第52話 転移の泉
「精霊界への転移ポイントはその回廊の向こうだよ。案内しよう」
黄金の狩人と呼ばれる山エルフの族長が、自ら先導する。
「ついでに我が麗しの都を堪能していくといい」
そこは美しいエルフの国が一望できる、空中回廊だった。
岩山を削って造られた都だが、無骨さはなく。繊細な彫刻のような柱や、空中に飛び出した開放的なバルコニーなどは、まるで華麗な宮殿のような趣きがあった。
離れた住居を繋ぐ空中回廊では。景色が良い場所に建てられたガゼボが、彼らの憩いの場になっている。
セシルの手元にある回廊の手すりも。美しく透かし彫りされた大理石で、森の中をイメージさせる木々や鹿が生き生きと写されていた。
ただ眺めを優先したそれは、腰の辺りまでと低かった。
頼るには心許ないこの手すりでは、エルフ以外の者はここに立つだけで足が竦むだろう。
なんとも山エルフらしい回廊に、セシルは苦笑した。
そして今。まさに山の間に隠れようとする夕陽に紅く染めあげられた都は、言葉を失うほどの美しさだった。
他では見ることができない、どこかノスタルジックな絶景をセシル達は堪能していた。
「時に、ハーフエルフ君」
「どうぞレニーとお呼び下さい」
セヴィラスの声で現実に引き戻されて、レニーが応える。
「ではレニー。君は人間と精霊、どちらの王子様に仕えているんだい?」
少し意地悪く見えるセヴィラスの顔。
「私はセシル様個人に仕えております」
レニーが即答する。
セヴィラスの質問に違和感を感じたセシルがレニーの顔を見るが。
彼は普段通りだった。
「おっ、あそこか?」
ゼノが進行方向を指す。
室内に戻ったその場所は。
天井がない広い吹き抜けで、頭上には夕焼け空があった。
部屋の中心には、まるで水銀をたたえた大きな鏡のような水面が、泉のように広がっている。
「水銀?」
「いいや、ミスリルだよ。特殊な薬剤とちょっとの魔法で溶かしたミスリルを媒体にした、転移装置さ。人間でも身体に害はない……はずだったような、そうでもないような」
最後の部分は聞こえなかったことにした。
「さてと、どこに送るのが一番楽しいか」
ミスリルの泉にしゃがんだセヴィラスの不穏な呟きに、耳聡い《みみざと》レニーが反応する。
「精霊王にお会いしたいので、王宮前でお願いします」
「ふーん、そう。じゃあ王宮の前、と」
つまらなそうに、セヴィラスがミスリルの水面に何かの模様を描く。
「よし。では、泉に入りたまえ」
膝上辺りまでありそうなミスリルの泉に、恐る恐るセシルが足を入れる。
「……沈まない?」
水面は少しの弾力はあるものの靴底を濡らす程度で。ゴムの上に立っているような不思議な感覚だった。
「へー、おもしれ」
ゼノも面白がっている。
「心の準備はできてるかい? そろそろいくよ。いってらっしゃい……気をつけて」
セヴィラスの悪戯っぽい目と目が合った。
「え?」
急に、セシルの足の下にあった感覚が消え。
とぷん。
と一斉にミスリルの泉に沈む。
足がつく底はなく。セシル達は足に重りをつけて、底なし沼に放り込まれたように。
一気に沈んでいった。