第39話 ランプの下で
「よくある話だから早く忘れたまえ。秘密は俺様が守ってやるから、安心しなさいね。ぷぷぷ」
やれやれ、と楽しそうなニアを眺めているのは。
奢られたミルクで休憩中のゼノ。
どーせ明日には噂が広まってる。見ているだけなら飽きないのにな、この猫は。
「こんなところにいた、ゼノ。問題発生よ」
クレアがゼノを見つけた。
「どうした?」
「おいこら小娘。こいつは今、傷心中なんだ。明日にしろ、明日に」
「失恋でもしたの?」
「ぜんぜん違うから」
「じゃあ一緒に来て、ニアもよ」
「こらまて!」
明日の本番でメインとなる食堂に、三人が到着すると。
「なんだこれ!?」
調理場のカウンターや調理台、床一面はまるで雪景色のようだった。
小麦粉が散乱して、そこらじゅうに白い粉が積もっている。
白い粉のキャンバスには、楽しそうな落書きまであった。
角が生えたディーナの似顔絵や、わざと下手に描かれたゼノやラルフ。宝物の詰まった宝箱や、空を泳ぐ大きな魚など。
犯人に繋がるヒントはかなり多そうだ。
「お前ら、ほどほどになー」
わーわー騒ぎながらついて来たニアが、クルリと踵を返す。
「待った」
その尻尾をゼノが掴んだ。
散らかった粉の上には、くっきりと犯人の足跡が残っていた。
かわいい肉球のかたちで。
「なにすんだ!? 親身になってミルクまで奢ってやったのに! 優しい俺様に対してこの仕打ちは外道の所業ぞ!」
「いや、ソレはソレだから……いて!」
ニアがゼノを蹴って逃げた。
「あーははは。おバカさーん、捕まえてごらーん!」
ゼノの手をスルリと抜けて。
「こら待て!」
ニアの姿は闇に溶けて消えた。
クレアとゼノが顔を見合わせ。
「みんな楽しい気分で前夜祭を満喫してるし」
「水を差す訳にはいかないよなー」
と肩をすくめる。
仕方なく、ニアのイタズラの後始末を二人ですることにした。
「まったく。憎めないからって、やりたい放題」
「トラブルメーカーだな、あいつは」
それぞれホウキとちりとりを持つ。
ゼノは綺麗なホウキを使って、慣れた手つきで高い場所からサクサクと掃いていった。
派手に見えたが、大袋1つ分の小麦粉が撒かれていただけで、他の店からかき集めれば明日はなんとかなりそうだった。
最後にかたくしぼったモップで水拭きをしていく。
「ゼノって、本当に魔王なんだよね?」
隅々までキッチリと拭き取っていくゼノを見ながら、クレアが聞いた。
「何でもやれる偉い魔王ってことなら、そうだな」
ゼノが胸を張っている。
「そうね。ただ、魔法を使わないのかな、と思って」
「自力でできることには魔力は極力使わないってのが信条だからな」
さらに胸を張っている。
「なるほど。……ん? あれ? 何かが目に入ったみたい、ゴロゴロする」
クレアは目を擦ろうとするが、手は小麦粉で真っ白だった。
「まて、そんな手で擦るなよ。ほら、みせてみな」
ゼノが顔を近づける。
「暗いな。あそこのランプの下までいけるか?」
入り口横のランプの下に移動してから、あらためて覗き込む。
「あーあ、睫毛が入ってるぞ」
まぶたに半分くらい隠れて、睫毛は今にもその奥に消えてしまいそうだった。
「マズイ、まぶたの裏に入りそう」
「どうしよう。ゼノ、魔法で……」
「まかせろ。じっとしてろよ」
ゼノがさらに顔を近づける。
「あれ? な、なに?」
ペロッ。
ゼノは舌先で目の中の睫毛を舐め取った。
「えー!?」
驚いているクレアに、ゼノがキョトンとして。
「あれ? 子供の頃、オカンにこうやってとってもらわなかったか?」
「そんな経験ないから!」
「そーなの? 悪い悪い」
たいして悪いと思っていない口調で、ゼノがあやまる。
その時。
「い、今クレアに何を!? クレア、すぐにそいつから離れて!!」
声変わり前の少年の声が、夜空に響いた。