第四話 お菓子のお城
巨大な銀毛の狼と目が合ったセシルは。
ムクリと身体を起こした狼の大きさに驚いて、ビクッと震えたが。
すぐに油断なく剣を構えると。
クレア達を庇うように一歩前にでた。
ルイが尊敬の眼差しで、セシルの背中を見ている。
でも、クレアは気づいてしまった。
背を向けて立つ彼の髪の先が、かすかに震えていることに。
問いただす声も、まだ少し幼くて硬い。
「大丈夫、怖くないですよ」
思わずクレアは後ろからふわっとセシルを抱きとめていた。
「は!?」
さらにクレアは、落ち着かせるように。
「大丈夫、大丈夫」
と少年の胸の真ん中辺りを優しいリズムで、ぽんぽんぽん、とたたいている。
後頭部に当たるささやかな胸の感触に、セシルが固まった。
体温が上がったセシルの身体からはフワリといい香りがして。
スンスン、と鼻を動かしたクレアが。
「……なんか赤ちゃんの匂いがする」
とつぶやいた。
耳元でそれを聞いたセシルの耳が、赤くなっていく。
「姉さんやめて、セシル王子様です!」
ルイがあわてて姉の袖を引っ張った。
クレアが身体を離すと、セシルは金縛りが解けたようにホッと息をはいた。
母親を見たこともないセシルは。異性との接点が全くなかったせいで、異性に対する免疫は意外に低くかったと初めて自覚した。
ラルフは座りの位置を直しただけで、またすぐに腰を落とした。
ほっこりした顔のゼノが手まねきしている。
「ラルフはデカいけど、人間に害を与えるタイプじゃないから。王子もこっちにおいで。おいしい紅茶とケーキのお城があるよ」
迷っているセシルの手を、笑顔のクレアがつかんで。
「どうぞ、ご一緒します」
有無も言わさず。手をつないだまま、紅茶があるテーブルの方へ歩き始める。
「え、ちょっ……」
「何してるんですか、姉さん。不敬だってお父様に叱られますよ!」
ルイの小言にセシルの声はかき消された。
クレアはいつものように小言を聞き流している。
つかまれた手の温かさで、セシルの鼓動がまた早くなっていった。
「……なんなの、これ」
豪華なティーセットが用意されたテーブルに、みんながついた。
ケーキを前にしたクレアは感動に震えていた。
城の壁はカラフルなフルーツとクリームを挟んで重ねたスポンジケーキの断面で。入り口の扉の前には、チョコレートでできた馬車が待っている。
城の上に並んだ粉砂糖を振った苺は、湖面の周りの森林で。
その中心のキラキラした湖上では、王子様とお姫様が楽しそうに踊っている。
「こんなに美しい芸術、食べるためとはいえ壊せないじゃない。どうするの?」
「はっはっは。スイーツは食べるためにあるんだ。えい!」
「あー、切った!」
大きなナイフを入れられたケーキに、クレアが声をあげている。
ゼノが一人づつケーキを取り分けて、紅茶を淹れてくれる。
珍しい紅茶の香りに、セシルは不思議そうな顔で首をかしげていたが。
どうしても気になって一口飲んでみた。
「なにこれ!?」
思わず声がでてしまった。
ジャスミンの香りが口の中いっぱいに広がる。
幼い頃から各産地の紅茶を嗜んできたセシルでも、初めての体験だった。
その様子につられて、紅茶を口に運んだルイも。
「こんな香りの紅茶は僕、生まれて初めて!」
と目を丸くした。
「これは、ジャスミンティー。そっか、東洋にはすでにあったけど、この国にはまだ伝わってなかったのか。紅茶の茶葉とジャスミンの花をビンに交互に詰めて室温で1週間置けば、花の香りが茶葉に移るんだ。ビンから出して、広げて半日くらい陰干しすれば完成。簡単なのに美味いだろ? 気に入ったならお土産にやるよ」
褒められて嬉しそうなゼノが、いそいそとお土産用に紅茶葉を袋に詰めている。
セシルも、ゼノを少し見直し始めていた。
クレアのお皿に取り分けられたケーキが瞬時に消えていく。
セシルはその様子をこっそりと観察していた。
兄の婚約者としては、かなりの規格外。
セシルに対する態度でも思うところは多々ある。
でも悪気は無いらしい。
ゼノという男も、似たようなものだ。
これが普通の人々?
間違った認識を受け入れようとしているセシルを、ルイが心配そうに見ていた。