません!」
セシルが断言した。
あれくらいでクレアが病んだりするはずがない。
「つまらない心の穴なんか、僕で埋めてあげるのに……父上、早く婚約させて下さい! 連れ戻すのに早馬が間に合わなくなる!」
兄をたてて一日待ったら。
クレアは辺境の地へと旅立ってしまっていた。
クレアらしい行動力に、セシルはまた後悔することとなった。
彼女のいない王都では息をするのも面倒で。なぜ自分がまだここにいるのかわからない。
「人の話を聞かない奴だ。侯爵が今は誰にも会わせられる状態ではないと言っているのだぞ」
「だから、そんなのは嘘ですって! わかりました、もう父上には期待しません。迎えに行くので許可だけください」
早くして、とにらんでくる息子に。
王は溜息をついた。
「もう少し冷静になれ」
セシルがここまで興奮するのも珍しいが、普段の冷静な状況判断ができないとは情けない。
それほど好いていたことをこれまで隠しておきながら、ここにきて爆発させている。
年相応か。と内心は苦笑いをしていた。
「今は無理だ。もう少し時間をとりなさい」
セシルはぷいっと。
「もういいです、失礼します」
踵を返した。
すぐに後を追うつもりだった。もう、この時間すら惜しい。
「まあ待て。お前に聞きたいことがあってな」
「忙しいので、今度にして下さい」
誰が見てもわかるくらいに不機嫌な答え。
振り返りもしない。
「ジュリエッタという娘のことで、お前の意見も聞きたい」
溜息をついて仕方なく振り返ると、父王は真面目な顔をしていた。
「素敵なご令嬢ですよ、兄上とはお似合いなんじゃないですか」
テキトーな答え。興味がない事を隠そうともしていない。
王は疑わしそうにセシルを見ながら。
「真面目に答えろ。彼女はダレル男爵の隠し子だと聞いているが、その肩書きは怪しいそうではないか……しかも、兄にあてがったのはお前だな?」
「なんのことですか?」
とぼけてみるが、王にはバレているようだ。
そしてジュリエッタが男爵の隠し子というのは、王が言う通り無理があった。
軽薄な金髪に染めてあるが、実はブラウンの髪と同じブラウンの瞳を持つダレル。
ジュリエッタの白金の髪や、珍しい紫色の瞳とでは共通点が皆無だし、顔は全く似ていない。
男爵が馴染みにしているジプシーの娘だというが、その母親は黒髪に黒い瞳だ。
母親の入国以前の過去が一切わからないというのも怖かった。
「では、別れさせたら良いんじゃないですか? 婚約破棄も無事に終わったことですし」
漏れている心の声に、王はこめかみを押さえた。
「……なるほど。自分の恋心と兄のそれを同じに扱えないとは。賢い娘がそのような狭量の者を相手にしないのも道理だな」
セシルの眉がピクッと動く。
王が良案を思いついた。
「ふむ、わかった。では兄の恋を、国民も納得させる形で成就させるか、きれいに忘れさせてみせよ。それができれば、お前の婚約も認めてやろう」
セシルの瞳孔が興奮した猫のように大きくなる。
「その言葉に間違いはありませんよね?」
「もちろんだ、王に二言はない」
「わかりました」
わざとらしいほどうやうやしく頭をさげて。
「確かにこの僕が、兄の恋路をみごと成就させてみせましょう」
セシルは颯爽と王前を後にした。